第9話
さて――。
ミケーア市警所属のグレースは、いつも以上におどおどとタイプウライターを叩いていた。
時折、びくりと肩を震わせるのは、取り調べ中の他称敏腕警部である父が机を叩く大きな音のせいだ。
ミケーア市警の取り調べ記録係としてタイプライターを叩き始めて数年。
ジャスミン主義の浸透による女性の社会進出が始まったばかりとは言えど、その働き口はそれほど多くはない。
それでも、どうにかこうにか紛れ込むことができた警察の仕事。運が良かったしツテがあったのも大きいだろう。
なにより、今目の前で辣腕を振るう警部が彼女の父であるというのが一番大きいのかもしれないが。
その父の機嫌が非常に悪い。机をたたく勢い、音の大きさ、額に浮かぶ青筋などなど。
グレースは幼少期、父の大切にしていたアンティーク拳銃を壊してしまった時のことを思い出す。
あの時ほど父を怖いと思ったことはないとグレースは思うが、現在進行形でそれが更新されるかもしれないと戦々恐々だった。
それもこれも、先刻鉄道警察よりミケーア市警に引き渡され取り調べを受けている少女が原因だった。
先のアンテルシアからの列車襲撃事件。自動人形を使った組織的襲撃の首謀者。少なく見積もっても被害は甚大で。
乗り合わせてくれていたプラヴァツキー夫人とその護衛がいなければもっと酷いことになっていただろうとグレースは父の同僚から聞いている。
ただ、車両の有り様や少女の装備だと思われる証拠品を見てから父は、何やら不思議な反応をしていたそうだが、それも機嫌が悪い原因なのだろうか。
などと思索にふけってしまうのがグレースの悪い癖であるが、彼女にとっては聴いていることをタイプライターとして打ち出すなど考えながらでもできてしまう。
打ち出された文字を改めて追ってみても、普段は我慢強い父がいら立ちを隠せなくなるのもわかるものだった。
「ねえ、警部さん。女の子に対して厳重すぎないかしら」
じゃらりと鎖を鳴らす少女。見た目女の子に対してやるには物々しすぎる扱いをされているのは確かだ。
身体をがちがちに固めるように巻きつけられた輪を形成する金属がグレースの腕ほどはある鎖。そんな彼女を取り囲むように配置された重武装の機械化警察ら。
彼女が全身義体であることは知っているが、外見が自分よりも年下の女の子にしか見えないグレースにとっては、それほど警戒すべきことなのだろうかと楽観視してしまう。
「ふん、そんな口をきいたところで機械人間を自由にすると思っているのか。かつての大戦で、貴様らの同型が何をしたか忘れたわけではあるまい」
「戦後生まれなの私。だから、何をしたか、なんて言われてもわかるわけないわね」
「だったら教えてやろう糞犯罪者。おまえのような機械化率の高い兵士は、一つの街を立った数人で壊滅させた。それが全身だと? これでも足りないくらいだ錬金術師」
「随分と調べたのね。偉い偉い。でも、女の子の大事なところをそんな無遠慮に探るなんて変態ね」
再び取調室に大音量が響き渡り、びくりとグレースは肩を震わせる。
やはり慣れないと思いながらも全ての発言を記録してく。願わくばこれ以上父を挑発しないでくれと思うばかりだ。
「大人を馬鹿にするのも大概にしておけよ、小娘。吐け。何が目的だ。なぜ、あの列車を襲った。あの列車には何が乗っていた。」
「私、列車が好きなの。だから、つい襲いたくなってしまうのよ。ほら、あるでしょう? 好きな子ほどいじめたくなっちゃう話。それと一緒」
再びの台を叩く音。先ほどよりもさらに大きい。グレースの経験上、これはもうそろそろ限界だ。顔も青ざめてくる。
しかし、逃げたくても逃げることのできない状況。幸いなのは、タイプライターに集中しておけば、彼の怒り心頭な顔を見なくて済むことだろう。
「嘘をつくなよ。どれだけおまえたちのような連中を相手してきたと思っている。嘘つきは臭いでわかる。おまえは、その中でも最低の嘘つきだ」
語った経歴も全て嘘。話すことは全て嘘。本当のことなどどこにもありはしない。
「ええ、嘘よ。列車なんてこれっぽっちも好きじゃないわ」
「なら本当のことを言え」
「じゃあ、言うけれど私、もうすぐここからさようならしてしまうの」
「ハッ、じゃあ、それを見せて見ろよ。ほれ、どうするんだ?」
それを、父を含めたその場にいるグレース以外の全員が何を馬鹿なと笑った。
