五



 彼女は今、シャワーを浴びている。おそらくは、ようやく、安心して、そうした状態で居られるように、思ったのだろう。然しそれは、わたしは刑事である、というだけで、見知らぬ男の居る間に、自身の裸を晒す行為となっており、わたしが、彼女のそうした行為を覗かぬ、という保証はない。勿論、そんな愚かな行為を行うつもりは毛頭無く、寧ろ毛嫌いするほどであるが。……


 然し――こうして、彼女の部屋で、彼女の番犬の役目を受け持つことになろうとは、思いもよらなかった。普段のわたしならば、考えられぬ事である。これほど迄に、事件に関係した一個人に対し、介入するなど。これこそ、愚かな行為なのではあるまいか。

 だが、これは我々警察にも落ち度がある。然し一体だれが、本件の情報を、彼女の情報を、漏らしたのであろうか。それに、我が友人からも、未だ連絡がない。一体いつまで待たせるつもりであるのか。焦っても仕方が無いとは、判っているのだが。


 そんな事を考えているうち、わたしは少し、気分を変えうる句点を打とうと、テレビを付けてみた。

 すると丁度、そこでは、例の『アパート変死事件』をおもしろおかしく切り取り報じる番組が放映されていた。それも、正攻法のアプローチではない。彼らが事件解明の為に呼び出したのは、昔、オカルトブームの頃、頻繁にテレビへ登場した、あの有名な、恐山で修行したと自称する、女霊媒師だったからである。


 霊媒師は仰々しい山伏の衣装をまとい、浅黒く、パンダのようなサングラスを、掛け、そして、なにやらを常に考えているかのような、そんな威厳を、口元の表情と、額の皺でもって演出し、昔と寸分変わらぬ姿で、半畳の畳の上に、切腹する武士めいた格好で座している。

 その霊媒師は、何やらをブツブツと唱えた後、ぐわりと身体を宙に跳ばし、頽れ、そうしてゆっくりと起きあがると、『捻れ死んだ男の怨霊』を自称し、おおよそ、このような事を口走った。


   ×   ×   ×


供述5/霊媒師の口を借りたる『捻れ死んだ』男の証言


 俺はその高級そうな箱を、或る商人から盗み出した。

 然しその箱の中にあった種子は、それはそれは愛おしくみえ、故に私は唐突に思い立ち、その植物を育てる事にした。今思えば、既にこの時から、私の末路は決まっていたのやもしれない。……


 そのうち、植物は見事に成長した。その美しさに、俺は思わず手を伸ばした。すると――何かが俺の手を指した。

 見れば、俺の指先から、血が、一つの粒となって、溢れている。そして、その血がぬるりと垂れ、植物の葉に落ち掛かると、葉は俺の血を見事に吸いとったのである。……


 ああ。この世にこれほどの快楽があろうか。俺はこのとき、痛みではなく、この世のものとは思えぬ、壮絶なる快楽を感じた。それ以来、俺は完全に、その植物の虜となった。そうして、その植物はどんどんと大きくなった。だから俺は、更に快楽を得ようと、女を植物の餌食とした。最果ての島に見つかったという『人喰い植物』のように。そして植物は、見る見る姿を変えると、女の姿となった。


 俺は歓喜した。そして、腕を広げ俺を待つ、植物の胸元へと埋もれると、そのまま、植物の促すままに、俺は終わりなき快楽地獄の中、深い暗闇へと落ちていった。……


   ×   ×   ×


「…………ばかばかしい」


 わたしは思わず呟いた。そうした結論でこの事件が解決するならば、解決してしまえばよい。そうであるならば、化物を退治し、万事が解決するという、奇譚のような話でもって、その妖怪を退治し、締めくくれば、一つの面白い説話として、何処かの書庫にでも納めてしまえばよいのだ。


 ――しかしわたしは現に、そうした奇譚の物語を、体験している。


 どうしたって、奇譚や言い伝えの中に聞くような、お話の中にしか起こらぬような、化物の現れる怪談が、今、この現実の中で、起こっているようにしか思えない。『捻れた死体』を、しかと目に焼き付けた以上は。……


