第3話

 ミッドエンド地区三番地のアパルトメント。

 このアパルトメントはその全てがハワードの父、ジョージ・カートナーが所有する物件だ。よく爆発するため発破住宅などと呼ばれている。


 そのために、近隣に住む者は誰もいない。彼にとっては好都合であり、さらに実験が激化したのはいうまでもない。


「じゃあ、ガレージに停めてくるわ。先に入ってて」

「ああ」


 ミシェーラと別れると途端にこの地区の寂しさが身に染みてくる。吹き抜ける風も中央地区と同じはずが冷たいような気がする。

 人通りもなく、いるのは暗がりにいる浮浪者と塀の上にたむろしている黒猫くらいだ。


 それらはただそこに蹲るか、座り込んでいるだけであるために音を立てない。

 風の音と遠くに聞える機関群の駆動音だけがここが廃墟でないという証であるが、それだけでは寂しさを紛らわせるには足りないだろう。


 ハワードは左手で軋む扉を開けて中に入る。エントランスの床も軋む。ハワードが出かけている間ずっと掃除をしていなかったのか酷く埃っぽい。

 機関灯のわずかな明かり照らされて埃が宙を舞っているのが良くわかった。


 集合住宅であった頃の名残であるポストの一つには定期購読している日刊新聞の束や、広告がぎっしりと詰まっている。

 緑の掲示板はすっかりと皮がはがれており、かつては大家が貼っていたゴミ出しの日のビラはなく、ダーツが一本だけ刺さっていた。


「帰ったよ、父さん!」


 コート掛けにコートと帽子をかけながら父を呼ぶ。しかし、呼びかけた声に応える声は帰ってこない。

 また奥で発明に夢中になっているのだろう。集中すると周りの声が聞こえなくなる人だから。


 そんなことをハワードは思いながら、さっさと報告を済ませてしまおうと父のいる工房に向おうとしたが、ふと裏口の前にみすぼらしいボロ布があることに気が付いた。


「また父さんが出しっぱなしにしたのか? ――いや、違う」


 近づいてみてそれが、ボロ布を纏った少女であることに気が付いた。

 腰裏のホルスターに収められた拳銃を握りいつでも抜けるようにしながら近づいて行く。軋む床がひどく煩わしかった。


 近づいてくるとわかる獣の耳。片耳に切れ込みのある三角形の黒猫の耳だ。それから人で言う尾てい骨の当たりから延びている尻尾。


「なるほど、警察(ヤード)の連中が探しているのはこいつか」


 それらの特徴は紛れもない労働種のものだ。警察が追い回しているのは十中八九この少女であろう。

 完全に眠っていることを確認するとハワードは銃から手を離した。


「なにしてるの?」


 そこに車をガレージに置いたミシェーラがやってくる。彼女もすぐにハワードの視線の先にある労働種の少女に気が付いた。


「その子」

「ああ、おまえが言ってた労働種だろう」

「まさかこんなところに逃げ込んでいるなんて」

「父さんは何をしていたんだ」

「とにかくこのままにしておけないわね。部屋に運びましょう」


 同意したハワードは起こさないように少女を抱え上げると二階にある空き部屋のベッドまで運ぶ。

 よほど疲れているのだろう。感覚が鋭いとされる労働種にここまで接近し、あまつさえ抱え上げても目覚める気配はなかった。


「それで、これから――」


 これからどうするというミシェーラの言葉を遮るようにアパルトメント全体に爆音と振動が響き渡った。まさしく何かが爆発したようであった。


「なんだ!」


 その爆発は、どうやらというややはりというかこのアパルトメントの中で起きたようだ。黒煙が地下室から昇ってきている。

 同時に、そこから大声をあげながら誰かが飛び出してきた。多機能単眼ゴーグルにぼろぼろのすすけた白衣を身に纏った白髪の男だ。

 大声をあげながらエントランスを走り回っている。


「出来たぞー!」

「父さん!」


 ハワードは、労働種の少女をミシェーラに任せてエントランスへと階段を駆け下りる。今は状況の把握が先決だった。

 といってもどうぜジョージがなにかやらかしたのだろうと思っていたが。


「おお! 我が息子ハワードよ! ついに完成したのだ!」

「完成したって何が」

「タイムマシンだ」

「なんだって?」


 ハワードは己の耳を疑った。

 今、何やらとんでもないことが聞こえた気がしたのだ。そして、それは気のせいなどではなかった。


「タイムマシンだ。時間旅行装置! 人類の夢! それがついに、完成したんだ! 

 次元転移装置の理論は出来ていたんだが、問題はそれを起動させるためのエネルギーだった。簡単なことだったんだよ。未加工の制限なしスチームライトを直接入れることによってそれを捻出することに成功したのだ」

