第13話

「企業複合体も本気か。それほど見つけてほしくないのか、自分たちが見つけたいのか」

「あの感じじゃと後者じゃろ。企業複合体がミュンヒハウゼンの秘宝なんぞ欲しがるとは思えんからな」


 ジョージの言う通り、企業複合体はこの時代における不可視の巨人だ。

 圧倒的な力を持つそれは、ともすれば偉大なりし女王陛下にすら匹敵するとすらまことしやかにささやかれている。


 そんなものがミュンヒハウゼンの秘宝を狙うとは考えにくい。あるとすれば何か見られたくない事実がそこにあるということなのだろ。


「ともかく急ごう。ミシェーラ」

「もう向かってる」


 ミシェーラの操船によって船は湖の中心へと真っすぐに向かっていく。

 ミュンヒハウゼンの遺した手稿は、この湖の岩礁などの位置を指し示す湖図になっており、特に座礁の危険もなく目的地となる湖の中心へとやってきた。


『ここからどうするかね』

「永遠など必要なく、必要なものは、既に揃っている。湖の中、眠るように沈め、さすれば道は開かれん。ただ一人の門を通るべし、聖なる杯を頼りに進め……眠るように沈めは、ここから潜れということだろう。父さん」

「ああ、準備は出来ておる」


 ジョージが取り出すのは不思議な機械だ。まるで棒のようなものであるが、吸い口などがあるためどこか横笛のようにも見える。

 コーティングされた歯車機械が内側で回っているため、ただの横笛ではない。


 これはハワードが用意させた水の中でも呼吸が出来るようにするための装置だっ

た。

 これを咥えておけば勝手に酸素を生成してくれるという代物だった。これさえあればどれほどの深さであろうとも潜ることが可能だ。


「良し、行こう。ミシェーラはここで待っていてくれ」

「早めに帰還よろしく。ああ、一応、この船ごと空の方にいるから私のことは気にしないでね。いってらっしゃい」

「う、いってらっしゃい」

「アンナ、おまえも行くんだぞ」

「や、水、しぬ。おぼれる」


 アンナはぶるぶると震えながら拒否の構え。


「わしの発明があれば溺れる心配はないぞー。さあ、いってこい!」

「やー!?」


 アンナはジョージに装置を咥えさせられ、そのまま湖にどぼんと落とされてしまった。いきなりのことで当然のように溺れるように暴れるアンナ。


「おい、父さん!」

「こっちの方が手っ取り早いじゃろうが、なによりアンナも泳げた方がよいしの」


 それでも絵面がひどかったのは言わざるをえない。ともかくハワードもすぐに飛び込んで、アンナを捕まえて落ち着かせる。


「大丈夫だ、俺につかまってろ、これさえ咥えておけば死なない」

「……ぅーわかた……」

「よし、しっかりつかまってろよ」


 胸元にしっかりとジェーンの箱を背負ったアンナを抱き寄せてハワードは潜水を開始した。

 暗い水面の下は漆黒の世界だった。光のない闇の世界が広がる。水面はまるで黒い壁のように見るものを圧迫する。ぶるぶると震えるアンナの感覚がハワードにはありがたかった。もしひとりこんな場所に放り出されたのならば、気が狂いそうになるだろう。


 暗い水の中に、月明かりが差し込むが、藻の森がそれを妨げている。視界は最悪である。しかし、潜ってみたが何も見られない。静かなものだった。

 魚の姿もなく、暗い水はハワードたちをどんどん下へ下へ深みへ引きずり込んでいるかのよう。


 ジョージが明かりをつけるが、それすらもあまり役には立たない。暗い水が光を吸っているかのように、水底まで照らすことはおろか周囲のすべてを把握するにも足りない。

 湖の中は、死の世界のようだった。まるで伝説のような神の冥界下りを体験しているかのよう。

 いいや、それの方がはるかにましだろう。ハワードらは目的地をしらないのだ。どこに行けばいいのかわからぬまま沈む。


 ふと、その時、ハワードは闇の中に何かを見た気がした。それは光のようなものだ。

 ハワードはすぐにジョージにライトを消すように指示する。訝し気にしていたジョージであったがすぐにライトを消す。


 すると、水底の方から淡く光がこちらに向かって挿し込んでいることに気が付いた。光の流れがあったのだ。淡い光の流れが、流れている。

 ハンドサインでジョージにあそこに向かうと告げて、ハワードはぎゅっと目を瞑って服を握りしめているアンナを抱きなおし光に抜けて泳いでいく。その光は何かの流れのようだった。 


