あなたが泣き止むまで

長門拓

あなたが泣き止むまで



 それはとある山間やまあいの不便な村でのことでした。

 戸数は二十あまり、人口は百に満たない村落です。都心部からも街道からも離れており、一応地図には載っていますが、余程の物好きでもない限り、誰も立ち入らないような場所にあります。これといった名産品もありませんし、早晩村自体が消滅するのも時間の問題でしょう。

 こんな風に自分の村を自虐的に分析するのも、あまり気持ちの良いものではありませんね。そうです。私はこの村で生まれ育ちました。十六歳のうら若き乙女です。

 自分で言うのも何ですが、こんな辺鄙な村には勿体ないぐらいの美貌であると自負しています。王侯貴族の眼に触れる機会さえあれば、彼らのハートを鷲掴み、思うままに操ってみせる自信があるのです。

 とまあ、ここまでで察しのいい方はわかるでしょうが、あまり性格はよろしくありません。お高く止まっているとよく言われます。少々歪んでます。わはは。

 こんな話ばかりするのも何ですので、早速本題に入りましょう。

 こんな辺鄙な村落には勿体ないぐらいの美貌の持ち主たる私ですが(しつこい)、こともあろうに、私としたことが、何と言うか悔しいことに、ある男性に心を奪われてしまったのです。

 しかもその男は、幼い頃からの幼なじみの、自宅の斜向かいに住んでいる、まあ平凡な十六歳の青年です。ごく普通のモブキャラです。これといった特技もありません。九歳までおねしょをしていたことも知っています。ええ、何でも知っています。なのに、ああなのに。

 胸ってこんなにきゅんと痛くなるものなんですね。しんみり。


 事の起こりは葬式の終わった帰りの道のことでした。

 何となくクサクサする気分でしたので、そこら辺の適当な男を見繕って、こっそり人目に触れない納屋か何処かでよろしくしてやろうかな、と物色していた所です。人間、こんな風になってもまだ習慣というものは抜け切らないものなんですね。すぐに空しくなりましたよ。

 まあわかっていたことですが、今夜の葬式、実に陽気なものでした。見え得る限りでは、誰も泣いてないようです。まあわかっていたことですが。

 でもあまりに陽気すぎやしませんか。何も泣き真似やら演技やらをしろと言っているのではありませんが、少しは故人の尊厳とやらを考えてもいいのではなかろうかしら。あら、このおじさま、お酒が入ってらっしゃる。

 私がよくそういうことに利用する、いわゆる人目につかない納屋を覗きに行ったら、先客がいました。しかも複数です。あらやだいやらしいこと。もう始めてるのねこの人たち。

 ひそひそ会話が聞こえてきました。

「あんたやっぱりがっかりしてんじゃない」

「馬鹿言え。お前以上の女はいねえよ」

「どうだか。あんただって何回もあいつと関係してたって皆知ってるわよ」

「別に大したこたぁなかったよ。向こうが色目使ってきたから乗ってやっただけさ。お前ほどいろいろしてくれる女なんて、何処にもいねえよ」

 この調子ではまだまだ続きそうです。はじける哄笑こうしょうただれた熱気。まあ人のことは言えませんがねー。

 暗い夜道を一人、とぼとぼと家に向かって歩きます。折りしも今夜は七夕なのですが、いつからか願い事を短冊に書く習慣も無くなりました。夜空を横断する天の川を見ながら、ふと思い出したことがあります。たわいもない、昔のことです。


