a long long 監視員
監視員の監視をする仕事。
よくわからないこの仕事でもありつけただけマシというもの。
まったくありがたくないことに科学技術が発展し、いままで人間がやっていた仕事のおよそ七割は機械が担当している今の世の中、どんな内容であろうと仕事が貰えただけでスーパーラッキー。なんの技術も資格も持たないただの役立たずであるこの俺を雇ってくれたこの会社に一生恩返しをしよう、文句なんてぜったいに言うものか。
――なんて思っていたけれど、一日目ではやくもその決意が壊れそうだ。
監視員の監視という名目で俺は今日の午前十時からすでに二時間以上も中年の丸まった背中を見続けているが、これがまた想像以上に何もなくて暇だ。さらに工場内には規則的な間隔で「ガシーン」だか「ギュイーン」だかの機械音が響き、これがまた眠気を誘う。
「こら! 就業中に眠るな!」
後ろから鋭い笛の音と怒声が飛んできた。
しまった、ついうとうとしてしまったようだ。首だけを後ろに回し見ると、俺の後ろに俺と同じ灰色の作業服を着た若い男がいた。
――こいつが俺の監視員だ。
監視員を監視する俺を監視する監視員である男の後ろにも監視員がいる。
視線を前方に投げると、俺の前、丸まった背中に哀愁を漂わせている中年の前にも同じ作業服を着た男がいる。俺が監視している中年が監視している男だ。さらにその前にも作業服を着たおばさんがいた。
俺たち監視員がいる窓もない細長い廊下のような空間はほんのわずかにカーブしており、それ以上前は見えない。だが、きっと曲がった先にもきっと監視員がいることだろう。
天下の三丸産業の下請けということで詳しい説明を聞くこともなく飛びついたが、この工場ではいったいなにを作っているのだろう。おそらく俺たち監視員の先には何らかの製造ラインがあるはずだが……。
疑問に首を捻ると同時についでに骨も鳴らす。ゴギリと鈍い音がした。就業からすでに二時間以上硬いプラスチックの椅子に座り、ずっと前の男を見続けているのだ。首も肩も腰も尻も痛い。さらに今日は昼休憩を挟んであと五時間この仕事を続けるのだと考えると頭も痛くなってきた。
ジジジと短いホワイトノイズのあとに学校で聴き慣れたチャイムが鳴った。昼休憩の合図だ。最初の三時間がやっと終わったようだった。地獄のように長い三時間だった。
ガタガタと椅子を鳴らし、前後の人間が立ち上がる。それぞれに肩や首を回したり、その場で屈伸をしたりと身体をほぐしている。俺も立ち上がる。三時間もずっと同じ姿勢で座っていたため、関節はコンクリートを流し込んだかのように固まっていた。
「新人くん、ご飯行こう」
「あ、はい」
俺が監視していた中年がこちらを振り向いて言った。脂の浮いた顔には人懐っこい笑顔が浮かんでいる。彼は佐藤と名乗った。凡人そうな見た目に似合いのありきたりな名前だ。
「疲れたでしょう。なにもしないってのも結構辛いよね」
「そうっすね」
なにもせずにお金を稼ぎたいと常々思っていたけれど、なにもしないのレベルが違う。家でごろごろしてミカンを口に放り込みながらお金が貰えるわけではない。なにもしないことをしないといけないのだ。そこに自由は一切ない。
佐藤さんと連れ立って歩き、エレベーターに乗る。かなり大きな箱でざっと数えて三十人ほどは一度に乗っているようだ。一番入口に近いひとりがボタンを押すとゆっくりと扉が閉まり、微かな浮遊感を覚えた。どうやら下っているようだ。たしかに工場は平べったく上階があるようには見えなかったから、地下に食堂があるのだろう。
到着を告げる軽い電子音が鳴ると、逆側の扉が音もなく開いた。みんな身体を反転させてぞろぞろと出て行く。その波に乗り、俺と佐藤さんもエレベーターを降りた。
そこはとてつもなく広い空間だった。
テニスコートで例えるよりも野球場で例えたほうがわかりやすい広さだ。そこに長机がずらりと並べられ、何百人と座り食事を摂っている。
俺はつい口をぽかんと開けて立ち止まってしまった。後ろの男に背中をどつかれる。佐藤さんが笑いながら腕を引っ張った。
「初めて見たらそうなるよね。さ、僕たちもご飯もらいに行こう」