「とりあえず、落ち着いてくれ父さん。いや、待ってくれ。今、未加工のスチームライトと言ったのか?」

「その通りだ」

「そんなものいったいどこから」


 市場に出回るのは企業が加工したスチームライトのみだ。未加工のスチームライトなど絶対に出回らない。

 それは単純に危険だからだ。今なお黒煙を上げる地下室を見ればわかるとおり、未加工のスチームライトは強すぎてすぐに爆発する。


 それゆえに普段は加工されて世に出回る。未加工が出回ることはない。

 いくらマッドサイエンティストであり、謎のつてを持つハワードの父ジョージであっても、そんなもの入手しようがない。


「ああ、裏口で転がっていた労働種が持っていたからな。ちょいと拝借した」


 だからこそ、そのあんまりな回答にハワードは膝をついて嘆きたくなる。

 ジョージはあろうことか、労働種を見つけて通報するという市民の義務を怠ったあまりか、違法なスチームライトを入手してそれを実験に使ったのだ。


 これが表沙汰になれば逮捕どころ問題ではない。入ってしまえば二度とでることはないとされる、マングレイル沖の監獄送りだってあり得る。


「とにかくその装置を片付けないと」


 このアパルトメントは爆発することで有名であるため、この程度では警察は来ない。

 だが、万が一ということもある。未加工のスチームライトなどすべて処分しておかなくてはならない。


「ああ、それなら大丈夫だ。もうタイムマシンはないぞ」

「ない?」

「ああそうだとも。起動実験に成功して理論が正しいことがわかり、ちゃんと開発できたからぶっ壊した。次の装置を発明するのに邪魔だったからな」

「…………良し、じゃあ父さんあの労働種をどうにかしないと」


 なんだかもういろいろと言いたいことはあったがそれらは全部いつものように流す。この程度で躓いていてはジョージとは付き合えない。


「そうじゃな。とりあえず、服は必要だろうな。あんなボロでは年頃の乙女として失格だろう」

「なんだって?」


 ハワードは再び、己の耳を疑うことになった。


「服だよ。着るものだ。まさか、年頃の娘さんを裸でおいておくのか? そうだとすると、わしの息子ながら悪趣味と言わざるを得ないぞ」

「そういうことじゃない! それじゃあ、まるでうちで引き取るみたいに聞こえるんだが」

「そうだが? 彼女は我が実験を成功させた立役者だ。いうなれば神が遣わした発明の天使だ! そんな存在を警察に引き渡すなんて言語道断だろう。どうせ殺されるだろうしな」

「いや、だからって匿ったらこっちがつかまるんだぞ」

「もちろん、わしがそんなこともわからないはずもないだろう?」


 ジョージが白衣の懐から取り出したのは一枚のパンチカードだった。

 厚手の紙に穴を開けることで、その位置や有無から情報を記録するカード。

 今ジョージが持っているのは鋼鉄製の、少なくとも取得するには数か月前に申請しなければ届かないものだった。


「身分証か?」


 穴の位置と穿ち方からある程度の情報がわかる。

 そこに書かれているのは身分証だった。それもこの少女の。


「もちろんだ。偽造じゃあないぞ。正規の書類だ。今朝届いた」

「でも、申請したって発行には数か月かかるはず。それにこれを作るには役所の出生記録だって必要なはずだ」

「言っただろう? タイムマシンを作ったと」


 ジョージは、タイムマシンを使って過去に飛び、少女の出生記録などを用意したのだ。そして、今日この日に届くように身分証の発行手続きを行った。


「身分は君の娘だ。名前はアンナ。可愛いだろう?」

「いや、待ってくれ何を勝手に」


 確かにパンチカードに記された少女の名前はアンナであり、その身分はハワードの娘ということになっている。


 母親はご丁寧に不明ということにしてある。この時代で親が不明なのはよくあるため怪しまれることはない。


「設定はこうだ。彼女はおまえと娼婦との間に出来た子供だ」


 一部のマニアックな趣味嗜好を持つ紳士の方々のために、そういうことに特化した労働種というものは存在している。

 子供をはらませたうえでヤりたいという実に変態な紳士もいるために、人間との間に子供が作れる労働種も少なくない。


 ハワードはその手の娼婦とあたり、デキてしまった。母親は出産の際に死亡。善良なハワードはその娘を引き取った。

 これが、ジョージが考えたあの労働種の少女、アンナの設定である。


「勘弁してくれ……」


 ハワードからしたらまさしく、よくわからないうちに子供が出来ていた娼館通いの変態の下に見知らぬ娘が訪ねてきたのとまさに同じ気分である。

 いや、実際にその通りなのだが。


「諦めるんだな。無辜の子供の命が一人助かるんだ、その犠牲、代価と思うんだ。

 なに、おまえは今、良いことをしている。おまえだってこのまま通報するつもりはなかったんだろう?」

「…………」


 無言は肯定の証だ。

 ハワードとて、このまま通報するつもりはなかった。偽善でしかないが、ここまで逃げてきたか弱い少女を無慈悲に突きだすというのは目覚めが悪い。


 だから、当面の食料を与えて放ってやろうなどと思っていたのだ。それが、予想の斜め上どころか成層圏を突き抜けた展開になるとは思っても見なかった。


「おまえの悪い癖だな。捨てられた犬猫を可哀想といい一瞬助けるが、その後は関係ないとするのは」

「面倒が嫌いなんだ。わかるだろう?」

「まさしく偽善よな。それでいて最後には首を突っ込むんだから。そういうわけだからわしが一肌脱いだのよ。素直に助けると良い」

「…………わかった」

「よしよし人間素直が一番じゃ。さて、ミシェーラが来ておるじゃろう? 事情を説明してあの子の服を買ってきてもらわんとな」


 そういうわけで事情をミシェーラに説明すると。


「――いいわ! すっごくかわいいの買って来てあげる!」


 ノリノリで服を買いに行ってしまった。


「じゃあ、わしは片付けがあるから、あとはおまえから説明しておくんじゃぞ」


 そして、ジョージも地下室に戻りハワードだけが残された。

 ハワードは改めてベッドに横渡る少女を見る。

 閉じられた瞼から流れ出す涙。血まみれの足。酷使したのだろう腫れあがった脚。


 必死だったのだろう。逃げて、逃げて、逃げてここで力尽きたのだ。ここで眠っていられるということは、いったいどれほどの幸運だったのだろうか。

 ハワードは頭をかいて、アンナが起きるのを待つ。少女が起きたのはそれから数時間後であった。

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