第12話
さて、ミシェーラ二人が宿を出ていったあとのハワードらと言えば。
『大丈夫かしらね』
「なにがだ」
『あの二人、どう見ても狙われるでしょう』
ミュンヒハウゼンの秘宝を狙っているのは錬金術師だけではない。地下組織ではなく表立った企業複合体もまたそうだとジェーンは睨んでいる。
というか、動かないのがおかしい。普通であれば、調書などで数日間ミケーア市に拘束されてもおかしくなかったのを素通りだ。
何かしらの思惑が働いていると見た方がいい。
「あの二人にどうにかできるのかしら」
どうみてもまっとうな戦闘技能なんて持ち合わせていない一般人の女と身体能力だよりの労働種。
そんなもの企業のエージェントでも出てくれば一発で捕まって人質として使われるのがオチだ。
「いらない心配だよ、ミシェーラにはな」
『何かあるのね』
「あいつは魔女だからな」
『魔女? お伽噺の?』
「ああ。おまえたち錬金術師と同じ、この世界に残ってる幻想の一つだよ。人類がいずれ到達しうる技術を先取りしていた存在だ」
『おかしいわね。それならとっくの昔に絶滅しているでしょう』
屑鉄を黄金に返る物質変換による人類進化を提唱する錬金術師ならばまだこの先も生き残るだろう。
だが、人類がいずれ至るであろう到達点を先取りして振るう者。即ち魔法とはいずれ人類が至る技術だ。
当然、人類がそれに至ったならば駆逐され淘汰される存在にすぎない。
「だろうな。ミシェーラ曰く、今が楽しいんだそうだ。なら俺は特になにも言わんし、勝手にすればいい。何かあってもあいつなら乗り切る。それよりもまずは手稿の解読だ。手伝ってくれるんだろうジェーン・スミス?」
『ええハワード博士。ぜひとも、ミュンヒハウゼンの秘宝を見つけて頂戴』
完全な状態の手稿を読み進めていく。錬金術師たちによって翻訳されてはいるが、それでも難解なことに代わりはない。
それを一つ一つ丁寧に読み込んでいけば、おのずとミュンヒハウゼンの秘宝への道筋も見えてくるが、草の根を一つ一つ見ていく根気が必要だった。
それほどまでに胡乱で法螺が混じっている。無意味に見えて意味があり、意味があるようで意味がない。
この手稿の読み方というのは実に単純でありながらも、真実疑うようなものだった。
この手稿の読み方は法螺話を全て真実に。真実を全て法螺にして読むこと。いわば、ミュンヒハウゼン男爵のままに読み進めることだ。
しかして、これだけでは読み進めることはできない。真実を嘘に、嘘を真実に変えた後に立ちふさがるのは、複雑極まる錬金術師の暗号だ。
ミュンヒハウゼンが錬金術師であった何よりの証拠であり、複雑な暗号はそのまま錬金術師としての実力の高さを物語る。
それを読み進めるためには、こちらも錬金術師の力が必要だった。
『でも、それだけでは辿り着けなかった。地図がなくとも謎が解ければ、地図などなくとも行けると思っていた』
「だが、そうじゃなかった。ああそうだろうな。そうだろうとも」
『何を知っているの』
「俺は法螺吹き男爵について調べている。だいたいのことは知っているつもりさ」
ミュンヒハウゼン男爵。
その口から語られるあらゆることはすべてが虚構であり虚実であり虚栄でしかない。
貴族にして錬金術師にして、詐欺師でもあったという男。何が真実で何が嘘なのか、それは今ですらわかっていない。
あらゆる話に彼は登場しているし、登場していないともいえる。虚構の存在なのではないかとも言われたが、実在した人物だ。
「錬金術師にして、魔法使いにして、大貴族、あるいは詐欺師」
『千の名、千の貌を持つとも言われているわね』
だからこそ、手稿は彼自身だとハワードは言った。
この手稿はよくできている。解読するには錬金術師である必要があるが、錬金術師だけでは最後まで解読できない。
これを読むことが出来るのは法螺吹き男爵と同じ人間である必要がある。
『なるほど。彼は自分以外にこれを読ませたくなかった。だからこそ、自分にしか読めないようにした』
「そうだな。まあ、これを読むきっかけは父さんなんだが」
ジョージは紛れもなく天才である。
それは息子のハワードも認めるところだ。性格に難があるところもそうだが、彼は手稿の全文を見た瞬間に、それの読み方を看過した。
未知のことをつまびらかにする、それこそがジョージ・カートナーの至上命題なのだ。
