第3話 艶のある人形(ひと)

 丑三つ時である。乾いた夜の空気に野良猫の鳴き声がこだまする。


 二人は榊 京子の承諾を得て、あのまま蔵の中で『その時』を待った。蔵の中は幾つものロウソクの炎で照らされている。門は壊されたままなので、時折吹く強い風に照明が揺れていた。


 蒼偉あおいは壁際にもたれかかり、懐中時計を睨んでいた。一方、兵藤は蔵の真ん中で寝転がり、ウトウトと船を漕いでは目を覚ますというのを繰り返している。


「アオ坊。まだかー」


「もう少しですよ、先輩。ボチボチ起きないと怪我しますよ」


「なに?」


「……来た!」


 蒼偉がそう叫んだ瞬間だった。どこかで聞き覚えのある「ボーン、ボーン」という音がした。直後、蔵の中に突風が吹き込んで一時的に炎の光を弱くする。


 薄明かりの中で二人が目にしたものは、虚空を舞う少女の姿だった。

 左手を高く振り上げ、兵藤へと襲い掛かるドレス。


!」


 思わず叫んだ蒼偉。しかしその心配は杞憂に終わる。

 蔵の内部が再びロウソクの灯りで満たされた時、物言わぬ少女は掲げた左手で空をなぐと静かに元居た机の上へと鎮座した。


 まるで何事も無かったかのように全てが同じまま、あの人形の少女はそこにいる。

 兵藤は大口を開けて唖然としていた。


 蒼偉もまた自分の想像を超えた動きをした人形に、一瞬我を忘れて恐怖した。もしあの工具板にノミが戻されていたならば、彼の友人は命を落としていたかもしれないと。




「自殺、ですか」



 工房の隣室。淡い藤色の寝間着に半纏を羽織った京子はそう言った。

 その瞳には戸惑いの色で満たされている。


「事故かもしれませんし、遺書なども発見されておりませんので断言できませんが、そう考えるのが状況的には一番自然かと」


 伏し目がちに蒼偉が言うと「なぜ」と京子が続けた。

 口元を覆い、声を震わせる彼女を前に兵藤は困り顔で頭を掻いていた。

 蒼偉は告げる。


「『なぜ』かは本人以外分かりません。ただ私には死因に見当がついただけで――」


「それは俺も聞きてぇな。結局てんで分かりゃしねぇ」


 兵藤だった。蒼偉は彼をちらりと見て咳払いをひとつする。


「死因は『人形』による刺殺。しかも時計仕掛けになっていて、指定した時間以外はネジを巻いても動かないよう細工がしてあったようです」


「で、さっきのか?」


 蒼偉は小さく首肯した。


「蔵の天井には軌条レールが設置されていました。それを利用しテグスで吊ってある人形を動かしていたんです。人形は工具板からノミを掴んで蔵の中央部まで移動。刺殺後はノミを残して高速で元の位置へ戻る。返り血も浴びない。現場は内側から閂がかかっていた。完全なる密室殺人だ。しかしそれを可能にするのは――」


「自殺か」


 兵藤の合いの手に、今度は大きくうなずいた。そして蒼偉は京子を見つめる。


「決まりだな。アオ坊、ちょっくら所轄に行って来るぜ。当直叩き起こして手続き踏んでくらぁ」


 言うが早いか。兵藤はハンチング帽を目深に被って、玄関まで走っていった。

 京子はその背中を見つめながら、どこか不安げな表情をしている。


「大丈夫ですよ。あの男、脳みそまで筋肉で出来ていますが、どんな条件でもひとを納得させる不思議な才能があります」


 蒼偉を見る京子は無言だった。


「自殺……で、いいと思いますよ」


「相馬さま……」


「ここからは私の独り言です。あなたは何もおっしゃらないで」


「……」


「あなたと榊氏の間に何があったかは知りませんし、興味もない。だがあなたの彫刻家としての才能をこんなことで失うのは勿体無い。世界規模の損失だ」


「相馬さま、あなたは……」


「京子さん。あなたは普段右利きを装っていますが本当は左利きですね? 湯のみを持つ手、着物のすそに添える手などは右だが、無意識な動作、たとえば髪を整えたり涙を拭う時などは左手を使っている。これは利き手を矯正されたひとに見られることだ」


 そう言われ京子は左手を身体の後ろへと隠した。


「そしてあなたは彫刻家としてかなりの力量をお持ちのはずだ。榊 仁兵衛、晩年の作品はあなたが『左手』で彫られたものですね?」


 蒼偉は工房に居並ぶ仏像達を見て言った。


「普段あなたの作品として発表されている仏像、あれは右手で彫ったもの。たしかに上手いが国宝級とは言えない。しかしここ数年の榊氏の作品は、突如として風格が変わっている。それは今までのどれとも似つかない。だが蔵にあった人形達と、そこにある柱時計の装飾には、いずれも名工・榊 仁兵衛の意匠が感じられる。これはつまり――」


 念を押すような蒼偉の言葉は、しかし京子によって阻まれた。


「父は――もう何年も前から人形以外には目に入らないひとになっていました。わたくしにはそれが耐えられなくて」


 肩を落とした京子は、力なくそうこぼした。


「あなたには完璧なアリバイがある。それは複数の人間が証明できるでしょう。それに私には今もって時計仕掛けの細工も、それをいつ仕掛けたのかも分からない。おそらく証拠も出ないはずだ」


「……」


「京子さん。どうかこのまま私にお手伝いをさせてください。この素晴らしい完全犯罪を成立させるために」


 蒼偉の言葉は魔力を帯びていた。

 その言葉に京子は複雑な笑みを浮かべた。

 嬉しいのか悲しいのかも分からない。

 まるで人形のような微笑みを。




 それから数日後のことである。『相馬探偵社』に一通の電報が届いた。

 その内容は、榊 京子が自首をしたと伝えていた――。

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繰り人形 真野てん @heberex

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