探偵と戦前の探偵作家 3/5

 「次はこれだね。今日、ようやく資料が揃ったんだ」


 テーブル上に紙の束が置かれる。

 複数の本からのコピーとは分かるものの。


「それって、元は普通に売ってた本だよね?」


 「うん、その通り。ごく普通に売ってた本について、抜粋してコピーしたものさ」


「さすがにチェック済みじゃないのかな……」


 こと探索に関する限り、友人はほとんど無駄なことをしないタイプだ。

 無駄というのはつまり、闇雲で意義のない行為のこと。

 大阪圭吉に関連しているはずの、複数の公刊資料。

 これにどう言う意義を認めているのか、即座には察しがたい。


 「一個一個ではそうだね、チェックしてる人はいるだろう。未調査かと言われると、決してそんなことはないはずだよ」


「なら、なんで……」


 「でもそれは、あくまで一個一個の話だ。全部そろえて読み比べてみて、それを公表する者となるとなかなかいないのさ。それに、もし明示しておけばだよ、後々の人間は無駄足を踏まずに済む」


「……途中で抜けるってこと?」


 「そうじゃない。でも、不本意ながらそう言う可能性もあるってことだよ。個人に頼りきりの研究では、主軸が一人消えると成果が途絶し易い、たとえ進んでいたことでもやり直しになる。それへの対策さ。まあ完全に防ぐのは無理だけどね、でも備えていないより遥かにマシなはずだよ」


 一息を継ぎ、友人。


 「この件はね、見かけより恐ろしく気長なんだ。見当こそついてはいる、でもそもそも、物が現存しないとなれば永遠に未完だ。でもね、だからこそ、足跡は残しておく必要があるんだよ」


「なるほどね。そこまで考えてるなら、今回も付き合うよ。と言っても、僕は疑問をぶつけるだけだけど……」


 ほんの少し、友人の顔を見る。

 何を言ってるのかという顔。


 「何をやるにしてもね、相手がないと張り合いはないよ。君がどう思っていてもね。じゃあ、始めてみようか」


   ・


 そのことについて。

 一番の疑問はまず、存在の有無だった。

 大阪圭吉、幻の長編。

 戦地に赴き帰らなかった作家が、師・甲賀三郎に託したとされるもの。

 とこう言えば、界隈ではちょっとした有名物らしい。


「そもそも、その幻の長編は存在したのかな?」


 魅力的な謎ではある。

 けれども存在が怪しいとなれば、無為が確定してしまう。


 「存在そのものは間違いないね。少なくとも、一時期の存在は事実と見る。ひとまずこれを見てくれ、御遺族に直接聞いた人の文章だ」



 戦局がどうにも収拾がつかなくなった頃、大阪家にもあわただしい動きがある。作家生活をいとなむ上で不便を痛感していた氏は、東京移住を決意して十七年七月にひとまず単身上京するのだが、その直前に、左翼関係の書物を風呂の焚き火に入れて焼却している。当時は大阪家と警察とが向かい合っていたと言うから、スリル満点であったろう。

 秋に、小石川の借家に妻子を呼び寄せ、ここであたらしい生活が始まる。甲賀三郎氏と親しかった氏は、その推挽で少國民文学報告会に勤務するが、ここは一般のサラリーマンとは違って時間的に余裕があった。圭吉は念願の長編探偵小説をコツコツと書き続けていた。そしてそれが完成したとき、氏は一枚の赤紙に駆り立てられて戦場へ赴くのである。時に十八年六月。ただ残念なことながら、この原稿は所在不明になっている。

   鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』(1985年)p50-51



 「実は傍証も提示されてはいるんだ。同じ人が、さらに十数年前に書いた文章だけどね」



 最後に私は意外な話をきかされた。こと探偵小説に関する限り、短編専門の作家だとばかり思っていた大阪圭吉が、なんと出征前に本格長編を書き上げていたというのである。昭和十七、八年の作量が急に減っていることは前にも指摘したけれども、それは長編を書きおろしていたためだろうか。

   鮎川哲也『人間・大阪圭吉』(1973年) ※『死の快走船』に再録、p544



 「作量については、データにしてみると見ると早いね」


 以下、友人が集計したデータである。

 ただしあくまでも小説の発表数であり、単純な比例ではないとのこと。


14年 12作

15年 17作

16年 20作

17年 19作

18年  9作(※6月出征)


「あれ、急減とまでは言えないような……」


 「うん。だから、これは根拠としてちょっと微妙なところだね。有名な雑誌から舞台を移してはいて、それが減ったとの印象につながった可能性はあるかな。あと、後年の文章では執筆量の上下に触れてない。もしかしたら、リストか何かを参照して気づいたのかも知れないね」


 唱えられていた説を検証はしてみた、ということなのだろう。


 「それらしいことと言えば、名古屋新聞社の雑誌『にっぽん』の連載がなくなってることだね。捕物帳シリーズの連載は、当時それなりに人気があったらしい」


「それでも、単行本にはなっていないんだね……」


 この当時の『にっぽん』という雑誌は、極端に現存数が少ない。

 必然その連載内容も、未だかなりの暗中にある。


 「まあ、その辺りの事情については、ちょっと ね。人気と言ってもそこそこだったのかも知れないし、作者が固辞していたのかも知れない。そこは考えても仕方がない。ともあれ、ここまで具体的な証言があるとね。それも生前、一緒に暮らしてたご家族の。幻の長編は、少なくとも一時期の日本に存在してたのは確かだよ」


「じゃあさ……その幻の長編、探せるのかな?」

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