九
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こうして事件は解決した。
その後、大家と、同僚が、遺体となって発見された。二人とも、なにか突然、「気分が悪い」と云って寝込み、そうして二三日もせぬ間に、まるで呪いにでもかかったかのように、自ら縊れ死んだのだという。そして大家の家からは、『縊れ死んだ』男の日記が見つかった。
その中には、『大家は老人の金を盗んでいる悪人』『同僚は上司と談合し、都合の良い傀儡を演じ、俺を貶めようとしている』等と、様々な、周囲の人間に対する、秘めたる怨念ばかりが書いてあった。男の務めていた会社は、その後またたく間に倒産へと追い込まれ、そうして社長も、自らの首を輪に掛け、死んだ。
また、大家と同僚は、「女が何かをしっているのではないか」という恐れから、あのような脅迫文を送りつけたらしい事も判った。同僚の家から、様々な雑誌の切り抜きが、発見された為だ。
× × ×
わたしは松永と共に、小高い丘の上にある、青木家の墓を訪れた。松永は白衣の下に喪服を着込んでいた。
そうしてわたし達は、青木の両親に頭を下げ、延々と続く古びた石階段を降り始めたとき、
「なあ」
と松永がわたしを呼んだ。そうしてわたしの前をゆっくりと、片足ずつ、白衣をゆらし、案山子のように階段を下りながら、このような事を云った。
「ダーウィンは、はじめ、確かに『マダガスカルの木』を信じた。でも、彼は結局、それをつまらない戯言だと云って、信じるのを止めた。でももし、彼が本当は諦めてなくて、裏で方々探し回っていたとしたら。マダガスカルの木を『存在するように見せかける事ができる』植物を見つけだしたとしたら。そして『匣』の中へ、その実を納めたのだとしたら」
「そんなの……妄想じゃないか」
「妄想だ。けれど、それ故に全てが実現する」
「――虚構の中の現実、か」
「ああ」
そして松永は云った。
「――そうしたくなったかい。貴方も」
「……俺は」
わたしは立ち止まり、そして松永の目を――響子の目を見て、云った。
「俺は今、此処にいる俺だけを、信じたい」
「『信じたい』か」
松永は片足案山子のまま振り返った。
「実に貴方らしい、ふわっとした云い分だね」
「……そうだな」
わたしがわらうと、松永は再び前を向いて、白衣の案山子歩行を始めた。が、すぐさま足を止めると、こう呟いた。
「しかし――『無花果の匣』か」
「……ん。どうした」
すると松永は、再びわたしの顔を見据え、どこか悩ましげに、
「いや、ね。無花果ってのはさ、無花果の中に卵を産みつける蜂と共生しているんだ」
――共生。
――あり得るのか、そんな事。
しかし、無花果の中に虫とは。
実に厭な話だ。
「お互いを尊重し合っている、という、事か」
「う、ん。まあ、そうなのかな」
「……違うのか」
「そうだな。……うん。正確には互いに互いを上手く利用し、寄生しあっている、と云うべきなのかもしれない。それに、そもそも無花果は果実じゃない」
「果実じゃない。じゃあ――」
「アレは花だ。無花果は外殻の中に、たくさんの花を咲かせる」
わたしははじめて、その事実を知った。然し知ったところで、別に食べるワケではない。寧ろもう、全く食べようとは思えなくなった。
「無花果は、中が空洞になっている雄花へ蜂を住ませ、彼らを利用し受粉する。蜂が無花果の中に生まれるとき、必ずその匣の中で、オスとメスが、アダムとイブのようにつがいになる。匣の中は二人の楽園、と云うわけだ。
――かなり強引なつがいだ。一日早く産まれたオスは、まず、未だ花の中に閉じこめられているメスを無理矢理に犯す。そうして近親相姦の末に子を孕んだメスは、子を別の匣へと産みつけるべく、その匣を逃げ出すんだ。然し、メスを犯したオスには羽のがないから、追いかける事も出来ない。メスによって匣に穴を開ける事になったオスはそのまま匣の中に死んでゆく。
楽園を逃げ出したメスは、然し子を産むために新たな匣へ向かう。『生きた花粉』となってね。そして新たな匣へ辿り着くと、彼女は子を産むべく、匣の中へと入ってゆく。そしてもう、二度と外へは出ないんだ。いや、出る事が出来なくなる。羽も触覚も、匣に奪われて。……
こうして彼女は、一つの匣の中で、子供や花に囲まれて、その悲惨で短い生涯を終える。しかしもし、そうして入り込んだ匣が、産卵の出来る雄株ではなく、隙間のない、雌株であったとするならば――彼女は沢山の雌花が邪魔になり、身動きが取れなくなって――子供も産めずに、死ぬんだ。生きた花粉としての役目を果たして」
そうして彼女は、一度話を止めると、皮肉のように言った。
「無花果もある意味じゃあ、『虫を喰らう植物』なのさ」
わたしには何故か、こうした話が、とんでもない戯言のように思われた。が、これは確かに、現実に起こっている事なのだ。故に私はそうした事実を、漠然とただ、受け入れるしかなかった。
すると、松永が突然、真剣な顔になって、
「一つ。貴方に忠告しておく」
「……なんだ」
「……あの実は恐らく、私が勝手に使ったもので、最後だと思う。だが、もし今後、同じような『におい』を嗅ぐような事があれば。もしそのような『におい』を持つ、女を見かけたら。出会ってしまったら。……」
と云ったかと思うと、松永は突然、わたしの胸元に頭をうずめ、そして、何処か少し水気を帯びた声で、震えながら、わたしの外套の裾をしかと掴み、わたしの顔を、その四角い眼鏡越しに見上げて、
「私の許可無しに触れるな。……約束、しろ」
わたしは暫く、彼女がわたしの中へ、彼女が彼女の身体を埋めることを許した。いや、寧ろわたしの方が、そうした状態を、彼女に赦してもらっていたのやもしれない。……
「……響子」
故に私は、彼女の肩を優しく掴み、然しゆっくりと引き離しながら、だがじっと、彼女の目の奥を、彼女の底を見据えて、
「約束――する」
と、震える声で答えた。
「……ふん」
すると彼女は元通りに、いつも通りのはつらつとした笑みを浮かべた。
「私を名前で呼ぶな」
そしてわたしのみぞおちへ、いつもの調子で一発。
渾身の掌底を、喰らわせるのであった。
了
無花果の匣 宮古遠 @miyako_oti
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