 まるで幕だ。それは空気の幕だった。それが道のように流れているのだった。水空道だ。

 水の中の空気の通り道とでも言おうか。どういった原理かは不明であるが、水の中に空気の道が出来上がることがある。碩学の中には旧い幻想の仕業だという者もいる。


 正体不明の代物であるが、この空気の道は湖底に存在する洞窟へと続いていた。淡い光は空気の中を反射して水空道を輝かせている。

 それは淡い光で、他の光があれば途端に見えなくなるようなものだった。おそらく夜にしか見えないのだろう。


 死んだように沈めというのは、こういうことだったのだ。

 死の世界。つまり夜に潜れという事だったのだ。図らずも企業複合体のエージェントたちから逃げたおかげで、これに行きつくことができた。


 ハワードとジョージ、アンナは水空道へと入る。水は、不思議な力場でもあるのか空気の幕を突き破っても水空道の中には入ってこない。


「う、くうき、ある、しな、ない?」

「ああ、大丈夫だ」

「うぅ、びしょびしょ」


 ぶるぶると全身を振るわせて水気を飛ばすアンナ。それからぽつり。


「う、やっぱり陸、空気が一番」


 過去最高に理性的でマジなトーンでの一言だった。


「しかし、このようなところにこのようなものがあるとは、驚きだな。いよいよもってミュンヒハウゼンの秘宝が近づいてきたということか」

「ああ、行こう」


 洞窟の方へ進む。上昇する水空道。自ら上がるとやはりそこは洞窟の中のようであるが、明らかに人の手が入っているようであった。

 入り口こそ洞窟らしいが、奥の方は石組みの建造物となっている。


 しかし、最近此処を通った者はいないのだろう。埃などが降り積もっており、人が通った形跡がまるでない。


「アンナ、どうだ? 最近人が通った気配はあるか?」

「う……ない」


 すん、と鼻を鳴らしてここの臭いを嗅いでみたがアンナには自分たち以外の臭いは感じ取ることが出来なかった。

 つまり、最近ここに来た人はいない。少なくともハワードらが来るよりも前には人は来なかったと言ってもいいだろう。


「危険はありそうか?」

「う、いまのところ、ない」

「よし、父さん行こう」


 そこにあった松明に火をつけて光源を確保する。

 蒸気灯でもよいが火の方がいい。何かガスなどが充満していた場合、火の変化を見ればそれに気が付くことが出来る。

 アンナもいるが、ハワードの習慣が彼に火を持たせていた。


 洞窟の奥は遺跡だった。しっかりと石組みされた隧道が続く。まるで古の竜の腹の中へと潜って言っているかのように思わせる。

 もしこの洞窟が巨大な生き物であったのならばハワードらは胃袋に向っているということだ。ぞっとする。


 否応なく緊張感が一行を支配する。ぱちりと爆ぜる松明の音だけがしんとした回廊の中に響き渡っては消えていく。

 何の気配もない。蒸気文明の気配もないただの石組みの遺跡だ。朽ち果てた廃墟のようであり人の気配もなにもない。曲がり角もない一直線の通路がどこまでも続く。

 いったいどれほどの長さがあるのだろうか。そう思った時、不意に通路は終わりを告げる。


「ここは――」


 そこは広間のような空間であった。一気に空間がひらける。火の状態は問題なくアンナも危険を察知してはいない。

 しかし、空々しいはずのなにもない広間はされど物々しさがあった。あるいはおどろおどろしさだろうか。


 その広間には騎士の甲冑が置いてあったのだ。所狭しとこの空間に並べられており、真に迫るその甲冑の姿からは空々しさよりも物々しさの方が勝っているようであった。


「甲冑の墓場かここは」

「いや、何かあるんだろうとは思うが」


 ハワードは、手稿の内容を思い出す。

 永遠など必要なく、必要なものは、既に揃っている。湖の中、眠るように沈め、さすれば道は開かれん。ただ一人の門を通るべし、聖なる杯を頼りに進め。


「おそらくただ一人の門を通るべしというのが正解なんだろう。ただ一人の門を通れとはどういう意味だ」


 騎士の甲冑。その甲冑をかき分ければそこには門がある。この部屋を囲うように配置された門のいずれか一つが正解だ。

 大量の騎士は、この門を護っているのか。


 しかし、一人だけというのは一体どいういうことか。ここにいる騎士の甲冑の数は多く、一人だけというのはありえないように思えた。

