思えば自分の青春時代ってのはどんなだったかな。
めちゃくちゃ普通の青春時代だったような気もするしでもなんか人とは違ったような気がするし、よくわかんない。
『いたずら電話』
に描かれている青春からは、狂気の匂いがぷんぷん漂う。
多分普通じゃない。
でも全部解る。
普通じゃないのに、解ってしまう。解ってしまう自分が怖い。そして解ってしまうからイイダさんに感情移入した。私は感情移入しすぎて、ドキドキしたし、興奮したし、ちょっとアレな気持ちにもなって、ヒロインのキノシタさんに恋をした。
もう、全部なにもかもすべて捧げて、彼女の思うとおりに生きたいと思った。
キノシタさんが救われるなら、なんでもやれると思った。
なににだってなれると思った。
だからキクチ(あだ名はキムチ)さんの気持ちも凄く良く解るし、代わりたいとすら思った。
主人公イイダさんからすれば、被害者のキクチさんになって、彼女を束の間気持ちよくしてあげたかった。
愛ってなんだろうねって話なんだけど、イイダさんは確かに愛していたし、キノシタさんも愛していたと思う。二人は相思相愛だったのかも知れないしそうじゃないのかも知れない。
差別。性行為。破壊衝動。突発的自傷。生きたい。死にたい。狂いたい。普通で居たい。幸せになりたい。
そう、多分幸せになりたい。それだけなんだ。でもそれだけがたまらなく、遠いんだ。
その距離があまりにあるから、すれ違うってレベルじゃなく、まったく違うところへ愛を求めたりするんだ。
だから私はえげつないこの愛の物語が、たまらなく愛おしい。
(私は読後に気分が高揚しすぎて吐きそうになったし、余韻が引くまでレビューを書けなかったその時間およそ2時間)
ねえどーして? すごくすごく好きなこと、ただ伝えたいだけなのに。
昔そんなヒット曲がありました。
今にして思えばその歌は、とても臆病でした。
「むちゃくちゃ好きやっちゅーねん!」とも「あいたくてあいたくて震える」ともいいませんでした。
るーるるーるるー。
うまくいえないんだろう?
過去と現在が鮮やかに描かれるのが、江戸川台ルーペ作品の面白いところです。
「あの頃の僕」と「いまの僕」のなかの変わっていないところを探そうとしている。変わっていない部分があるのならば、僕はきっと、これからも変わっていない部分を大事に、生きていけるはずだ。
イノセントは喪失していないのか?
イノセントとは、十代を過ぎてからも生まれるのか?
しかし江戸川台さんの作品にとってのイノセント、あるいは少女であったり、青春は、一筋縄ではいきません。
忘れないように大事にしなければならない脆いものであるというのに(だからこそ)、性欲と暴力の渦中にあります。
江戸川台作品をいいな、と思う読者は、身体で理解しているのでしょう。
あの頃の自分はきれいごとじゃなかった、と。
ねえ、どうして、うまくいえないんだろう。
うまくいえないことを、小説にすること。
うまくいえないまま、書くうまさ、がこの作品にはあります。