友人探偵のネット事件簿

祭谷 一斗

探偵と夭折の天才作家 1/4

 「君が雑誌とは珍しいね」


 その事件は、友人の一言から始まった。


 「何を読んでるんだい」


「いい話さ。夭折の作家の天才たるエピソード。重い病を得てこのままでは何も残せぬままと悟った未来の作家は、そのデビュー作をわずか10日で書き上げた……タイトルは『虐殺器官』。いい話だろう?」


 「それが本当ならね」


 その時の友人の興味は、さほどでないように思えた。


 数日後。

 夕方にマンションへ帰ると、応接間で待ちかねた風に友人が待っていた。

 開口一番、友人は言う。


 「解けたよ。うん、解けたと言っていい」


 友人の唐突には慣れっこだが、慣れて察せる訳でもない。

 玄関脇にカバンを置き、僕は聞く。


「待ってくれ、何の話だい?」


 「速筆でならしたと言う、あの作家のデビュー作の話さ」


 ここでようやく、話が飲み込めた。


「……あの逸話が本当かどうか、分かったって言うのか?」


 友人はその問いに、直接は答えなかった。

 代わってソファに座り、テーブルを挟んだ向かい側のソファを示す。

 長くなる気配を感じ、大人しく僕は向かい側に座る。


 「そもそも、『虐殺器官』って何なんだい?」


 面食らった末、僕は何とか答えを返す。


「……小説だろう」


 「いや、作品としての完成のことさ。新人賞の応募時? 出版社に見せた時? それとも、『虐殺器官』って本が出た時かい?」


「そりゃあ、単行本が出たときじゃないか」


 「うん、改稿の機会を除けばね。だがこの作者の場合、文庫が出る前に亡くなってる。作品としての完成はだから、ほぼ最初に出たときのことと言っていい」


 ほぼと言うのは恐らく、重版時の修正を指すのだろう。

 諸々の可能性を考えた、友人らしい言い回しではある。


「……何を言ってるのか、よく分からないな」


 「いいかい、応募当時の原稿は、作品の完成とイコールじゃないんだ。君にも覚えがあるはずだ。出版社に原稿を渡す、はいそうですかと向こうはそのまま出す」


「そんな訳ないだろう。一度見せた後でもやり取りはある、必要とあれば書き直し書き足して……あっ」


 「そう、改稿がある。応募時の原稿と本とは、本来別物なんだよ。大勢がまず、ここを勘違いしてる。「10日間で書き上げた」と実際に書かれているのは初稿、つまり応募当時の原稿のことだ。あの本が10日間で書かれた訳じゃないのさ」


「でも、本当に別物だったかは分からないじゃないか……」


 「それが分かるのさ」


 テーブル端から、友人は紙一枚を取り、テーブル中央に置く。

 残された隅には、コピー紙の束が積み重なっている。

 ともあれ今は、目の前の紙を読む時だ。

 没後の対談らしきそれには、こんな旨が読み取れた。


  ――筆は早いけどメールは遅かったですね。

  ――どうやって書けたのかなと。

  ――作品には僕の方からほぼ手を入れなかったですよ。


 読むと確かに、そのままでなかったとは分かる。


 「それで、日記にはこうある」


 新たな紙の提示。

 なるほど、どうやら一筋縄ではいかないらしい。

 今度はネット上の日記、ブログのコピーだ。

 全部を写すとさすがに長くなるので、要点だけ抜き出そう。


 1・入院中は一日平均40枚の原稿を生産していました。最高80枚。

 2・入院中の今月は800枚も原稿書きました。映画も観に行けず辛い。

 3・ここ一週間で『ハーモニー』第二部まで210枚を書いた。


「一日40枚か……」


 具体的な枚数に直されるとまた、別の驚きがある。

 ひと言で表すなら、猛烈に早い。

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