第10話
古都バルベルビナ。そこはバルベルビナ湖畔にある美しい街だった。
水の街と呼ばれるだけのことはあり、珍しくここでは蒸気機関よりも流れる水を動力源とした機械の方が多い。
湖畔から望む大山脈から流れる大量の地下水は、このバルベルビナに到達する頃には流れも急な水流となりこの街の重要な動力源となる。
その性質上、この街には全ての家を繋ぐように水路があり水が流れている。
この時代において浄水機関を通さずとも飲むことすら可能という非常に珍しい綺麗な水だ。
街を縦横無尽に走る高架水路は見ていてアスレチックのようで非常に楽しそうである。
「ぅー、とんだら、たのしそう?」
「あまりいじんないようにな。この街の生命線だ、壊したら大変だぞ」
「う、わかった」
「さて、まずは宿だな」
ミュンヒハウゼンの秘宝を探すにしても一日では終わらないだろう。完全な手稿をハワードは未だ読んでいないこともある。
なによりミシェーラなどはせっかく古都バルベルビナまで来たのだから観光したいと言っている。そのためにもまずは拠点が必要だ。
ハワード一行が向かったのはエレナに聞いてたバルベルビナのウェイクストリートにあるというコリオンという店だ。
郷土料理であるフラッペクルッペがおいしいと評判の店。他にいい宿を知っているわけもなく、エレナという元貴族のお嬢様に聞いたのだから目利きはいいはずだということで反対意見なく本日の宿は決まりまずはそこへ向かう。
中央広場から二つほど通りを進んだところにウェイクストリートはある。
うっそうと茂る水路の森とでも言わんばかりに乱立した水路は、その昔住人が増えた時に無計画に住居を立てていった名残だった。
馬車も通れぬ人通り。乱立した水路の支柱によって非常に視界が通りにくいため、多くの秘密を抱えた者たちや、あまり人前に出せないようなことを行うのには非常に適した通りと言える。ここは歓楽街でもある。
ただ隠れ家的名店も多くあり、歓楽街といっても多面的なものであった。コリオンも隠れ家的名店の一つであった。
支柱の林の中にひっそりと存在していたその店は普通の人間であれば見逃してしまいそうになるほどであり、注意深く観察していたはずのハワードですら見つけられなかった。
見つけられたのはアンナの嗅覚のおかげだ。
さて、部屋を人数分とったところで、これからの予定について話し合う。ハワードとジョージは、ジェーンにとともに手稿の解読作業を行う。
ならば女二人はその間観光に行くという話になった。
せっかくの古都である。古い街並みは、アンテルシアでは見ることが出来ない。蒸気機関と高度機械化によってどこもかしこも高い建物ばかりであり、共鳴塔が立ち並ぶ光景が広がっているアンテルシアでは、落ち着いた古都の街並みは非常に珍しい。
蒸気機関少なく、水力と永久歯車機関が主流のバルベルビナはまたアンテルシアとは一味違う情緒がある。
「それじゃあ、いってくるねー。いこっっかアンナちゃん」
「うぃ」
「ラジオで行っていたが指名手配されてるローガンがこの街にいる可能性があるらしいから気を付けるんだぞ」
「わかってるわよ」
ハワードからの忠告を聞いて女二人、コリオンからバルベルビナの通りへと出ていく。
●
さて――。
ウェイクストリートには多くの人種が集まる。それは何も善い者たちばかりではない。
寧ろ、全体としては悪い、の方が勝るだろう。人の目が隅々まで届きにくいこのウェイクストリートは、隠れるのにうってつけである。
先ほどハワードがコリオンから出ていく二人に告げた政治的思想犯のローガンもまた、このウェイクストリートに潜伏していた。
表向きは治安のよいウェイクストリートであるが、蓋を開ければ犯罪者の巣窟だ。暗黙の了解としてここでは派手に動かないというものがあって平和なだけである。
そんな暗黙の了解、いいや血の掟を護って政治的思想犯罪者であるところのローガンもまたバルコニーのある喫茶店で優雅なティータイムとしゃれこんでいた。
しかし、その緑玉の瞳はどこか不満そうであり、焔のような橙の髪は彼の動きに合わせて不服そうに揺れている。
彼にこのような趣味はないからだ。この趣味は今目の前に座っている女のもの。
白いドレスの女。上流階級の人間だ。金髪は手入れされて美しく、瞳は汚れを知らない青い色。
この場所は上流階級の御忍場といっても良い。煤除けの大きな傘がたてられたティーテーブルは白く、さらに言えば、椅子は豪奢な作りをしておりいくらかかっているのか庶民には想像するだけで気が遠くなりそうだった。
白は金の色であり上流階級の色。排煙降り注ぐこの蒸気機関最盛期に古都バルベルビナとは言えどもここまで白で統一したのは賞賛に値するし、いったいどれほどの金をかけたのか。
つくづく上流階級の人間の正気と言うやつを疑うが、今話すべきは、貴族の狂気ではない。
「まさかおまえが来るとはね。ヘルガ・クロックミスト」
ローガンは目の前の女へと話しかける。偉そうなのは、この場の主導権をこの男が握っているということを示しているが、ヘルガはまったく気にした様子はない。
上流階級の人間がローガンのような犯罪者という底辺人間の下であると言われているのに彼女は怒りもしない。
「それが仕事ですから」
その理由もこの一言で片付く。仕事だからだ。上流階級の人間として企業複合体からの仕事に従事している。
いわば義務を遂行しているのだ。それは絶対であり何人たりとも逆らうことはできない。