 記憶の中で私は泣いていました。まだ五つにもならない幼子です。

 辺りはとっぷりと暮れ落ちて、いわゆる黄昏刻です。

 私はなかなか泣き止みません。側には誰もいません。

 でも、しばらくすると、

「なんで泣いてるんだよー」

「……ぐすっ、うえぇん……」

「うわ、お前鼻水だらけだぞ。きったねえなー」

 嫌な奴だとこども心に思いました。

「……別に、あんたなんかに……どう思われたって、ぐすっ……」

「お前友達いねえもんな。態度がナマイキってよく言われてるぞ」

 この頃からこんな性格だったのですね私。

「ほんとどうしようもねえなーお前。しようがねえから、俺が泣き止むまでついててやるよ」

「……」

 まあそれからどうなったかと言うと、別にたいしたことはありませんでした。私はなかなか泣き止まなかったし、そいつはあくびしたりして見るからに退屈そうにしてたのです。

 でも、泣き止むまで側にいてくれたことだけは確かでした。


 私は自宅に戻る前に、こっそり斜向かいの粗末な屋敷に向かいました。

 まあ、ネタバレしますとね、その思い出の男の子の家だったりします。

 そういえば、葬式に彼奴の姿がなかったことに思い当たりました。

 いえいえ別に彼奴のことが気になるわけではありませんよ。ただ、何となく、まあ、その、少し、ほんのちょびっと気になるだけです。あ、説得力ゼロですねこれ。

 その屋敷には明りが点いていませんでした。ドアが開け放しだったので中には誰でも自由に入れそうです。んで、入りました。不法侵入です。

 彼奴の部屋が何処なのかは知りませんから、隅からひとつひとつしらみつぶしに覗いていきます。いよいよ犯罪っぽくなって来ました。わくわくします。

 階段を上り、すぐ脇にある部屋がどうやら彼奴の自室のようです。何故ってそりゃあ、見ればわかります。


 『太一の部屋』


という札が掛かっているのですから。

「おじゃましまーす」

 元気よく挨拶しながら入りました。

 太一はベッドに横たわっていました。寝ていました。ただ変なのは、何か不規則な声を立てています。鼻をすするような音も聞こえました。

 覗き込んだら、顔中が涙と鼻水でしわくちゃの模様でした。

「泣き寝?」

 怖い夢でも見ているのでしょうか。男のくせにみっともないったらありゃしません。ただ、その時彼が一言、こう言うのが聞こえてしまいました。

「めぐみ……」

 うん……?めぐみ?

 えっと、この村でめぐみといったら、恐らく私だけでしょう。あれまあ、どういうことかしら。あれ?

「……どうして、あんなことに……」

 

 私の父は優しい人でしたが、ロクな仕事に就けずに、酒や賭博に手を出しては、借金が嵩んでいく体質だったようです。そんな中である日、山の中で首吊りをした状態で発見されました。

 誰もが自殺だと思いました。私は頑是無がんぜないこどもでしたから、誰も事実を教えてくれません。ただ、母に一言、お父さんはもう帰ってこない、とだけ告げられました。

 お父さんの為に泣いたのは私だけだったのでしょうか。多分そうでしょう。母は形だけの葬式をつつがなく終えてから、村の大地主の大旦那様のところに嫁ぎました。父がこしらえた借金を全部ご破算にするために、母が身を売ったという形です。だけど、私は知っていました。父が生きていた頃から、母はその大旦那とたびたび会っていたのです。

 でも、そうした因果関係を順序立てて考えられるほど、まだ大人ではありませんでした。私は、ただ父の為に泣くことしかできなかったのです。

 太一が、私の側にいてくれたのは、そんな頃でした。


 太一は涙に濡れた顔で寝息を立てています。

「私の為に、泣いてくれてるのかしら……」

 まあ複雑な感情でした。村の男とならほとんど関係を持っている私です。こんな私に、太一はもうとっくに愛想を尽かしているものとばかり思っていましたから。

 あ、変な気分ですね。何かこう、後ろめたいような、苦しいような、でもちょっと嬉しいような、そんな感じです。

「……バカなんだから」

 太一はあの時のままなんですね。まっすぐで、ぶっきらぼうで、でも、そこそこ優しくて。

「今日は、私がそばにいてあげるよ」

 太一。あなたが泣き止むまで。


 私が少女でなくなったのは十三歳の時でした。母が嫁いだ大旦那様は、それなりの数の下男、下女を抱えていまして、私はその中の一人に無理やり押し倒されました。もう三十路になろうかという青年でした。ただ怖かった、痛かったという記憶しかありません。

