その後
その後 ――ターミ・ポアットによる解説
銀杏殿は翌十一月二十八日の明け方までに全焼した。同じ頃、憲兵隊たちの暴動も東方将軍府によって鎮圧され、参加した憲兵たちは皆その場で殺されたか、逮捕された後に処刑された。処刑された者の中には、バライシュの上官バーンター・メイサディもいた。憲兵隊は処刑された者を含め、実に百二十二名もの死者を出した。将軍府側の死傷者も五十名を越え、一般市民を合わせると「バライシュの乱」の犠牲者は二百名を優に超えるだろうと推測される。
さらに一夜明けて十一月二十九日、アテュイスは自らキューアン邸に足を運び、シシーバの遺体を立派な黒い棺に入れて返した。死期の近い父王のために支度していた棺を流用したようだ。
銀杏殿でバライシュとともに炭になったかと思われていたシシーバは、なぜかきれいな姿のままだった。アテュイスからその発見場所を聞いたとき、それまで気丈に振る舞っていたナジカが激しく
キューアン家にはさらに不幸が続いた。十二月二日夜、サリア・ミアノ・キューアンは父と住む自宅から
シシーバの父コーウェン・バンクパット・キューアンは、武器密輸の罪を自白して東方大将軍の職を
年が明けてニアーダ王国暦五一二年一月三日、ついにホルタ王が崩御し、摂政を務めていたアテュイス・ジーン・ギアッカ・ニアーダが国王に即位した。だが西の隣国ユーゴーが「新王は摂政時代から圧政によっていたずらにニアーダ国民を苦しめている。人心は離れ、憲兵にすら謀反を起こされるようでは国王として不適格と言わざるを得ない。即刻退位すべきだ」と内政干渉してきた。アテュイス王がこれを拒否したため、両国はついに本格的な武力衝突に発展した。
だが大国ユーゴーとの兵力差は歴然としていた。十日と経たぬうちに西方将軍府は占領され、大将軍シエコーン・アガマット・ナンシーンも戦死した。東西二人の大将軍を失ったニアーダ軍は体制を立て直すことができず、二月十日にはユーゴーに全面降伏した。ユーゴーによる支配は、その後ユーゴーがキンドウ国との戦争に敗れるまで約六十年間続く。
敗戦後、アテュイス王はわずか一か月余りで退位し、結果的にバライシュの乱はアテュイスを王座から引きずり下ろす
ユーゴーの
ユーゴーによる支配を受けつつも何とかニアーダ王国の名を守り抜き、現在のニアーダ王家の祖となったチュンナク王は、演劇でもしばしば名君として描かれるようになった。観劇好きのチュンナク王は大いに喜んだが、「バライシュの乱」という勧善懲悪物にだけは、一度たりとも足を運ばなかったという。
「バライシュの乱」では、バライシュ役の俳優は顔を真っ白に塗り、
ジュディミス・ニアーダとサエは、乱の後数か月間は偽名を使ってコーク族の生き残りとともに
ジュディミスは隠遁生活のうちに、すでに回想録を書き上げていた。回想録は万が一ニアーダの役人に見られても解読できぬように、全文がサエに習ったコーク文字で書き記されている。サエは生まれてきた息子を女手一つで育て、後世にバライシュとセンリの真実を託した。サエを突き動かした思いは、バライシュへの報恩だったろうか、その手で殺めてしまったシシーバへの悔恨だったろうか、それとも、センリへ捧げる愛だったろうか。ともあれジュディミスの回想録は代々受け継がれ、ジュディミスとサエの末裔にあたる某先生が論文にまとめ、さらに私ことターミ・ポアットの手に渡った。
密かに回想録を書いていたのはジュディミスだけではない。シシーバの叔父でサリアの父であるボエン・ダヤム・キューアンも、ナジカと協力してシシーバやバライシュ、サリアの思い出を書き残している。また、ニアーダ城の書庫管理官でもあったボエンは、チュンナク王の命令で「バライシュの乱」に関する不都合な記録を焼き払うよう命じられたが、そのいくつかを密かに持ち帰ってキューアン邸に保管していた。これらの文書はキューアン家によって現代まで保管され、『暁天の双星』を執筆するうえで大きな助けになった。
私は、初め国民に真実を知らせたいと思ってこの小説を書き始めた。しかしながら、想像で書くしかなかった場面もたくさんある。少年時代にシシーバとバライシュが風呂で交わした会話、彼らの結婚生活、そして何より、銀杏殿での対決。私が書いたことは、きっと真実ではないのだろう。私はチュンナク王が作った嘘を、新しい嘘で塗り替えているだけかもしれない。
私はそのことに気づくと同時に、真実など大した問題ではないのかもしれないとも思うようになった。こんなことを歴史学者が言うべきではないのだろうが、あえて言わせてもらいたい。本当に大切なのは「何が起こったか」よりも、「何が起こったか」を各人が思い思いに想像し、議論できる
最後に、シシーバの妻ナジカと娘エナのその後について触れておきたい。ナジカはシシーバとの約束を守り、キューアン邸を改装して孤児院を開いた。エナはそれをさらに発展させて学校を設立した。
学校の名はエナの
こんな逸話が残されている。かつてシシーバが赴任していたバイラックで初めて「バライシュの乱」が上演された後、「うちの子はシシーバ将軍の落とし
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