第2話 冷たい瞳

 すでに面識のあった兵藤が捜査を引き継いだことを説明すると、二人は屋敷の奥へと通された。不躾にも興奮を隠し切れない蒼偉あおいの願いによって、挨拶もそこそこに彼らは仏像製作の工房へと案内される。


 工房の隣には八畳ほどの小部屋があり、障子戸で仕切られていた。戸を開ければ工房と繋がるひと間となり、作業合間の憩いとして使われていたという。


「相馬さま……お茶が入りましたが……」


 京子は八畳間の仕切りで膝を折り、工房に居並ぶ「作品」達へ釘付けとなっていた蒼偉に声をかけた。兵藤などはすでに遠慮する素振りもなく茶をすすっている。蒼偉が返事をする頃には、出された茶菓子へと手を伸ばすところだった。


「やや! これはどうもすみません。本来なら部外者である私に、そこまでお気を使っていただいて」


「いえ……どうぞ召しがってくださいませ」


 儚げな笑顔を見せて京子は茶の席へと蒼偉を招き入れた。


 立てば芍薬云々ではないが、京子の所作は非常に優美であった。座りしな、着物のすそがはだけないよう手を添える仕草から湯のみを持ち上げる振る舞いに至るまで、そのひとつひとつが洗練されていて育ちの良さがうかがえる。


 蒼偉はそんな些細なことに一喜一憂し、満足気に茶の湯気を吸った。


「いやぁ。実に素晴らしい。流石は『孤高の天才』と呼ばれた榊氏の工房だ。すべてに無駄がない。そしてあの作品群。どうやら年代別に保管されているようでしたが、とくに晩年の作品など筆舌に尽くしがたい」


「あ、ありがとうございます。父も草葉の陰で喜んでいると思います」


「これは失礼を……まだ喪も明けきらぬというのに、はしゃいでしまって」


 すると京子は乱れた前髪をそっと手のひらで撫でつけて一言、「いいのです」と。どこか憂いを含んだ横顔に、蒼偉は思わず息を呑んだ。


「さて。そろそろ情況の確認といきたいんですがね」


 茶菓子で汚れた口元を拭い、兵藤が刑事らしいことをようやく口にすると部屋の空気がにわかに変わった。工房の最奥では古めかしい柱時計が鎮座しており、重厚な佇まいで時を刻んでいる。いまはその針の音だけが、この空間を支配しているようだった。

 ――それは二ヶ月前のこと。


 榊 京子は遠方にある新興の寺へと、養父の彫った新作を納める任にあたっていた。彼女の他に数名、仏師ゆかりの職人達と共に現地入りし、数日間にわたる作業の現場監督をこなしていたのだ。


「父はその……人付き合いが煩わしい性分でしたので……」


 そう京子は語った。

 榊 仁兵衛の人嫌いは有名らしく、彫刻以外のことは概ね彼女がこなしていたらしい。一説にはそれが起因して人間国宝には推挙されないとまで言われていた。いつしかついた二つ名が『孤高の天才』とは、皮肉にもほどがある。


 それらの情報を兵藤から耳打ちされると、蒼偉は黙って自身の耳たぶを撫でた。

 京子の話は続く。


「父はここ数年、仏様を彫るより人形作りに没頭していました。仕事の暇を見つけては中庭にある土蔵にこもり内側からかんぬきをかけて。長い時は丸一日出てこないことも珍しくはありませんでした。わたくしがその日、出張から帰ってくると父は屋敷のどこにもおらず、蔵へ行ってみると門は開かず、呼びかけても返事がなく。もしやと思い……」


「警官を呼んだ」


 声を震わせる京子の言葉を、ずっと押し黙っていた蒼偉が続けた。彼女は「はい」と小さく答え、潤んだ瞳を袂で拭う。


「通報を聞きつけた所轄の警官達がなんとか門をこじ開けて蔵ん中へ入ると、そこには大量の人形達に囲まれた榊 仁兵衛が、うつ伏せになって死んでいた。その背中に、愛用のノミが刺さった状態でな」


 兵藤が手帳を読み返しながらそう告げた。


 蒼偉は耳たぶを触りながら再び工房へと視線を巡らせる。すると彼の視界には、名工の彫った作品とは別の仏像が飛び込んでくる。それはまだ荒削りで、上手くはあるが大仏師の作品とは比べるべくもないものだった。


