第4話
「――――!」
目を覚ますと同時にアンナは飛び起きた。ぴくりと耳に響いたのは機械音。歯車が回り蒸気が循環する
追手かと思いまさしく言葉通りに飛び起きた。足の痛みなど意に介さずに逃げようとした。
「まあ、待て」
その方をがっしりとした腕が掴み取る。
「はな、して!」
暴れるががっしりとした右腕は労働種の膂力をもってしても引きはがすことが出来ない。それでいて手加減されているのかアンナの身体には一切の傷も与えてはいなかった。
「落ち着け。俺はハワード。大丈夫だ。ここは安全だ」
「あん、ぜん……?」
しかし、アンナはそう言われても油断はできなかった。
尾や耳の毛が逆立っていた。その理由は決して彼の腰裏のホルスターにある銃のせいか。
大口径リボルバー。それは、アンナは知る由もないがその銃は、工場生産がほとんどの時代で職人の手作業で部品の一つ一つを作られた銃である。
名を
文字通りの意味で、その名の通り古の幻想の中に存在する巨人すらも殺しうるほどの威力を持つという触れ込みの拳銃だ。
しかし、油断できないのはその銃の威力を本能が嗅ぎ分けたからではない。労働種であるアンナにとっては銃を向けられて撃鉄をおろし引き金を引くまでの短い間で逃げることが出来る。
だが労働種としての野生の本能が告げていたのだ、逃げられないと。鋭い嗅覚と聴覚が男の右腕に気を付けろ。そう言っている。
「ほう、こいつに気がつくとは労働種は大したもんだな。だが、安心しろ。おまえになにかするつもりならおまえが寝ている間にするだろ?」
「…………」
「わかったのなら座ってくれるか? これからの話をしたい。大丈夫だ。おまえを警察に突き出したりはしないよ」
アンナにはハワードの言葉が本心からの言葉かはさておいて、人が嘘をついてないかどうかがわかる。
嘘をつけば人は少なからず汗をかく。そのわずかな匂いの変化を感じ取れば嘘をついているかどうかがわかる。
ハワードの言葉に嘘はない。少なくとも今の段階では。だから、アンナは警戒をしつつも座った。
「いい子だ。まずおまえのことなんだが、おまえは今日から俺の娘になった」
ハワードは先ほどジョージに聞いた設定を全て語って聞かせた。わからないところはわかるようにかみ砕いてやり、教育を受けていないアンナに理解させた。
これはなによりも重要なことだからだ。いくら周りが設定を理解していても、本人が理解していないのでは意味がない。
だからこそ、じっくりとハワードはアンナに理解させた。
「わかったか?」
「どうして……?」
「成り行き、だな。なんだ? おまえはここにいたくないのか? 鉱山に戻りたいと?」
アンナは首を振った。もう二度と鉱山には戻りたくなかった。
「いっぱい、しぬ。あそこ、もう、いやだ」
たどたどしくも戻りたくないと彼女は言った。
「なら、好きにすると良い。もう決まってしまったからな。文句は父さんに言ってくれ。ああ、そうだ。おまえの名前はこれからアンナだ」
「あん、な?」
「そう、アンナだ」
「アンナ……アンナ……」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
「なん……で、うぐ、ひっく、ひっく――」
とめどなく溢れ出し拭っても拭っても止まらない。
「ああ、泣くなよ、まるで俺が泣かせたみたいだ」
「ごめ、ごめんなさ、い」
「別に謝る必要はない。そうだ。飯はいるか? お腹空いてるだろ」
そう聞くと同時にぐぅとなるアンナのお腹。
「あぅ」
「正直だな。パンでももってきてやろう」
頭を左手でがしがしと撫でて、ハワードは一度キッチンにまで降りる。
「ただいまー」
ちょうどミシェーラも戻ってきたようだ。
その両手には、抱えきれないほどに大量の大荷物が積み上げられていた。
「おいおい、大丈夫か」
このままではこけてしまいそうな彼女を心配してハワードがいくらか預かると、箱と袋に隠れていた彼女の顔が見えるようになる。
「ありがと。これから生活するのならいっぱい必要なものがあると思って買ってたらこうなっちゃった。はい、これ領収書」
そう言って渡されるのは、領収書のパンチカード。あて先はハワードだった。
「おい、待て、この値段! まったく」
「研究資金あるでしょー? そっから出しておいて。まあ、アンナちゃん起きたのね! おはよう。私はミシェーラ。よろしくね?」
