探偵と戦前の探偵作家 4/5
「ひとまず、前提条件の確認からだろうね。戦前に書かれた長編原稿ということは、400字詰め原稿用紙での数百枚。それも万年筆を使った直筆」
「めちゃくちゃに目立つ程ではないけど、かなり場所は取りそうだね」
「うん。週刊誌かノートを開いた大きさで、厚さ数センチの――5センチはたぶん行かない、2,3センチ程の――紙の束。75年前の代物だから、多少は茶色に変色してるだろうさ。それでも、文字が読めなくなる程じゃない。元のサイズがそれなり大きいんだ、少々かすれてても読めるはずだよ。そしてサイズ上、行方不明当時にしても、存在そのものに全く気づかなかったとは考えにくいね」
「こうして考えると、物理的な制約がかなりあるね……」
「何しろ、戦前だからね。まだ日本語のワープロもなければ安価なコピー機もない。だから基本は直筆で、本にならない小説はほとんど一点ものだったんだよ。キーボードで書くより遥かに時間がかかっただろうし、仮に散逸したとして、あらためて書き直す人はかなり稀だっただろうね」
友人の言葉を要約すると、こういう事になる。
・幻の長編は、直筆の原稿用紙が数百枚
・大きさは週刊誌やノートの倍、厚さは2,3センチ前後
・全体的に茶色に変色しているが、字が読めないほどではない
「次に、大枠を確認しておこう。これも、そう難しい話じゃない」
・大阪圭吉、長編の完成。徴兵前に師・甲賀三郎へ託す(1943年5月頃)
・甲賀三郎、講演先の岡山にて急逝(1945年2月)
・大阪圭吉、フィリピンはルソン島にて病没(1945年9月)
・鮎川哲也、遺族インタビューにて幻の長編の存在を記す(1973年2月)
「突き詰めれば、本当にシンプルなんだ。この鮎川哲也って人も名のある探偵作家だ、この人が探した場所は可能性が極めて薄いと見ていい」
「なるほど。少なくとも、インタビュー先は探しただろうね」
「それと、無い可能性のルートも除外していい。これは最初からどうしようもない、だから考えるべきは、どう言うルートなら追えるかだよ。その中でも、一番有力なルートはこれだね。30年近く前の本で発言者も亡くなってるけど、甲賀三郎のご子息・春田俊郎の発言がある」
わたしはまだ世間知らずの学生で、父親が亡くなった途端に収入がゼロになりました。恩給もなければ退職金もない、弔慰金も出ないし本も出版されない。結局、北条秀司先生が親がわりとなって、全部整理して下さったんです。(中略)
父は東京のアパートに住んでいたわけです。そこへ先生が古本屋を呼んで、売れる物はみんな売っちゃう、家族の写真やなんかは整理して送って下さると、そういうことになったんですね。わたし自身はタッチしていなかったのでわからないのですが、大阪圭吉さんから預かっていた長編原稿が行方不明になったのも、そうした混乱があったからなんです。
『鮎川哲也と十三の謎’91』p15
「この古本屋のルート?」
「そちらも考えられるけど、まあ無理な可能性が高いね。でも、アパート整理の様子は重要だよ。これも手がかりだ」
もう一点、僕はメモをとる。
・北条秀司、古書店に依頼し没後の東京アパートを整理(1945年頃?)
「あと、恩師に渡した長編の原稿てのもポイントだね。原稿はかさ張るから存在自体には気づく、そして記名があればその時に判明してる可能性は高い。他の原稿用紙の束にまぎれた可能性は、弟子から直接渡された原稿との点で除外できる。だから、原稿にはあってもタイトルだけ、著者名は書かれていなかったんじゃないかな」
「当たり前過ぎて、か……」
「原稿の流転も師の急逝も、その時点で分かるはずもない。うっかり記さなかったとして、そう不思議はない。そして甲賀三郎の元には、出版関係者も大勢出入りしてた。そんな所にある原稿の束を、遺品整理とは言えむざむざ捨てたとも考えにくい。少なくとも、保留くらいはしたはずだよ」
「でも、既に甲賀三郎が出版社に渡してた可能性は?」
直筆原稿は一点物に等しい。
ならば、一刻も早く本にすべきと考えたのではないか。
……もっとも、事実としてそう成ってはいないのだが。
「もちろんその可能性はある。ただ、当時はなかなか探偵小説を出せる時代じゃなかった。戦火のなか、「殺人などという不謹慎」を出す出版社はね。甲賀三郎にしても、著作のブランク期間なんだ。東京に暮らし地方に講演に行き、それでいて逆風を分からないような作家じゃないよ。そこまで時勢に盲目なら、預ける相手としては不安に過ぎるだろうさ」
友人は分厚い単行本を取り出し、付箋を手繰り開いてみせる。
僕は頷き、その箇所を読む。
戦争の足音が近づいて作家の人達は自由に小説を書けなくなりました。三郎もペンを折り、文部省の肝入りで創設された文学報国会に総務部長として勤めることになり、その後少国民文化協会の事務局長になったと思いますが、結局、その仕事で亡くなることになってしまいました。(中略)
真冬の一番寒い時期の福岡で風邪を引き、熱のある体で帰途についたのですが、列車が機銃掃射に会いそのまま岡山駅で止まってしまいました。駅員の人のお世話で岡山駅前の病院に収容されましたが、既に酷い肺炎になっていたので、私が駆けつけた時は意識朦朧として英語で「イリュウジョンがイリュウジョンが」とつぶやくのみで、瀕死の三郎に施された医療は戦争中の極端な薬品不足とはいえ、胸の辛子の湿布、足元には湯たんぽ代わりに生ぬるいお湯のはいった一升瓶だけでした。
深草淑子『父・甲賀三郎の思い出』(『甲賀三郎探偵小説選II』p350、2017年)
今更あり得ない、と考えるほうが常識的ではあるのだろう。
それでも。諦めず追い続けていれば、片鱗くらいは掴めるのだろうか。
「諦めるには早いけど、結局のところ、未探索かつ追えるルートは多くない。原稿の所在候補について、敢えて挙げるならこの2つだね」
A:個人宅での死蔵
B:北条秀司氏の遺品
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