俺は阿呆みたいに頷いて、都会に出てきたばかりの田舎者よろしくキョロキョロとしながら佐藤さんについて行った。
食事を受け取るカウンターは無人で、俺が首元から下げている社員証を機械にかざすと四角い穴からトレイごと「パコッ」と湯気をあげる料理が出てきた。それを持ち空いている席へと腰を下ろした。
食事をしながら佐藤さんと他愛ない話をした。
どうやら佐藤さんはこの仕事を五年も続けているらしい。そこで俺は先ほど浮かんだ疑問を尋ねてみた。この工場ではなにを作っているのか、という疑問だ。
「さあ?」と佐藤さんは小首を傾げ、ずずずと味噌汁を啜った。
「そういえばなにを作っているか知らないなぁ。そもそもこの工場には搬出口がないから、たぶん僕たちが出入りしている正面玄関口から製品を搬出しているんだろうけど、僕は見たことないなぁ。きっと就業中に入搬出しているんだろうと思うけど」
うん、とひとり納得顔で茶を飲む佐藤さん。
「佐藤さんは気にならないんですか? 自分たちがなにに関わっているのか」
佐藤さんが食後の一服を終え、腕を組んでうーんと唸った。
「気にはなるけど、監視員として機械ではなく人を雇っているんだ。この会社は僕たち人間のことを信頼しているんだよ。その信頼を裏切らないように僕は目の前を見るだけさ。それが仕事だからね」
そう言って人の良い笑みを浮かべる。なにか騙されている気がする。
食事を終え疲れた互いをいたわっているとチャイムが鳴った。午後の部の開始十分前を告げる予鈴だ。気づけば食堂にいた人たちもかなり減り閑散としていた。
「そろそろ行こうか」
佐藤さんと連れ立ってエレベーターへ。今度は上から少し押される感覚。
「せめて途中で椅子から立ってストレッチとかしちゃダメですかね」
「ダメダメ。椅子にセンサーがついてて、立つと警報鳴っちゃうんだよ。いままで何人か耐えられずに立っちゃった人たちがいてね。その人たち次の日から見なくなったから、たぶんクビになったんだよ。君も気をつけてね」
佐藤さんはそう言うと開いた扉から出ていき、自分の持ち場へと戻った。俺もその後ろをついていく。俺の持ち場、佐藤さんの後ろの椅子。この黄色いプラスチックの椅子に座り、また佐藤さんの後ろ姿を延々五時間も見続けなければいけないのか。自然とため息が出る。
映画上映前のように工場内にブザーが響き渡り、天井から人工音声のような抑揚の薄いアナウンスが流れる。
「作業開始まであと一分です。各自持ち場についてください。作業開始まで……」
椅子に座る。背もたれに背を預けるとぎしりと軋んだ。
チャイムが鳴り、午後の部が始まる。
工場内にまたも「グイーン」だか「ゴウーン」といった機械音がまったく同じ間隔をあけつつ響き始める。
どうせ佐藤さんがなにかするはずもない。俺は佐藤さんの煤けた背中から視線を外し、足元を見ながら考える。
佐藤さんは言っていた。この会社は人間を信頼していると。
でも、椅子にはセンサーが組み込まれていて立ち上がると警報が鳴るとも言っていた。いわば、ブザーが俺たちの監視員をしているわけだ。なら、俺の後ろにいるこの若い男はなんのためにいるのか。
そもそも監視員の監視員ってなんだ。監視員の監視員の監視員はもっとなんだ。
そんなことをしていたらいくら監視員がいても足りないじゃないか。人件費は無限に嵩む。そんなムダをするよりも、ひとつ人工知能でもなんでも導入した方が安くて確実だ。ほかの会社がしているように。
……いったい俺はなにをさせられているんだ。
頭の中でなにかの切れる音がした。
俺はおもむろに椅子から立ち上がる。後ろの男が笛を吹くのと同時に警報音が鳴り始めた。「持ち場に戻ってください」とアナウンスが告げる。赤色灯の投げた光が白い空間を塗りつぶす。
佐藤さんが驚いた顔でこちらを振り向いた。
「なにをしてるの! まだ間に合うからはやく座って!」
俺は首を横に振った。自分がなにをしているかわからないままなんて耐えられない。気持ちが悪い。もしかしたら知らずになにかの犯罪に加担しているかもしれないのだ。
警備員がいつくるかもわからない。俺は監視員の先にある製造ラインを、俺たちが働いた結晶である製品を見るために駆け出した。
