探偵と戦前の探偵作家 1/5

「……戦前だよ?」


 もちろん、友人の才は明らかだ。

 今に至るまで、数々の難問を解いて来たのも知っている。

 それでも。


「100年前とまでは言わないけど……」


 さすがに今回ばかりはと、そう思わずにはいられなかった。

 今回の探しものは、何しろ戦前。

 より正確に言うなら、80年近く前の話なのだから。


 「無論、そいつは分かってるさ、ほぼ1940年代の話だってね。でもある程度の見当ならついてる、勝算はあるよ、まあ時間こそかかるだろうが」


 裏を返せば、こう言うことになる。

 時間さえかければ、見つけ出せる自信があるのだと。


 「何しろ、戦前だからね」


   ・


 大阪圭吉。

 今この名前を知るのは、主に推理小説のファンだろう。

 それも、戦前の探偵小説の。


 1912年。

 名古屋に生まれた本名・鈴木福太郎は、戦前探偵小説の大家・甲賀三郎に才を見出され世に出る。1932年のデビュー作『デパートの絞首刑吏』を皮切りに、『銀座幽霊』『とむらい機関車』『あやつり裁判』『坑鬼』と言った、リリカルさとロジック、意表を突く真相が同居する独自の短編を発表していく。


 戦時下。

 作家は徐々に、探偵小説発表の場を失う。転換でもスランプでもない、「大変なご時世に殺人とは」「実に不謹慎である」との理由で、雑誌が次々に毛色を変えていったからだ。代わってユーモアや国策に寄せた小説を執筆するも、その多くは現在読めなくなっている。この時期から戦後すぐにかけては現存資料の問題があり、大阪圭吉の作品に限らず不明な点は多い。


 戦中。

 徴兵された作家は中国各地を転戦し、敗戦当年9月、フィリピンはルソン島にて没する。通例7月前後とされるその日は戸籍上の届け出日であり、実際の病没は終戦後、9月20日前後であったと言う。山岳よりの撤退中、マラリアに倒れてのことだった。享年33歳。


 戦後。

 鮎川哲也氏による紹介や度々のアンソロジー収録を契機に、一度忘れられたかに思われた作家は、再び脚光を浴びるようになる。戦後初の単行本『とむらい機関車』(国書刊行会)が出たのは1992年。実に没後、およそ47年が経ってのことだった。


 現在。

 ベスト版としての文庫が2冊、師である甲賀三郎との併録文庫が1冊、そして未収録作を中心とした単行本が2冊、それぞれ出版されている。熱心なファンによる私家本では、さらなる未収録作が収められてもいる。また代表的な初期作は、ネット上の青空文庫で読むことも出来る。


 没後73年を経て今なお光を放つ、知る人ぞ知る推理小説家。

 そんな戦前の探偵作家の未発見作品を、友人は探し求めている。


   ・


 開始から数ヶ月というもの、特に進展はないらしかった。ただ日がな一日――僕が出かけている間もそうであるなら――ずっとノートPCの前で、試行錯誤を繰り返しているように見えた。


「収穫はあった?」


 ある夜、思わず僕は聞いていた。

 パソコンに向かうだけで収穫があるとは、どうにも考えづらかったからだ。


「もしないなら、実際にありそうな場所に出かけてみるべきと思うのだけど……」


 遠慮が原因なら、それは外しておきたかった。

 友人の枷は、少なければ少ないほどいい。


 「それはここぞと言う時だね。要は投資対効果、かける費用と時間の問題さ」


「出かけても意味がないってこと……?」


 「いや、そこまでは言ってないよ。意味はある、ただそれは、余程の確信が得られたときだけだ。普段はだから、その足場を固める方が結果的に可能性が高い。何しろ、今回は戦前の、それも知る人ぞ知る作家だ。研究者チームが継続して追ってるでも、資料が一箇所に集約されてる訳でもない。優れてはいてもあくまで個人、それもわずか数人が、自力で研究を続けてるだけだ。だけ、と言っても十二分に偉いけどね、でもそこに漏れがある可能性は高い、たとえどんなに優れた人がやっていてもね」


「こう言ってよければだけど、出し抜ける自信がある、てことかな?」


 「それも少し違うね。要はやり方の問題で、その切り口に少し新しさを出せるってだけの話。準備段階だけど、これは興味のあるはずの人、潜在的な大勢に協力してもらえる方法だよ。個人個人では、どうしても限界があるんだ。まあ一定以上に優れた者同士なら、絶対に組んでおくべきだよ。その上で、同じ位やる気があるなら言うことはない。収穫がある日の方が圧倒的に稀な場合、互いに刺激し合うのが相当に重要なんだよ。一人でやるとどうしても、「諦める」って選択肢が大きく見えるからね」


「人を褒めるのは珍しいね。ひとまず、やってる人に話を聞いてみるのは? いまどき、連絡用にメールアドレスくらいは公開してるはずだし」


 そこで初めて、友人の表情が曇った。

 これまた、珍しい反応だ。


 「それがね、中心を担ってるはずの小林文庫オーナーという人、この人が数年前から消息不明みたいなんだ。何回か連絡先にメールもしてみたけど、まだ返事はない。事情を話し周囲の人に訊ねてみても同じ、やはり連絡がつかないそうだ。おまけに今年の夏には、小林文庫オーナーの蔵書と分かる古書、これを入手した人もいる」


「え、それって……その」


 「あまり考えたくないことではあるけどね。でもその可能性は、考えておかないといけないだろうね」


 目をつむり。

 その場で友人は、それ以上言葉を続けなかった。

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