 甲冑を調べてみるが特に怪しいところはない。動かそうと思っても固定されており動かせないということがわかったがそれだけだ。


「うー。いろんなところからみられてるきがする」


 調べているとアンナがそうぽつりとつぶやいた。視線はないが、甲冑の頭が自分の方をみていると確かに見られているように感じる。


「はは。確かにこっち向いているとみられているような気が……そうか! でかしたぞアンナ」

「うい?」


 左手でがしがしとアンナの頭を撫でて、ハワードはすぐに甲冑の向きを調べる。甲冑の向きは門に背を向けている。

 色々な方向を甲冑が向いているように見えて、その実、門とは逆方向を向いているのだ。それは対応する門を護っているように。


 そして、その甲冑の数を数えてみると一つの門を護る甲冑は一つだけだった。一人だけの門とは一人だけが守っている門ということだ。


「ここだ」


 扉を開き次の部屋へ行くと、そこにはいくつかの扉とテーブルがあった。そして、その上には多くの杯が置いてある。


 純金製のもの。純銀製のもの。木製のもの。素材も様々であれば、把っ手が二つ対向して付いていものなど形も様々だ。


 それらは円卓の上に並べられており、次の部屋に続く扉の前にそれぞれ置かれている。


「盃の部屋か。ハワード、次は聖なる杯を頼りに進めじゃったな?」

「ああ。おそらくは聖杯だろう」

「聖杯を頼りに。この中に聖杯があるはずじゃ。それの後ろにある扉が正解じゃろう」


 聖杯。聖遺物。それは、神の子とその使徒が最後の晩餐において使ったとされるものだ。

 聖杯を探す騎士の物語も数多くあり、本物の聖杯を見つけた騎士もかつては存在していた。その者は天へ迎えられたと言われている。


 ここにあるのものが本物とは限らないが、少なくとも本物とされている聖杯があるはずだ。それを見つけることが正解のルートへと通じる道を教えてくれる。


「しかし、本物か」

『臭いは? かつてミュンヒハウゼンがこれを作ったのならどこかに臭いがのこっていてもおかしくないんじゃないかしら』

「どうだ?」


 アンナは首を横に振った。臭いはない。どれも同じ匂いだ。酒の匂いがしている。


「そうか……」

「ふむ、これじゃな」


 ジョージが一つの杯を指さす。銀でできた把っ手が二つ対向して付いている杯だった。


「父さん、また適当に言っても」

「ハワード、まだわからんか? 聖杯じゃ」

「だから、それを今探しているんじゃないか」

「そう探して見つかったものがいくつかあるじゃろ。アンテルシア博物館にもいくつか寄贈されておったはずじゃ」

「そうか。見つかっている聖杯は四つ。ここにある中でそれに一番近いのはそれだ!」

「正解じゃ。まだまだ修行が足りんの」


 そう言ってジョージが悠々と扉を開けて次の部屋へ向かう。

 次の部屋も先ほどの部屋と同じ作りの部屋であり、やはり杯が置いてある。その中でも目立つものがある。

 対角三十七センチメートルの六角形で、杯よりも鉢に近い形。エメラルドのような緑色であるが、実際の鉱石ではなくこれは硝子出てきているようだった。


「この中じゃとこれじゃな」

「ああ、ナポレオンが見つけた運び出したものだな」


 それがこの部屋における聖杯なのだろう。他の杯もあるが、どれもこれも発見されたものではない。見たこともないような形をしている。

 もしミュンヒハウゼンが未発見の聖杯を見つけているのならば話は別だろうが、そんなことはないだろうとハワードは直感する。


 どうにも、隠されてはいるが謎も全て単純なものであり、隠すというよりは見つけてほしいのではないかと感じられているからだ。

 次の部屋も同じような部屋で、聖杯を探すことになる。次の聖杯は直径九センチメートルの半球状、高さ十七センチの暗赤色のメノウでできているものだ。


 その部屋も超えて、次の部屋に行くと、そこには杯が一つしかなかった。扉もない。ここがゴールなのか。いいや、違う。その部屋には杯のほかに、水差しがあった。

 水差しの中にはまだ水が入っている。それを杯にそそぐと、水は赤色に変色する。匂いからワインに変化していた。


 そのワインは瞬時に燃え上がり、炎を上げた。その瞬間、ガコンと何かの機構が動き始めたのを全員が感じ取った。

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