『いいお父さんね』
「そうだね。そういうわけで、錬金術師だけでは読めない」
『必要なのは嘘つきと魔法使いと錬金術師、それと貴族ってわけね』
「生憎そう言った連中は全員いるたんでね」
道中でエレナと出会えたのは幸運だった。その出会いのおかげで、今こうしてこの手稿を読むことができている。
多くの事柄が書かれているように見える手稿であるが、その大部分は偽物であり、本当に大事な部分は一頁にも満たない。
「永遠など必要なく、必要なものは、既に揃っている。湖の中、眠るように沈め、さすれば道は開かれん。ただ一人の門を通るべし、聖なる杯を頼りに進め」
『湖の中央は、立ち入り禁止と聞いたことがあるわ』
「古くからのしきたりだそうだな。そこに何かあるな」
『案外単純ね。本当に合っているのかしら』
「謎なんてもんは案外、単純なもんだ。それに湖の中心には何かあるのはたしかさ。もともとこの辺りはミュンヒハウゼン男爵の領地だ。その後はカリオストロの名義になっているらしいがね」
『なるほど、確かに何かあるわね』
ともあれ、目的地は定まった。
「湖の中心。そこに何かある。そういうわけで、父さん?」
「ああ、わかっておるわ。一応、潜水用の装備を作っておいた。あとはどうとでもなるじゃろ」
部屋で作業中のジョージは、潜水服を作っている最中だ。
「ただいまー」
「う、ただ、いま」
そこに天窓からミシェーラとアンナが戻ってくる。
「戻ってきたか。ちょうどいいな。明日、ミュンヒハウゼン男爵の秘宝を探しに行くぞ」
「こっちは襲われて戻っていたばっかなんだけど。なんもないわけ?」
「問題なかっただろ」
「いいや、企業が出て来たからだいぶヤバイと思うわ」
だが、今から動くには遅い。夜に船を出すのは危険だ。ただでさえい湖の中央に何があるのかわからないのだから、夜に行くのは避けるべきだ。
よって翌朝、早くに地図が示す湖の中央へ向かうことにして、今から食事をする。宿の食事は、ここらでも名物だ。郷土料理のほかにも様々な料理をここでは出す。
「やはり人間まともな食事をすべきだな」
ジョージがテーブルについて紙エプロンをつけながらそういう。
「さあ、ハワード、早く頼むのだ」
「人の金だと思って」
そう言いながらも今日くらいはいいだろうと良いものを頼むことにする。コース料理といった高級料理ではなく、量の多いパスタなどといったもの。肉、魚、野菜。多くの料理を頼む。
「ん、おいし」
運ばれる端から食べていくのはアンナだ。庶民の宿であり、食堂酒場であるためテーブルマナーもなく好きなものを好きなだけ食べる。
両手にスプーンとフォークをぐーで握っていろいろな皿からかたっぱしだ。
いったいその小さな体のどこに入っているのかというくらいの食べっぷり。ここにいる客のほとんどが驚いている。
マナーが良い食べ方とはお世辞にもいえないだろう。だが、笑顔で頬張る姿は、料理のおいしさそのものであり、店にいる客は自然と喉を鳴らして自分も同じものを食べようと注文していた。
「…………」
それをハワードは注意深く観察していた。
「んー、アンナちゃんの食べっぷりはいいねぇ」
ミシェーラなどそれを見ているだけでお腹いっぱいになりそうだった。それでも彼女の場合、それほど食べる性質でもなし。
肉よりも魚。魚よりも野菜を食べる。彼女の野菜の食べ方は、アンナのそれと比べると芸術品のように美しかった。
「ミシェーラはよくもそんなもので育ったものだ。肉を食え肉を」
ジョージは肉肉肉。肉を皿に山盛りにしてミシェーラのふくよかな胸を見る。それから山盛りの肉をナイフで刻んで一切れずつ口へと運ぶ。
「ジョージさんったらもう」
「…………」
アンナはそれを見ながら、自分の胸に視線を落としていた。落ち込んでいるようである。
「――……なるほど。秘宝を手に入れるためには、手稿が必要か」
「なんじゃ、わかりきったことを言って」
「いや、なんでもないよ。それにしてもうまいな」
料理だけでなく酒も絶品だ。ここらの水は綺麗であるため酒もまた格別である。特にこの地方のワインはほかにない独特の風味がある。
良く喰らい良く飲んだ。部屋に戻った一行は、明日が早いためか、寝静まるのも早く部屋の明かりはすぐに消えた。
それを見計らい、影が動き出した。瓦斯街灯の明かりが照らさぬ暗がりの影から黒い思のたちが現れる。