衆人環視の中、採掘用重機械でも使わなければ引きちぎることが出来ないような鎖に雁字搦めにされている女が、どうやったら逃げ出せるというのだろう。
グレースですらそれは不可能であるということがわかるというのに目の前の少女は一体何を考えているのだろう。グレースがそう思った時だった。
取調室の窓の向こう、何かが光ったように感じたのだ。鉄格子の嵌められた窓の向かいにある建物から何かが反射したように感じた。
「こうするのよ」
確かめようとしたグレースは、少女の発言に慌ててタイプライターに視線を戻した。
次の瞬間、何かが爆ぜる音を聞いた。
「え?」
顔にかかったのは一体なんだろうか。ねっとりと温かいような気もする。それはよくかぐ臭いだ。
下町育ちのグレースは、良く遊びとして近くの機関工場で遊んでいた。そこで嗅いだことのある匂いだ。
そう機関油の臭いだ。機関を駆動させるためのそれだ。べっだりとそれが顔についていた。
「あれ、なんで――」
そんなもの一つしかない。タイプライターから顔をあげる。
そこにはグレースと同じように油をかぶった警官と父がいる。その原因は彼らが囲んでいたもの。あの少女だった。
いや、もはや少女だった機械というべきだろう。部屋の中心に位置していたはずの少女は、今やその頭部が失せている。
反対の壁には銃痕。何かに狙撃された末、その弾頭の威力により少女の頭脳は完全に破壊されてしまったのだと誰もが理解した。
「糞が。すぐに狙撃地点へ迎え。何も見つからんだろうがな」
この場所を狙撃できる場所など限られている。到底不可能なはずの狙撃。それを成功させたということは、相当の手練れだ。もう既に狙撃地点にはおらず痕跡も残さずに消えているだろう。
グレースはびくりと肩を震わせる。原因は、やはり父がデスクに拳を振り下ろした音からだ。それは事件への入り口が固く閉ざされた音にも彼女には聞こえた。
●。
バルベルビナ湖畔へと続く貨物運搬用の運河を一隻の船が遡っている。
少しばかり旧い型の蒸気船であるが、きちんと整備された良い船だった。
この船も貨物運搬用であり、甲板こそ広いがそれだけで降りしきる煤を防いでくれるような屋根も船室もありはしない。
しかし、今更煤汚れを気にするような者はこの一行にはいない。白い服を着た者は、ここにはいないのだ。
ハワードは、甲板の一画に椅子を置いてくつろいでいる。先の列車襲撃の疲れをいやす構えだ。
少々手荒に扱ってしまった巨人殺しの整備は既に終わらせてあり、傍らのテーブルの酒瓶を手に喉を潤す。
「みず、いっぱい。しぬ」
その隣でアンナはぶるぶると震えながらそれでも興味があるのか、川をのぞき込もうとして魚が跳ねては逃げる。そんな行動を繰り返す。
舵輪を握るミシェーラは可愛いわねぇ、とアンナを見ながらのんびりと笑う。最近の殺伐具合ですさんだ心が安らぐとはこのことだ。
「あはは、かわいいかわいい」
カーチェイスに列車襲撃。
平凡な一般市民を自称するミシェーラにとっては、酷く非日常的で騒がしい事柄ばかりだ。
精神的にも殺伐としてくるが、アンナの様子を見ているとそれを忘れて和むことが出来る。
「平和主義者の私としては、本当勘弁してほしいところよねぇ」
「嘘つけ。おまえが平和主義者なら、俺に持ってきたトラブルの数を考えてみろ。大学時代から数えると山が出来るぞ、山が」
酒を飲みながら首だけを後ろに回してハワードは文句を投げつける。彼女が持ってきた話によって大変な目に遭ったのは一度や二度ではない。
「細かいことを気にしすぎよ」
まったく細かくないのだが、そんなものいちいちミシェーラは数えていない。
それにトラブルを持ってきているわけではなく、トラブルの方がやってきているのだと彼女は言う。
だから、ミシェーラではなくトラブルを呼び込むハワードの方に責任があるのだと。
「ん、ふたり、むかしからのしりあい?」
「そうよー。アンテルシア大学で同じ研究室だったのよ」
「まさか、女がいるとは思わなかったよ」
「あら、古いわねぇ。レディ・ジャスミンが提唱するジャスミン主義の時代じゃない。私だってやりたいことをするわよ」
「まあ、そうなんだがな」
ジャスミン主義とレディ・ジャスミン。彼女は、この黄金の時代において女性の社会進出の先駆けだ。