「あぃ」
「それじゃあ、着替えましょうか。その服じゃ、脱走したってバレちゃうから」
今アンナが来ているのは、作業着という名のボロ布だ。下着もない。
「女の子がいつまでもそんな恰好じゃ恥ずかしいものね」
そう言って彼女を部屋に連れていく。
「あ、部屋ってここでいいのかしら? ついでに色々と模様替えとかしてしまおうと思うのだけど」
「ああ、俺は構わない」
「そ、ならやらせてもらうわ」
ハワードはアンナを任せて自室に戻ることにする。エントランスに置きっぱなしであったトランクを持って一階の管理人室へ。そこがハワードの自室だった。
最も広い部屋であるはずの管理人室であったが、そこは今や多くの書棚や物品によって占領されている状態であった。
どこか古代の遺物めいた物品や古文書なども多くあり、窓は木の板で完全にふさがれ中は薄暗い。
ハワードは作業台の上に置かれた小型機関灯をつけ、トランクを書類でいっぱいの作業台の上に置く。
中から取り出すのは一つの紙束だ。古ぼけた羊皮紙の束にはびっしりと文字が書かれている。また時折、謎の奇妙な絵もある。
それは既存の文字ではない。あらゆる国の言語と照らし合わせても該当しないことが帰りの列車の中で確認したのでわかっている。
「だが、必ず意味があるはずだ」
「それだけか?」
手稿を見てい要ると、突然にゅっと横から手が出てきて手稿を奪い去っていく。
「父さん。入るのならノックしてくれと言っているだろう」
「細かいことを気にするな。それで、これが成果か」
「ああ。父さんの予想とは違ってこれだけだよ。大外れ」
「おかしい。絶対あの屋敷にミュンヒハウゼンの秘宝があると思ったのだが」
ミュンヒハウゼン。虚構、虚実の法螺吹き男爵。
そう呼ばれる男が残したとされる秘宝の伝説は、考古学者界ではそれなりに有名な話である。
かつて、ミュンヒハウゼンという貴族がいた。彼は話術に秀でており、男爵と言う低い爵位でありながらも一時期社交界の中心にあった人物だ。同時に詐欺師であったとも言われており、貴族を相手に莫大な量の宝石など金銀財宝を手に入れたという。
彼の死後、多くの者がそれを探し求めた。莫大な財宝。探さない手はない。特に下層市民の労働者たちはこぞってその財宝を探したという話だ。
しかし、今日にいたるまで発見の報告はない。しまいには、その財宝の話すら彼が流した法螺話だとすら言われている。考古学者であるハワードは、大学時代に世話になった考古学の恩師からの依頼によってそれを探している。
財宝の中には、ミュンヒハウゼン男爵が集めた古代の遺物も入っているのだという。
恩師の狙いはそちらだった。高齢である彼は自らで探しに行くことは出来ない。だからハワードに依頼をしたのである。
ハワードの父であるジョージは、純粋に興味で協力している。発明と知的好奇心を満たす事だけが彼の人生と標榜する彼らしい理由だ。
「あったのはこの謎の手稿だけだったよ」
「なるほど。もしかすると、それがミュンヒハウゼンの秘宝に繋がるヒントかもしれん。友人の言語学者に見せてみよう。しかし、なぜそれを早く言わん」
「そうするつもりで父さんに相談しようとしたら、あんなことをしてたんだろう」
「過去を嘆くのはまだ早いぞ。さあ、なにをしている行くぞ」
「わかったわかった」
父に何を言っても無駄なことを心得ているハワードは、出したばかりの手稿をトランクに手稿を戻してジョージについて部屋を出る。
「あら、出かけるの? ちょうどいいわ、見てよ」
エントランスに行ったところでアンナの着替えを終えたミシェーラが階段を下りてきているところであった。
その後ろには件のアンナがいる。ミシェーラのパワーに負けて色々とされたのだろう。
すっかりと浮浪者じみた労働種特有の薄汚れた姿ではなくなっていたものの疲れた様子である。
全体として黒を基調とした服装は、ミシェーラがアンナの髪色に合わせたのだろう。
ふわふわとしたフリルをあしらったケープとワンピースドレスに耳を隠すためだろう大きなヘッドドレスをつけている。
可愛らしいという感想を見る者に与える。そういった服装になれていない初々しくもいじらしい反応がさらにかわいらしさを増長させていた。
「どうかしら。可愛いでしょう?」
「ああ。だが、その眼帯はなんだ?」