その先頭を行くのは白を身に纏うヘルガ。
「手稿を奪うとしましょう。個人で勝てぬのならば数で。行きなさい」
影がするりと建物を囲んでいく。水路の支柱や壁を音もなく昇り、天窓を突き破り部屋の中へ入った瞬間、莫大な光が爆ぜた。
それはもはや見ることが出来ない太陽のような光。閃光弾の輝きであると認識した瞬間、通りに面した部屋の窓からハワードらが飛び出してくる。
「うぅう!」
それもハワード、ミシェーラ、ジョージを抱えたアンナが、だ。
「やっぱり来やがった。大丈夫か」
「う、だいじょぶ!」
「ケイヴァーライトでできる限り軽減してるから大丈夫と思うけど無理しないでね」
「あんまり揺らすんじゃない!」
『そうです。それとなぜ私が老人を上に乗せなければいけないのか』
労働種の身体能力を最大限発揮し、水路を足場に屋根から屋根へと飛び移っていく。
水路を蹴り、壁を蹴り、地面に足をつけることなく、水路の少ない湖畔方面へと向かっていく。
「さて、このまま行かせてあげるのもやぶさかじゃあないが、一応は仕事をしているというアピールはさせてもらおう。ごめんね。仔猫ちゃん」
高い時計塔の上からローガンは、ぴょんぴょんと跳びまわるアンナへと狙いをつける。
構えるのは長大な狙撃銃。蒸気を圧縮して封じ込めた重蒸気ボールを接続された通常の数倍以上もの蒸気圧を用いて弾丸を飛ばす蒸気狙撃銃だ。
音も少なく、何より蒸気圧縮技術によってその威力は火薬式をはるかに凌駕している。
スチム博士が氷河の下より採掘した特殊な液体によって発生した圧縮蒸気は満タン。
あとは威力の調整としてバルブをひねり、蒸気圧を調整してやれば装填された弾丸は飛翔する。
望遠レンズを何枚も入れ替えて視界を調整する。狙いは足だ。弾丸は最小、蒸気圧も最小。威力を弱めて足止めだけになるように調整して打つ。
「――!」
それすらもアンナは超感覚で反応して避けて見せる。
「狙撃か!」
「やるねぇ、仔猫ちゃん!」
だが、その程度予測できないローガンではない。偉大なりし女王陛下と未曾有の繁栄を手にする帝国を相手に犯罪を犯し、逃げ延びていない。
即座に修正。寧ろ、一発目を外したことによって、避けた先、必ず付くはずの蹴り脚を狙う。
「ぅぁ――!」
「アンナ!」
再び跳躍するための蹴り脚を掠る。当てるのではなく掠らせるというのは当てるよりも難しい。
だが、弾丸の衝撃はアンナへと伝播する。突然の蹴り脚への痛みによって水路の上からバランスを崩して落ちる。
幸いそれほど高い位置ではなかったために全員ほとんど怪我などはせずに受け身を取るが、これ以上の跳んでの逃走は不可能。
「あ、ぅ」
「こっちよ!」
いち早く着地し復帰したミシェーラはその辺にとまっていた自動車の窓ガラスをぶち破り強奪する。
バルベルビナの作り上、湖周辺は水路の幅が広く、水路の数も少なくなってくる。膨大な上流が、幅広な下流の流れへと集うように。大通りも目に見えて出現し、此処からならば車が使えるようになってくる。
目指す港まではまだ先だ。ここから先は車で逃げた方がいい。
「ほれ、はようのれ」
「アンナ、行くぞ」
「うい」
アンナを抱えて自動車へと乗り込む。
そこに黒い影がとびかかる。発進した自動車の屋根に張りつく影は、黒い装甲を身に纏った暗殺者だ。
軍あがりのハワードならばそれが企業複合体の暗殺部隊であることに気が付くことができた。企業複合体が本気を出してきたということだろう。
どれほどスピードを上げても、車を左右に揺らしても彼らは堕ちない。
「しつこい!」
「しっかりつかまってろ!」
ならば叩き落すまで。ハワードが構えるのは巨人殺し。
大砲の如き一撃を人間相手に使うのはやりすぎだと思われるが、企業複合体の影相手に使うのならば何一つ問題ではない。いいや、もしかしたら足りないまであるのだ。
躊躇いなく引き金を引き絞る。爆音とともに発射された弾頭は車の屋根を粉々にして後方へと影を吹き飛ばす。
それでもなお、影は立ち上がるのだから、そのおそろしさがわかるだろう。
乗っていたやつと落とせば追ってくる者はいない。ハワードらはそのまま予定を繰り上げて夜の湖へと船を出した。
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