 翌日、噂は家中に広まっていました。大旦那様の耳にも入ったようですが、

「血は争えんわな」

とだけ言って大笑いしておりました。淫売の子は淫売、そんな声も聞こえてきました。

 その青年はその後も度々、私と関係を迫ってきました。私は殴られるのが怖さに抵抗できずに、なされるがままでした。

 その後、男の数は増えていきました。娯楽の少ない僻地へきちのことです。歯止めの利かなくなっている感がありありと出てました。

 三年が経ちました。思春期真っ盛りの私に対して、男たちのけん制し合う雰囲気を感じ取れるようにもなりました。男をあしらうことも覚えました。随分とふてぶてしくなったものです。でも、この方が楽でしたからね。

 大旦那様が性的な目で私を見るようになったのもこの頃からです。私は止せばいいのに、機会のあるごとにこっそりと挑発しました。狙い通り、私の寝所にやってきました。

 大旦那様が私にご執心なのが家中の誰にもわかるようになりました。それからです。母の私を見る目が、娘ではなく、同性の敵を見るような目つきになったのは。

 初めは機嫌の悪いという程度でした。話しかけても返事が返ってこないようになり、私をあからさまに避けるようになりました。とどめは寝所での大旦那の一言です。

「俺の女房になるか」

 聞き耳を立てていた母がふすまの陰から跳び込んで来ました。手には包丁を持っています。


 それから先は、よく覚えていません。大旦那は割と軽傷で済んだようです。


 まさか母の手によって殺されることになろうとは、お釈迦様でも知りませなんだ。

 でも、その母も私を殺してすぐさま、気が触れたのか、叫びながら屋敷の近くの崖から身を投じたらしいのです。

 私はようやく父の仇を討てた気がしたものでした。証拠はありませんが、父を自殺に見せかけて殺したのは、母だと知ってましたからね。


 もう心残りはありません。そのつもりでした。


 だけど、太一の泣き顔を見て、何となくこのまま成仏できなくなりました。


 翌日。

 朝がやってきても太一はベッドから動こうとしません。私は一晩中、彼の側にいました。

 私はもう死んでいるので、彼には私の姿も見えないし声も聞こえないのです。

 昼頃になって、ようやく彼が起き出しました。寝巻きを着替え、顔を洗い出しました。いきなり外出かしら。一晩中泣き寝していたとは思えないほど、てきぱきとした動作です。

 彼は台所に向かいました。何か食べようとでも言うのでしょうか。

 太一はコップに水を汲み、一息に飲み干しました。それから口を拭い、水屋の中からおもむろに包丁を取り出しました。あらま、物騒な。

 その包丁を布でぐるぐるに巻き、懐に入れて彼は外に出ました。日光に照らされて、血走った目が怖いぐらいです。歩いていく先はすぐに見当がつきました。

「ちょっとー!思い直しなさい太一ー!あんたがこれから何をしようとしているか、大体見当がついたけど、それだけはやめときなさーい!大旦那の評判も大分下がったし、後は社会的制裁とやらに委ねましょー!」

 もちろん聞こえませんね、はい。

 太一はまっしぐらに大旦那の屋敷に向かっています。やばい、本気だこの人。

 屋敷に到着するなり土足で上がりこみ、下女やら下男やらの制止を振り切って、一目散に大旦那の寝ている寝室に向かいます。

 太一はふすまを開け放ちました。大旦那の顔と腕は包帯が大げさに巻いてあります。

「なんだお前は!」

 何も言わずに太一はおもむろに懐からブツを取り出し、ギラリと刀身をむき出しにしました。この短い期間で、二度も命の危険にさらされるなど、大旦那もよくよくついてないお人です。

 もう一刻の猶予もありませんね。修羅場しゅらばです。カチコミです。

 私は一心に念じながら、太一の前に立ちふさがりました。見えないと知りながら。

 太一は包丁を逆手に持ち、部屋の隅に後ずさりする大旦那めがけて、振り下ろしました。

 

