四



 そこは、街外れにあるアパートの一室だった。寂れた為なのか、夜になると、人通りも少なくなる。

 通りを挟んだ向こうには、住む者のいなくなった集合住宅が、錆び付いた歩道橋の背後に、手入れの放棄された竹林のように聳え立っている。


 それは確かに誰も住んでいない筈であるのだが、真夜中、わたしが女の部屋へ向かうべく、街灯に照らされた通りを歩いたときには、その、無数の窓の世界に移り込む街灯の明かりが、まるで人魂のように、ひとつひとつの部屋へと浮き上がり、道行く人に、その、無人の室内を「覗き込ませよう」とする、そんな、見てはいけないものを見るような、高揚感をもたらすのであった。覗き込んだ人間を、向こう側へと引きずり込もうとする、そんな雰囲気が……。


 わたしは近くに異様な猫の吠え声を聞きながら、彼女の部屋へむかった。


   ×   ×   ×


「真田、サン」

「お怪我は」

「え、ええ。……」


 事情を聞いた結果判った事は、どうにも、通院から帰ると、部屋がこんな事になっていたのだという。しかし通帳や財布、金目のものは一切盗まれておらず、ただ、部屋が何者かによって荒らされているが為に怖くなり、また、脅迫めいた手紙もある為、わたしを呼びつけたようだ。部屋は確かに、何者かによって荒らされている。あらゆるものが放り出され、フローリングに散乱して。


「こんなものが、ポストの中に。……」


 見ると、それは、新聞や雑誌から文字を切り抜き、貼り、創り出された文章だった。



 ――オ前ヲ見テイルゾ



 ……どういうわけだか、事件から数日もたたぬうちに、テレビで、一連の事件が、事細かに報道された。世間に公表をしていなかった、『捻れた』死体のまでもが、突如、世間の人々の知るところとなった。

 結果、人々は、現場に於いて生き残った女を、好機の目で見、糾弾するようになり、女を売女や、映画や小説の中に現れる悪女のように誂えた。週刊雑誌は男との関係性を、刺激物で盛った文章で書き連ねた。そして、人々は彼女を好機の目でみ、そして、願わくばその、『捻れ死んだ』男のように、彼女の肉体にさえ欲情する輩まで、現れる始末であった。


「……申し訳ない」


 そういって、わたしは彼女に頭を下げた。


「いいんです。こうなっても仕方がない事を、していたのですもの。……」


 彼女は、どこか自棄的に、わたしの言葉を汲み取ると、その翡翠色した目に、虚ろな表情を浮かべ、そしいて、少し笑い、わたしを見上げた。その、舞台上のスポットライトの中に浮かび上がるかのような表情は、いかにもわたしに、彼女の悲劇性を、訴えた。


「此処は危険です。犯人が見つかるまで、我々が。――」


そういってわたしは、本庁へ連絡を取るべく、ポケットの中から携帯を取り出し、外へ出ようとした。が、彼女はスッと、予備的動作の無いままに、私の腕へ、その、磁器のように白い手を添え、


「まって、ください」


 彼女は暫く、そうして、棒立ちになったままの、わたしの腕へ抱きつくと、その身を私に、絶妙な圧迫感で擦り付けていった。そして潤んだ瞳で、わたしの顔を、じっと見つめて、


「云わないで、ください」

「……何故です」


 わたしは彼女の瞳をのぞき込む度沸き上がる、邪な心を払おうと、そう尋ねる事が精いっぱいであった。すると彼女は、じっとわたしを見つめながら、少し目を細めて、


「全ては私の所為なのです。私がこんなにも、不純な女であるから。……彼らに罪はありません。全て、全て私が悪いのです。私が。……」

「ですが貴女の身を守るために――」

「ここに、いてはくれませんか」

「――え」


 思いもよらぬ言葉に、わたしは一瞬、戸惑った。


「ここに、いては下さいませんか。そうすれば、貴方だって、貴方の行うべきお仕事も、滞りなく、行うことができるのではありませんか。ですから、どうか。せめて一晩――」


 彼女はわたしに嘆願すると、その、小さな頭を、私の胸元へと埋めた。彼女の髪のかおりが、わたしの鼻元をくすぐった。

 よいにおいだ、とわたしは思った。


「――判りました。ですが、本当に一晩だけですよ。その後は必ず、我々の指示に従ってもらいます。良いですね」


 わたしは彼女の思いを受け入れ、そう、口走った。


「……ありがとうございます」


 彼女の声音は、どこか生温かく、然し、それでいて、心の臓の奥深くにまで響き、轟くような、わたしの鼓動を支配してしまうような、そんな、恐ろしい冷たさがあった。


 そうしてわたしは、本庁に連絡をする事もなく、彼女の言葉のままに。

 わたし自ら、彼女の部屋の戸口を閉め、内側から鍵を掛けた。





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