繰り人形
真野てん
第1話 京子
昭和2X年。あの戦争が終わり復興の兆しが見え始めてなお、いまだ軍国主義の色合いが抜け切らない時代に――。
長雨が続いた晩秋のある日。
残暑もようやく終わりを告げて、いよいよ暮れの足音も近づきだした頃である。久しぶりの晴天にはしゃぐ少年たち。赤土の道路に出来た水たまりを蹴飛ばし、チャンバラごっこに熱中している。
そのさなかを一台の自動車が通り抜けた。
丸いフォルムを白黒ツートンに塗り分けされた大きめのセダン。このほど各地方警察にも、やっと導入されたパトロールカーである。
これには少年たちも大興奮だ。チャンバラそっちのけでパトカーを追いかけていった。
そんな彼らをバックミラーの端に捉え、
「へっ。かわいいもんだ。なあアオ坊。俺たちにもあんな時分があったよな」
よれたスーツにハンチング帽。まさに偉丈夫といった風貌である。
地黒なうえ、よく日に焼けた顔を助手席に向けた兵藤がそう口にすると、この車の同乗者はぐったりとした様子でこう呟いた。
「……先輩にかわいかった時期なんてあるわけないじゃないですか。それよりちゃんと前向いて運転してくださ……おえ」
「おい! 吐くなよ? まだ新車なんだから絶対吐くなよ!」
「吐きゃしませんけど、どうも自動車ってヤツは苦手です。
ただでさえ白い顔に血の気が失せる。助手席に乗る痩躯の男――
仕立てのいいスリーピースにチーフタイ。まるで西洋の田舎紳士といった居住まいの男は手にしたステッキにうなだれながら、幼少時代からの悪友を心の底で呪うのだった。
一方、兵藤はそれを「陸蒸気たぁ、また古くせぇな」と笑い飛ばす。
「どうせ暇なんだろ? いまさらゴチャゴチャ言うんじゃねぇよ」
「これで結構忙しいんですけどね、探偵家業ってのは」
「しゃらくせぇや。探偵ったってどうせ浮気調査か金貸しからの身辺調査が関の山だろが。こっちは人ひとり死んでんだ。黙って手ぇ貸しやがれ」
「だからって刑事が探偵に捜査頼みますか、普通」
「てやんでぇ! こちとらハナから頭使う気なんざ無ぇ!」
「ああ……こういうところは全然変わってない……」
蒼偉は車酔いとは別の苦悩に頭を抱えた。
ことの始まりはこうである。
蒼偉が営む『相馬探偵社』を兵藤が訪れたのが昨日のこと。お互い数年ぶりの再会とあって昔話に花が咲いたが、そのうち兵藤から「ちょっと顔貸せ」と切り出した。
「迷宮入りの事件?」
風のうわさで兵藤が刑事になったのは知っていた。
正義感が強く、昔からガキ大将として近隣にまでその名が知れ渡っていた彼である。その話を耳にした時は、旧友一同がさもありなんと思ったものだ。
「ああ。二ヶ月前に爺さんがひとり死んだんだが、どうにも状況が不可解でな。有益な情報も得られず八方手詰まりだ。そんなこんなで捜査本部も畳んじまって、その後始末を仰せつかった」
「後始末というと、適当に理由つけて捜査を打ち切って来い……ってことですか?」
「ま、そういうこった。今日び警察も人員不足で暇じゃねえんでな。成果の上がらねぇ面倒な事件にいちいちかかずらってるわけにはいかねぇ。かといって市民の目は気になるって話だ」
「それをなんでまた先輩なんかにあてがったんです。明らかな人選ミスでしょ」
「うるせーな。押し付けられたんだよ。いわゆる新人イジメの通過儀礼ってヤツだ」
「ああ……」
蒼偉は妙に納得してしまった。
「だがこのヤマで結果を出しゃ、また上に行けるぜ」
そう口にした兵藤が双眸をギラつかせている。
「つーわけだからちょっと手ぇ貸せや」
「なにがつーわけですか。大体一般市民が捜査の現場に立ち入っちゃダメでしょ」
