エピローグ

エピローグ ――ターミ・ポアットへの手紙

ニアーダ王立大学歴史学部教授

ターミ・ポアット様


 匿名でこのようなお手紙をお送りする失礼をお許しください。

 貴著『暁天の双星』を拝読しまして、思うところがありましたのでペンを執りました。

 まず、わが国の画一的な歴史観に一石を投じた貴女の勇気に敬服いたしました。学会は騒然となり、多くの歴史学者からの批判を受けたことと思います。

 貴女が『暁天の双星』刊行とともに全文を公開したジュディミス・ニアーダの手記を、歴史学者達が挙って検証しました。その結果、どの史料と照らし合わせても矛盾がないことが分かりました。また彼の影武者が女性であったというのも、つい先日その墓に残る遺骨をDNA鑑定した結果と一致しています。これはジュディミス王子本人か、彼にかなり近しい人物しか知り得なかった事実です。貴女の小説に書かれていることは、概ね事実だろうと私も思います。

 ただ私がいささか疑問に感じましたのは、貴女のアテュイス王に対する評価です。作中では、彼がとても冷酷な人物で、しかもニアーダの凋落ちょうらくを招いた暗君として描写されているように思いました。しかし私の見解では、アテュイス王の政策と、ニアーダがユーゴーの従属国になったこととの間にさしたる因果関係はありません。ソニハット王の時代より、ユーゴー帝国はニアーダとの国境を脅かし、諸外国への侵攻を繰り返していました。たとえバライシュの乱がなくとも、遅かれ早かれニアーダも本格的な攻撃を受けていたでしょう。

 確かに、アテュイス王は幼少の頃より外国人を嫌っていたとする証言はいくつも見られます。シシーバも父に宛てた手紙の中で、「アテュイス様はキョウ族の少年を無慈悲に射殺なさった」と書いています。しかしアテュイス王が西方の軍備増強に努めたのは、彼の強い排外思想のためというよりも、ユーゴーから祖国を守るためであったはずです。

 同じく五〇六年のキョウ族討伐も、当時摂政だったアテュイス王には嫌いな外敵を打ち払う以外の狙いがあったはずです。キョウ族が荒らしていたのはニアーダ領だけではありません。キンドウ国内の村々もまた、法に従わぬ騎馬民族に度々襲撃を受けていました。彼らはキンドウにとっても厄介者だったのです。

 アテュイスは摂政に就任してすぐ、ユーゴーの侵攻に備えてキンドウと同盟を結んでいます。キョウ族討伐は、キンドウに友誼ゆうぎを示す意味合いが強かったのではないでしょうか。

 もう一つ、第五章にある、アテュイス王が諫言した忠臣に「あらぬ疑い」をかけて処刑したという記述にも疑問が残ります。王城内では文官武官を問わず、賄賂わいろをはじめとした種々の背任行為が横行していました。ソニハット王の腹心だったコーウェン・キューアンでさえ、北方大将軍エイカーンや西方大将軍ナンシーンとの裏取引に応じていたように、ほとんどの官僚たちが多かれ少なかれ悪事に手を染めていたのです。処刑された臣たちが全員無実だったかは、実に疑わしいところです。

 また、シャーニン教寺院の増長はニアーダの建国直後から問題視されていたことはご存知でしょう。僧侶たちは国教の権威を笠に着て、やりたい放題だったのです。ときには政治に干渉し、王以上に権力を持つこともありました。浮浪者への施しを禁じた五一〇年の摂政令はただの名目で、真の目的はシャーニン教の勢力を削ぐことだったのではないでしょうか。

 もちろん、西方の軍備増強のために重税を課し、結果的に多くの民を貧窮させたこと、憲兵隊の反発を招きバライシュの乱のきっかけになり、ひいてはユーゴー帝国につけ入られる隙を与えてしまったことは、アテュイス王の重大な失敗と言わざるを得ません。しかしながら、彼は幼稚な好悪こうお感情のために、国運を傾けたわけではないと私は考えます。

 これらの事実を、膨大な史料を参照されたはずの貴女がことごとく書き落としているのは不思議です。小説として脚色するためにあえて書かなかったのでしょうか、それともシシーバやバライシュ、「先生」の先祖であるセンリに肩入れするあまりに見過ごしてしまったのでしょうか。公平な眼差しで歴史を見つめることの難しさを思います。

 初めに申し上げましたように、貴女の小説はわが国にとってたいへん意義深いものです。きっと貴女の「先生」は、ニアーダのどこかで貴著を手に取り、大成した貴女のことを誇らしく思っていることでしょう。けれども、そんな人のことは早くお忘れになるべきです。いまや貴女は立派な歴史学者なのですから、瞳の曇りは拭い去らねばなりません。

 かく言う私も、アテュイス王に肩入れし過ぎている自覚はあります。ジュディミスよりも、私は彼に興味を惹かれるのです。かつては王位継承者として厳しく育てられながら、十歳の時にジュディミス王子が生まれたとき、彼は何を感じたでしょうか。自分にすり寄って来た大人たちが潮が引くように去っていくさまを、どんな気持ちで見つめていたでしょうか。そうかと思えば突然ジュディミス王子が亡くなり、二十二歳の若さで病弱な父親に代わって政治を一手に引き受けねばならなくなったとき、葬列の先頭で「蒼白で険しい顔」をして何を考えていたのでしょうか。そして、実はジュディミス王子が生きていて、父のホルタ王が彼に王位を譲ると知ったときは……。

 つい長々と書いてしまいました。いくら貴女でも、ここまで読むのはなかなか骨が折れることだったでしょう。この手紙をわざわざコーク文字で書きましたのは、万一誰かに読まれたときに備えてのことです。コーク文字を使いこなせる人間は、学者でもかなり限られていますので。

 立派になりましたね、ターミ。

 今後も貴女がますます活躍されることを、私はこの国のどこかで命ある限り祈っています。(了)

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暁天の双星 泡野瑤子 @yokoawano

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