女は家庭にあるべしなどと言った古い慣習を打ち破り、社会へ羽ばたいた先進的女性。
そのレディ・ジャスミンに習い多くの女性が自らもと社会進出を果たしているこの情勢をジャスミン主義の台頭と言う。
まだまだ世の中に広く受け入れられたわけではないが、偉大なりし女王陛下の時代であることも味方して今や女性も男性のように働く時代になっている。
「だから、アンナちゃんもちゃーんと、自分のやりたいことをやるのよ」
アンナは難しい、という風に首をかしげる。
「はは。まだ難しかったかしら。でも、これからちゃんと覚えていかないとね」
女の笑い声と蒸気船の穏やかな駆動音が響く。襲撃もなく穏やかな時間であったが、そこにノイズが混じりこむ。
『楽しそうね』
突然響いた声は、あの女の声であった。
「――!」
突然の声にアンナが即座に反応して唸り声をあげる。
『そう警戒しないで。今の私じゃなにも出来ないから』
声のした方へとハワードが視線を動かす。
そこに置いてあったのは不可思議な機械だった。金庫のような奇妙な箱型にごてごてと用途不明の装置がくっついている。
「なんだ、どうしたんだそれは」
『捕まった結果よ。前の身体は処分したの。当然、壊した方は遠隔操作。便利よね
「それで、まだ手稿がほしいのか」
『いったでしょう? 降参って。少なくとも私は降参しているわ。それにブラヴァツキー夫人を敵に回したのなら、今頃、私の組織は壊滅でもしているでしょうし。彼女ほどの錬金術嫌いはいないわ』
「それで? 今度はこちらに鞍替えってか?」
『そういうこと。また今度といったでしょう。残りの手稿はこちらにある。この二つが揃えば見つかるはずよ』
「目的は」
『目的? そんなもの決まっているでしょう? ミュンヒハウゼン男爵の遺した秘宝。それを見つけること。その一点において私たちは協力できるはず』
確かに女の言う通りであった。ハワードたちにしても手稿の半分の情報は必要だ。地図だけでは、この先にあるであろう罠などの情報が何一つない。それでは秘宝を見つけることは出来ない。
信頼の証拠と言わんばかりに奪い取った手稿の半分をハワードへと差し出す。複製ではない。彼が手に入れた本物の手稿の半分だった。
『写しはないわ。そういうわけで、私を秘宝まで連れて行ってね。この身体動けないのよ』
のちにジョージに解析してもらったが確かに動けないということはわかった。
歯車式頭脳回路を維持するためだけのシステムが組み込まれているためにほかの駆動系に対する捜査は出来ない。
それでも通信機能はあったためそれに対する妨害装置だけつけて完全に何もできないように加工して彼女はアンナが背負うことになった。
「本当に大丈夫か?」
「ん、だいじょぶ」
鞄を背負うかのように女の箱を背負う。労働種にとってこの程度のものは重さのうちには入らない。
このまま屋根から屋根へと縦横無尽に駆け回ることもできるだろう。
「そうだ、名前を聞いていなかったな」
『そうね。名乗っていなかったわね。ジェーン・ドゥとでも名乗っておくわ』
「名無しね。まあいいだろう」
『ええ、しばらく厄介になるわ、ハワード博士』
珍妙なメンバーが増えてしまったものの、残り半分の翻訳済みの手稿が手に入ったのは大きい。
なによりジェーンが動けないというのならば、これから先の妨害はないということだ。少なくとも彼女に連なる錬金術師の組織からは。
珍妙な同行者を加えた一行。特に襲撃もなく無事に川をさかのぼっていく。船上での食事は、酷く簡素で味気ない携帯食料ばかりであったに文句を言ったのはジョージであった。
「ええい、こんなもんしかないのか」
「さかな、いる」
「流石にありゃ食えん。偉大なりし女王陛下の在位に入って一層、空から降る排煙は酷くなる一方じゃからな。ここらは汚染が薄くとも食えた代物ではないな」
「なにより、この船にそんな調理設備はない。我慢してくれ父さん」
「我慢して食べておるじゃろう。文句くらい言わせるてもらいたいね」
などとジョージが軍用の携帯糧食に文句を言っている間も船は進む。
雨が降ることもなく、晴れ渡った天気によって予定は順調に進み、一行は無事にバルベルビナへと入った。
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