 その時。ふと私は、この、トンデモ霊媒師の言葉の中に、一つの、ある引っかかりを覚えた。


「植物の、虜――」


 そう、わたしが何かに気付こうかというとき。浴室の扉が、衝立のように、開いた。気付けばもう、水音はしなくなっていた。代わりに、彼女の足が廊下の上へ降り、ひたひたと吸い付くような音を鳴らしている。わたしはとっさにテレビを切ると、何気なく、衣服を着替え終わったであろう、彼女の方へ目をやった。


 然しそこに立っていたのは。

 濡れ髪のまま、手に持つバスタオルを、身体の前へと撓ませ、太股のあたりにまで垂れ下げた、裸のままに濡れた、女だった。

 それはあの日見た彼女の姿に、良く似ていた。


「――――」


 そのときのわたしは、唯々、彼女の身体の表情にみとれていた。女の肩に、黒髪はあの日見たように撓垂れていた。そして、湯気を立ち上らせる肩の丸みと、その、落ち窪み、はっきりとした鎖骨のしなりを経て、下へ隠れゆく膨らみきらぬままの胸の形が、その肌の白さと相まって、どこか、絵画的な構図を形作っていた。隠れ切らぬままに露わとなっている、腰元の丸みと、恥骨の谷間の情景は、わたしの心に、止めどない動揺を呼び込んでいった。


 女は水に濡れたまま、そうして、髪の毛先から滴を垂らし、少し上目で、眉尻を下げ、どこか儚げで、果てのない、底なしの虚しさの中にあるかのように、口元へ微笑を浮かべたまま、じっと、あの美しい、飲み込まれてしまいそうな翡翠色の瞳を、三日月みたく削ぎ落して、私を、みた。


 見ると、その瞳の中には、幾重にも輪が形作られており、その終わりが、果てがどこにあるのか、わたしには全く判らなかった。


「綾子、さ――」


 そう、わたしが云い終わる前に、彼女はわたしの胸の中へと飛び込んだ。そしてそのまま、私の背へ、なじるように手を回し、まぐわい、撫ぜるた。彼女の身体を隠すバスタオルが、するり、するりと音を鳴らし、わたしと彼女の足下へ、一つの橋を架けるように、滑り落ちた。


「真田――さん」


 胸の中で、彼女はわたしの名を呼んだ。それはか細く、痛々しい、その身を滅ぼすような棘でもって、わたしの心を抉り、突き刺した。


「抱いて――お願い」


 そう、彼女は云った。それはどこか、彼女自身、己の破滅を、唯々望んでいるかのような、冷たさだった。然し、彼女の生ぬるく、圧をもって訴えかけるその柔肌の連動が、わたしに逃げ道を失わせてゆく。わたしの背へと回した腕が、わたしを締め付けるように、彼女の胸元へ、わたしの身体を寄せ付けた。


 そうした動揺と高揚感の中で、わたしは唯々、彼女の瞳を覗き込んでいた。いや、彼女に覗き込まれていた。わたしの、わたしのなかの、その、心の動揺、その更に奥深く深くの、欲望までもを――。


「――――」  


 どうすることもできぬまま。わたしは呆然と立ち尽くしていた。この状況に抗おうという心持ちは、いつのまにやら忘却の彼方へと消えていた。

 すると彼女は、不気味なほどに柔らかなしなを形取りながら、蛇のようにわたしにまとわりつくと、


「…………ね」


 と上目遣いに訴えた。


 ――よいにおいが、した。

 ――なんともいえぬ、この世のモノとはとは思えぬ、よいにおいが。……


 わたしを見つめ、微笑をみせた彼女は、背へと回した右腕を、ゆっくり、ゆっくりと、私の肩胛骨を、肩を、左腕を、舐めるように撫ぜ、その弄ぶ導のままに、わたしの掌に、指に、その、触覚の感染を広げていった。


 そうしてわたしの掌へ、彼女の、蔓のような指先を絡み付け、私の指を、指先をゆっくりと、彼女の臍へ、恥骨へとあてがい、操り、這わせ、そして。そして彼女自身の秘部へ、その、入らざるべき戸口の、中へ――――。



 電話が、鳴っている。


 わたしの、携帯、が。

 ケイタイ、が、



 けいたいが、





 なっ、て――――。




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