アンナは左目には少しだけ大きな眼帯をつけていた。
「この子両目で目の色が違うの。青はいいけれど左目は黄金色をしているのよ」
「確かにそれは目立つな」
両目で色違いなどという情報は企業も把握している。そのまま表に出していては捕まえてくださいと言っているようなものだ。
だから、それを隠すために眼帯をしている。今の時代、身体の負傷は珍しくもない。蒸気機関文明の歴史は医療技術の発展の歴史でもある。
街を歩く子供の中にも手足や指をなくした子供たちは多い。金のあるものは義手や義足をつけているが、金のない者はそのままだ。
だから眼帯をつけていても怪しまれることはない。
「なにをしているハワード、早く行くぞ! ――おお、ミシェーラ丁度良い、運転を頼む」
「どこまで?」
「アンテルシア大学だ」
アパルトメントを出たハワードたちは、再び車に乗りアンテルシア中央区までやってきていた。
ミシェーラの運転で全員が出張ってしまうためにアンナも一緒についてきている。車や馬車、人通りの多いセントラル通りを進む蒸気自動車の速度はそれほどでもなくゆったりと進む自動車の後部座席からアンナは周りの景色を物珍しそうに見ていた。
「珍しいか」
「…………」
ハワードの問いかけに彼女は頷く。生まれて初めて、企業の監視員ではない大量の人間を見た。
「……これが、そと。あれは、なに?」
「なんだ?」
「あれ」
アンナが指さしたのは、紙芝居屋であった。時折、子供たちの為に話をする者のことだ。
「紙芝居屋だな」
「かみしばい?」
「ああ、お話だよ。色々な物語を聞くことが出来るんだ」
「おはなし、ものがたり……」
かみしめるようにつぶやくアンナ。
「ん?」
不意に彼女の嗅覚に甘い匂いが漂ってくる。すんと鼻をならせばどこから香りが来るのかわかる。
「この、においは?」
「匂い?」
「……あっち、から」
「ん? ああ――ミシェーラ少し停めてくれ」
「了解」
ミシェーラが道端に蒸気自動車を止めると、ハワードは車から降りる。しばらくして紙袋を手に戻ってきた。
「悪い。出してくれ」
「まったくなんだというんだ」
「はいはい、行きますよ」
再びミシェーラの運転で蒸気自動車は発進する。
「ほら」
ハワードは持っていた紙袋をアンナに渡す。
「?」
首をかしげながらも袋を開けると甘い匂いが鼻腔をくすぐる。中を見ると、そこの入っているのはパイであった。
甘い甘い蜂蜜のパイだ。
「どう、して?」
「ん? 食べたいんじゃないのか?」
「あげられるもの、ない」
「子供が気にするんじゃない。それに、書類上ではおまえは俺の娘だからな。娘にお菓子を買ってやるのは不自然じゃない。ほら、食べるんだ。甘くておいしいぞ?」
やりすぎただろうかと一瞬ハワードは不安になる。確かに書類上は娘であるが、あくまでそれは設定である。
情もそれほどあるわけではないが、カバーとしてはこういう行動をしておいた方がいい。そう合理的な判断もあるが、何より子供に甘いのだ、彼は。
「…………」
おずおずと一口目を食べるアンナ。
「――――!」
一瞬にして彼女の目の色が変わる。
宝石のようにきらきらと光っているかのようであった。瞬く間のうちに彼女の手の中にあった一切れは彼女の口の中へ。
さくさくとした生地と控えめながらもコクのある甘味となって彼女の胃袋の中へと落ちていった。
「おいしいか?」
「おいしい、これが……うん、おいしい」
「そうか。そいつは良かった」
ハワードは左手でアンナの頭を撫でてやる。
「うぃ」
「わしの分はないのか?」
「ないよ」
「なんじゃ、ケチくさい。天才の頭脳労働には糖分が必須だというのに」
なら自分で買えばいいと自分の分がないことに文句をいうジョージに返しながらハワードは手稿について考える。言語学者に見せて解読できるとも思えない。
その時にどうするかを考える。恩師の為にも見つけたいとは思うが、今は、完全に手詰まりになりつつある。
どうにかしなければならない。
「ん……」
ふと服の裾を引かれる。
「どうしたアンナ?」
「いやなにおい」
「嫌な臭い? まさか、ガス漏れか?」
「ちがう……後ろ」
「うし――っ!?」
その時、猛スピードで後ろから車が追突してきた。
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