 しかし、包丁は大旦那の脇をかすめただけで、外れました。

 いいえ、正確には外れさせたのです。私が。

「助けてくれ……金ならいくらでも出してやるから……」

 某ハードボイルド漫画のスナイパーに真っ先に殺されそうな悪役のセリフです。

「……俺の邪魔をするのは、誰だ……!」


「太一!目を覚ましなさい」


 そんな声を頭の中に響かせました。

 太一は信じられないという風に、目を丸くしました。

「……めぐみ?めぐみか?」

「そうよ、あなたの知っているめぐみよ!」

「本当にめぐみなのか?」

 私は構わず続けました。

「そんなヤツの為に、あなたの人生を狂わせることはないわ」

「……」

「太一!」

「……でも、元はといえばこいつがお前の人生を狂わせたんだ!」

 太一は宙に向かって叫んでいます。傍目にはアレな人に映ったことでしょう。

「そうであっても、私がそうはさせない」

「どうしてそいつをかばうんだ!」

「こんな奴はどうでもいいの!私はあなたを守りたい。そのためなら、どんな手を使ってでもあなたを止める」

 太一の手が震えています。少しでも手を抜いたら、大旦那の命はありません。

「覚えてる?こどもの時のこと。あの時、あなたが側にいてくれたおかげで、私は泣き止むことができた。随分遅れたけど、今度は私の番。あなたが泣き止むまで、私がずっと側にいる。そう決めたの」

「俺は泣いてなんかいない」

「泣いてるじゃない。ゆうべからずっと。そして今でも」

 太一の眼が潤んでいます。

「私はここにいるの。他の何処でもない。太一、あなたの側に」

 太一の手の震えが少しずつ治まってきました。それと同時に、包丁を握る指が、ひとつひとつゆるんできました。

「太一、ずっと言えなかったことを言うね」

 私はそっと彼の肩を抱きしめました。


「あなたが好き」


 包丁が手から離れたとき、太一の号泣が部屋にこだましました。

 

 

 それからの話は、特に語るほどのこともありませんが、まあ一応お話ししましょう。

 結論から言うと、太一は何の罪にも問われませんでした。大旦那の世間体とやらでしょうか、ほじくり返されると、寝た子を起こすことになりかねませんからね。

 その代わり、太一はこの村を出て行かざるを得ませんでした。もともと一人暮らしでしたので、身軽なものです。とりあえず、街道に出て、都心部に向かうことにしました。新たな旅立ちの始まりです(RPG風に)。

 大旦那の屋敷はあの事件以来、人が寄り付かないようになり、下男下女もひとりまたひとりと去るようになりました。まあ、これからどうなるか、知ったことではありません。

 この村もどんどんさびれていくでしょう。でももしかしたら、殺人事件の舞台になった血塗られた因習の村、なんて触れ込みで、一部のマニアがやって来ないとも限りません。なんせ、犠牲になった薄幸の美少女が主役です。

 あれからどういうわけか、私の声は太一の中だけで聞こえるようになっていたのですが、奇しくも二百日が過ぎた辺りから、お互いの意思の疎通が出来にくくなりました。なので、私からお願いして太一にもう一度、葬式を出してもらうことにしました。二人だけの、お別れ会です。なるべく明るく送り出してもらうことにしました。湿っぽいのは性に合わんのです。

 さよならを言うのはためらわれたのですが、それでも口から搾り出しました。

 ああ、泣いちゃいましたね。もうボロ泣きでした。

 

 その夜から、太一は私の声を聞き取れなくなったようです。私も少しずつ、意識と言うものがあやふやになってきてます。本当の意味で、お迎えが近づいているようです。

 出来れば太一に新しい恋人が出来て、結婚して、こどもが生まれて、そんなささやかな幸せを見届けるまで側にいたかったのですが、それはそれでジェラシー感じちゃうかもしれませんね。本妻の余裕とやらで、潔く退散することにしましょうか。

 

 バイバイ、太一。

 私のそばにいてくれて、ありがとう。

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