「それに関しちゃ考えがあるからいいんだよ。で、やるのか。やらねーのか」
蒼偉はひどく疲れたような溜息をついて「どうせ断っても無駄でしょ」と言った。
「しかしどうして私なんです。先輩ほどの人脈があれば、もっと適任者もいたでしょう」
すると兵藤は我が意を得たりと口の端を上げ「実はな」と切り出した。
「仏師?」
「ああ。死んだ爺さんってのが
そう。相馬蒼偉は幼い頃から絵描きを目指していた。
戦後のどさくさに紛れてフランスに留学するも、父親の急死により志半ばで帰国。祖父の興した『相馬探偵社』を引き継いでいまに至るというわけだ。
零細とはいえ祖父の代から続く顧客もある。
絵描きへの未練もあったが、いまではそれなりに探偵業をこなしていた。
「榊 仁兵衛! 昭和を代表する大仏師のひとりじゃないですか。空襲で焼けた国宝の修復でも有名だ。近年では作風を広げられて西洋人形なども発表されていると聞いていましたが……そうですか、亡くなられたのか……」
ひとり思惟する蒼偉をよそに、兵藤は言葉を続けた。
「そのナントカ人形ってのが現場に山程あってな。価値があるのかどうかも俺には見当がつかんので迂闊に動かせないから、今度専門家を連れて行くと本部にゃ言ってある」
「で、私ですか。はっきり言って門外漢ですが」
「お偉いさん方を黙らせるには『フランス帰り』って箔が重要なんだよ。あとは密室の謎を解いてくれりゃ万事解決だ」
「密室? それはまた胡散臭い話だ」
そういう蒼偉だが表情は妙に明るい。
彼の事務所の本棚には、乱歩や虫太郎の背表紙が踊っている。
「どうだ面白くなってきただろう?」
「まあね」
兵藤の問いに蒼偉がまんざらでもなく答えると、
「よお兄弟。また一発カマしてやろうぜ」
どこまでが本気か分からないが、あの日のガキ大将がそのままそこにいた。
蒼偉は言葉につまり困った振りをしたが、にやける口元だけはどうしても抑えることが出来なかった。
二人を乗せたパトカーがとある屋敷の前で止まる――榊邸だ。
どこか武家屋敷にも似た威厳のある門構えが彼らを出迎える。それをくぐると今度は綺麗に並んだ飛び石が、奥へと続く母屋までの道案内をしてくれた。
蒼偉は歩きしな、吐息混じりに中庭を眺めている。
よく手入れされた日本庭園に、四季の枝葉が舞う。これには好事家ならずとも目を細めてしまうというものだ。約一名を除いては。
「おう。なにボサッとしてやがんでぃ。日が暮れんぞ」
兵藤はひとり、先に玄関までたどり着いていた。
風情を害された蒼偉は眉の端をキリリと吊り上げる。愛用のステッキを乱暴に片肩に担ぐとすこし大股にその場をあとにした。
その時である。
鈴生りになった紅い南天の実の隙間から、大きな土蔵が見えたのは。「あれは……」と無意識に口走る蒼偉の問いに、気がつけば隣にいた兵藤が答えた。
「あれが今回の事件現場だ。榊 仁兵衛はあの蔵の中で死んでいた。発見当時、蔵は完全なる密室だった。それは通報を受けた所轄の警察官達も確認している」
「密室……」
「いまから会うのが榊 仁兵衛の養女で、通報者の
「ほほぅ。俄然やる気が出てきましたね」
「何もなくてもやる気は出せよ。ほれ、その美人がおまちかねだぜ」
兵藤が親指で母屋を指すと、玄関先にはひとりの妙齢な女性が立っていた。艷やかな黒髪をうなじのあたりでまとめ上げ、細身と思われる肢体を喪服で包んでいる。
それが今はなき昭和の名工・榊 仁兵衛の養女、京子であった。
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