「それほどまでに、上は気にしているんだろうねぇ、その、なんだっけ?」
「ミュンヒハウゼンの秘宝」
「そうそれだ」
強調するように人差し指二本をヘルガへと突き付ける。
「果てしなく疑問なのだがねクロックミスト。おまえほどのネームドが出るほどのものなのか、その――」
「ミュンヒハウゼンの秘宝」
「――そう、そのなんとかの秘宝ってやつは」
「知りません。私はただ、仕事として貴方に従うように言われてきただけですから」
ヘルガも知らない。ローガンも知らない。
ヘルガはいつものように企業からの依頼で来ている。
ローガンの場合は、朝隠れ家の寝床にと前金とともにミュンヒハウゼンの秘宝を見つけろという指令書が置いてあったのだ。
それで指示された通りにこの場でヘルガと合流した。
「オーケイ。お互いビジネスだ。不必要なことは極力知らない方がいいってことだろうね。そいつは実に――」
その先をローガンは言わずに、濁すように肩をすくめて葉巻を咥える。一瞬、ヘルガの目が咎めるように細められるが、ローガンは気が付かないふりをする。
何をおいてもまずはシガーだ。ジェントルの証、何をおいてもまず香りを楽しんでいなければいい考えも浮かばない。
吸い口をカットして、愛用の瓦斯ライターで火をつける。幸いにも今日は風のない良い日だ。
重い葉巻の煙が揺蕩いシガーが幻想の世界へといざなってくれる。身を委ねれば、嫌な場所、嫌な会合であっても至福のひと時となる。
重い煙を吐き出しながら、ローガンは白いテーブルの上に並べられたいくらかの資料へと視線を落とす。葉巻を味わう合間の慰みとしての確認。
テーブルの上に置かれているのは、目標の情報だ。パンチカード式ではなく、印刷された紙媒体のそれ。おそらく必要なくなったら燃やすなりなんなりするのだろう。
それは今、ミュンヒハウゼンの秘宝に繋がる情報を持っている者たちの情報だ。つまりはハワード一行の情報と写真。
事細かに調査が成されたそれは、企業複合体がもたらしたものに相違ない。
相変わらず悪趣味極まるとローガンは煙とともに内心を吐き出して思考から捨て去る。少なくともその企業の一つから出向してきている目の前のエージェントを怒らせる内容の暴言であるし、TPOくらいはローガンもわきまえる。
その結果葉巻を吸って、目の前で優雅に紅茶を啜って乏しい表情を明るくしていたヘルガの表情が曇天真っ暗闇にまで落ち込んでいるが、彼は一切気にした様子はない。
彼女がいかにローガンが煙を吐き出すたびに、それが彼女の方に流れるたびに精細を欠いて、スコーンなどを取り落とし気味であったとしてもだ。
むしろスカッとしてしまうのを止められない。彼は、白という色が嫌いだ。だからこそ身に纏う服は黒一色。ダークスーツにコート。富とは真逆の色を身に纏っているのは貴族どもへの反抗心の表れだ。
そのために、目の前の上流階級の人間の一人であるところのヘルガが無様を晒すのを見ているのは気分がいい。
まったく小さな人間であるが、それがローガンという人間なのだから仕方がない。
「それで、どうするのです」
埒が明かないからか、それともこの会合を彼女も嫌になったのか。ともかくヘルガの方からローガンに先を促してきた。これからどうするのか。
「そうだな。まずは情報だ。おまえたちがどれほどの情報を掴んでいるのか、僕は知りえないし、興味もない。どうせ謎は彼らが解いてくれる。僕らはそれをあとから頂けばいい。簡単だ」
「…………」
ヘルガは黙って目を少しだけ細める。紅茶カップを握っていた手は、いつの間にか彼女の口元に移動していた。
そんな所作を見てローガンは呆れる。どうみても不満だと言いたげだった。この女はあろうことか、この作戦がお気に召さないのだ。
それもおそらく理由は、給料分の仕事にならないからとかいうくだらない理由だ。ローガンからすれば理解に苦しむ。
「不満そうだね」
「…………」
「給料分の仕事にならないから彼らを倒して、情報を奪い、僕らでお宝を見つけるのか? ナンセンスだよ」
ローガンはばかばかしいとヘルガに指を突きつける。
「いいか? おまえが言っていることが如何に不可能か、教えてやる。この資料を見て見ろ」
彼女の前にある資料を突きつける。
そこに書かれているのはハワード・カートナーの経歴だ。前大戦における従軍者であるが、彼はあの大戦末期の激戦中、ある特殊な部隊にいた。
「わかるか。誰が獣を相手に戦おうなんて思う」
「……確かに、これは給料分をはるかに超えますね」
「だから、こいつに関しては放っておく。だから、狙うのはこっちだ」
女二人。ミシェーラとアンナ。最もくみしやすいと目してる標的だ。
「友人と娘。人質としての価値は高い。この二人を攫い、奴らをたきつけ、最後にかっさらう。油断なく、隙なく、確実に獣は殺す。文句は?」
「ありません。貴方の作戦に従いましょう」
「さて、それじゃあ――今この二人は観光に出ている。おまえの力を見せてもらおうか。クロックミスト」
「給料分の仕事はします」
飲み終えたカップを静かにおいて、ヘルガ・クロックミストは立ち上がる。
優雅に開いた煤除け傘を広げると同時に彼女の姿はローガンの目の前から掻き消えた。
そう目を閉じた一瞬の間に、消え失せたのだ。
「あれが、
ローガンはぼやきながら紫煙を吐き出すのであった。
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