探偵と戦前の探偵作家 5/5

「じゃあ、ここにその幻の長編が?」


 僕とは裏腹に、友人は冷静だった。

 押し止めるような口調で、僕を諭す。


 「あくまで、あるとすれば、だね。か細い可能性の内、それでもあり得るルートを述べたただけだよ。決して確定じゃない」


「……むずかしい事に変わりはないんだね」


 「まあ他にも、候補があることはあるんだ。たとえば、このページの下半分を見てごらん」


 友人は分厚い文庫本の巻末を開いてみせる。

 二段組に小さな文字で、その文章は記されていた。



 空襲の激しくなった昭和二十年二月に、父は岡山で急性肺炎のために客死したが、薬どころか食物もなかった時代を思えば、やはり戦争犠牲者の一人として諦めざるを得ない。もし父がその生命を全うし、戦後に活動の場を得ることができたなら、どんな作品を書きまたどんな活動をしただろうかと、私にとってはいまだ残念に思えてならない。

 戦争末期に急死したときは、私はまだ大学生であった。

 小説家は死んでも、退職金もなければ恩給もない。まして探偵小説の再版など思いもよらぬ時代であったため、未亡人となった母や妹の生活はすぐ私の肩にかかってきてしまった。このような生活の苦難を心配されて、私たちに救いの手を差し伸べて下さった方々はたくさんおられるが、。父もよき作家に恵まれて幸せだったと思う。私の母、つまり甲賀三郎未亡人も今年八十八歳で世を去ったが、いつもこういう方々に感謝していたことをお伝えしたい。

   春田俊郎『父、甲賀三郎を憶う』(『日本探偵小説全集1』巻末付録p6、1989年)



 やはりと言うべきか、「探偵作家仲間」の名前が目を引く。

 江戸川乱歩氏は言わずと知れた小説家だろう。

 作品そのものは無論、名前さえ探偵漫画の主人公に及んでもいる。


「この、大下宇陀児氏と九鬼紫郎氏は……?」


 「大下宇陀児氏は戦前の有名作家だね。江戸川乱歩、甲賀三郎、そして大下宇陀児、この三人が戦前推理小説の代表格だと横溝正史は言っていたそうだよ。九鬼紫郎氏は実作者であり名編集者。甲賀三郎の没後、全集――と言ってもかなり抜けはあるけど――を編纂したのもこの人。長谷川伸氏と北条秀司氏は演劇方面だね」


「さすがに、探偵作家仲間で死蔵されてるとは考えにくいかな……」


 「まあひとまず、亡くなった年で考えてみようか」


 (1943年 幻の長編を脱稿、甲賀三郎に託される)

  1945年 甲賀三郎(1893年生)

  1945年 大阪圭吉(1912年生)

  1963年 長谷川伸(1884年生)

  1965年 江戸川乱歩(1894年生)

  1966年 大下宇陀児(1896年生)

 (1975年 鮎川哲也、幻の長編の存在について言及)

  1996年 北条秀司(1902年生)

  1997年 九鬼紫郎(1910年生)


 「これを見て分かる通り、ほとんどの人は50年以上前に亡くなってるんだ。可能性を考えれば、全部あたるべきなんだろうけどね」


 その表情には、伝手があればとの思いが浮かんでいた。

 故人とはいえ私的領域に立ち入るとなると、いろいろと厳しいことだろう。


「没後比較的時間が経っていない、かつ推理小説方面でない関係者、か……でも伝手はないんだよね?」


 「うん。今のところ、縁もゆかりも無いからね。だから、この件を書くなら、そこの所のオチは上手く頼むよ」


 ともあれ、友人に諦める気はないらしい。

 そうとだけ書いて、一度この話は終えるとしよう。 (了)

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友人探偵のネット事件簿 祭谷 一斗 @maturiyaitto

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