「京子さん。あれはあなたが彫られたものですか?」


 蒼偉の急な問いかけに京子は言葉をつまらせながら「ええ」と答えた。


「形式上のことだけですが、一応二代目を継いでおりますので……」


「そんなご謙遜を。素晴らしい作品です」


「あ、ありがとうございます。まだまだ修行中の身ですが励みになります」


 張り詰めていた室内の空気が、京子の笑顔と共に緩やかになった。すると工房の最奥から「ボーン、ボーン」と柔らかな音がする。


 柱時計の時報鐘じほうしょうが、彼らを現在いまへと連れ帰った。それからすぐのことである。

 蒼偉が「蔵が見たい」と言ったのは。


 その蔵はいわゆるなまこ壁で仕上げられた頑健な造りだった。出入りが出来るのは分厚い門がひとつだけ。その門もすでに駆けつけた警官達の手によって破壊されていた。

 蒼偉が蔵の中へ足を踏み入れると、そこは外界から遮断された異世界だった。


「球体関節の人形か……」


 視界を覆い尽くすほどの情報量。そのほとんどが木で出来た手足だった。本物と見紛うばかりの少女の四肢が、蔵の中を席巻している。天井から吊るされた脚、壁にかかる腕。そして棚に陳列された表情のない顔の群れが二人を見ていた。


 胴体にあたる部分は数が少なく、ざっと見ても二三体分しかないようだった。だがそれでもなお蒼偉が目を見張ったのは、その特殊な構造によるものだった。


り人形――機械仕掛けになっているのか……」


 木彫の胴体は胸から腹にかけて大きくくりぬかれ、その内部には木製の歯車と、ゼンマイとが見えた。四肢のつながる関節部分からは幾本ものテグスが伸びており、構造の複雑さたるや常人には分かりかねるものだった。


 そして蔵の最奥には作業机があり、その机上に一体の完成された人形が鎮座している。

 蒼偉はその人形に近づくと、一度触れようとしたが手を止めた。そのまま天井へと視線を移すと、再び耳たぶを撫でるのだった。


「アオ坊。なんか分かったかい」


 吊り下げられた人形の手足を弄んで兵藤が言った。その表情には故人の嗜好に対する不快感をのぞかせている。


「榊氏が倒れていたのはここですか」


 蒼偉は蔵のちょうど中央あたりを指差した。


「ああ。今はもう片付いちまってるが、そこには血の海に沈んだ爺さんの遺体と、よく分からねぇ彫りかけの木片があったんだと」


「背中にノミを刺して……」


「ああ、うつ伏せにな。これがもしひとりの仕業ってんならかなり器用な死に方だぜ」


「たしかに。でも密室か――」


 そう言うと蒼偉は再び机上の人形へと目をやった。


 限界まで薄く彫られた白檀の顔は、木目すら気付かせない透明感があった。大きさ的にもまだ十代の少女をモデルとしたように感じられ、そのたおやかな四肢を包むのはロココ調の華麗なドレスであった。リボンとビーズをあしらった薄紫のスカートが、まるで人形の純真を表しているかのようだ。


 その横顔は儚くも妖艶で、幼さの内に秘めた危険な色香があった。


「……ノミが一本ありませんね」


 蒼偉は作業机の横にしつらえてある工具板を見て言った。ちょうど人形の左手側になる壁にズラリと並んだ大小のノミと彫刻刀。いずれもよく手入れが施されており、綺麗に並べられていた。しかしその内の一本、一番右側にあったであろう最小のノミを掛ける部分だけが空いている。すると兵藤が「その一本は凶器として押収してある。そいつが爺さんの背に刺さっていたんだ」と告げた。


 蒼偉は天井を仰ぎながら兵藤に言った。


「先輩。この人形、動かしてみましたか?」


「動かねぇんだよ」


「はい?」


「ネジを巻いても意味がねぇ。あの爺さん、木彫りは上手かったらしいがカラクリはてんで素人だったみたいだな」


「そう……ですか」


「なんだよ? どっか不満か?」


「不満ってほどじゃないですがね。榊氏の死亡推定時刻は分かってますか?」


 そう尋ねつつ、蒼偉は人形をくまなく調べあげる。すると背中にゼンマイを巻くネジ回しが取り付けられているのを見つけた。それを時計回りに数度回転させたが、兵藤が言うようにやはり無反応だった。


 兵藤はよれたジャケットから取り出した手帳をのぞき、「夜中の二時くらいだ」と蒼偉に告げた。


 蒼偉は「右、左、右、左……」と呟きながら、人形の腕に取り付けられたテグスを動かした。そのテグスの先は天井へとつながっている。


「先輩。このまま夜まで待ちましょう。面白いものが見れるかもしれませんよ」


 フランス帰りの絵描きくずれが不敵に笑う。

 人形はただ無感動に彼を見返していた。夜の雫を固めたような、深い藍色の瞳で。

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