赤色灯がぐるぐると赤い光を投げている空間を、灰色の作業着をきた男女が等間隔で椅子に座っている。誰もが俺のことを驚いた顔で見ていた。
十、十一、十二……二十を過ぎたところで監視員を数えるのをやめた。
廊下のような空間はゆったりとしたカーブを描いてどこまでも続いている。どこまでも同じような景色ばかり。監視員に監視される監視員に監視される監視員に監視される監視員……。頭がおかしくなるかと思うような光景。
息があがり、膝も痛くなってきた。額から汗が流れ目に入って痛い。もう自分の持ち場はとうに見えなくなっているが、まだ製造ラインにはたどり着かない。
追っ手の来る気配がないので、俺は走るのをやめた。肩で息をしながら歩き出す。驚いた顔をした監視員たちは誰も俺を止めようとはしない。止めようと立ち上がればクビになってしまうかもしれないからだ。誰もがこの謎の仕事にすがりついている。
俺たちのような特別な知識も技術もなにもない、世界のゴミのような存在はこんなよくわかりもしない謎の仕事をしなければ生きていけない。世界はそうなってしまった。技術の進歩が俺たちを殺すのだ。
普段から溜め込んでいた社会への不満が身体の中で爆発して俺は叫びながらまた走り出した。自分でもなんでこんなことをしているのかがわからない。わからないがもう止まれない。行き着くところまで行かなければ。
そうしてどれほど走っただろう。途中でまた歩きながら、体力が戻れば走りながら、どれほど経ったろう。どれだけの監視員を見てきただろうか。その誰もが思考を停止したようなぼんやりとした顔をしていた。
俺はそうはなりたくない。
なにもない俺にも一端のプライドだけはあったみたいだ。
そんなことに気づいてなんとなく面白くなってきたとき、ひとりの監視員に声をかけられた。
「新人くん!」
振り返ると、そこには佐藤さんがいた。目を丸くしてこっちを見ている。俺も同じような表情を浮かべただろう。だっていま、佐藤さんは俺のすぐ後ろにいるのだ。
「どうして僕の後ろから君が? この先にはいったいなにがあったんだい?」
佐藤さん問いかけが金槌となって俺の頭を思いきり殴った。酸素不足で働きの低下していた脳がその衝撃で機能を停止した。俺はその場に膝からくすおれた。
――なにがあったって?
「なにも……なにもなかった」
「なにもない? そんな馬鹿なことがあるはず……」
佐藤さんの声が尻すぼみに小さくなっていく。反対に工場内の喧騒は激しさを増した。伝言ゲームのように伝わっていく真実。信じようとしない者、驚愕し立ち上がる者、理解し項垂れる者。言い争う声がそこここで生まれる。警報。赤色灯の光が散らばる。
俺はしりもちをつき、茫然としていた。ここにはただ監視員の灰色の背中が並んでいるだけだった。この工場はなにも生産していない。なにも生み出していない。じゃあ、俺たちはなんのためにここにいたのか。なんのために――。
笑いすらこみ上げてくる。それは結局、何者にもなれない自分自身への失望。俺たちは生きている意味がないのだと、知ってしまった絶望。大人しく座っていればよかったという後悔。いまとなってはすべてが遅い。もう俺はこの仕事を続けることはできない。
#####
とある高層ビルの一室である。
きらびやかな夜景を望む窓の前にひとりの男が立っていた。丁寧に撫でつけられた髪。品の良いスーツ。工場で無意味に椅子に座り続ける彼らが使われる者だとすれば、彼は使う者。生まれからして違う。育ちがよく、学があり、金も有り余るほどにあった。
秘書の女性――こちらもスーツ姿で目を見張るほどの美人――がファイルを開き、男に報告する。
「S市の工場でまた起きました」
彼女の美しい声に男はため息を吐いた。乱暴にワインを注ぎ、味わうことなく飲み下す。監視員の男たちが一生働いても手が届かない高級ワイン。
「どうして社会の真実を覗きたがる。知ったところでどうせ理解なんてできやしない癖に」
「社長。ひとつお伺いしても?」
「なんだ?」
「それほど嫌悪されている貧困層相手にどうして働き口を用意するのです? 無意味では?」
男は肩をすくめる。銀幕のスターかと錯覚するほどにお似合いの動きだ。
「ボランティアだよ。恵まれない大人たちに救いの手を、だ」
「それならば、なにかを作らせればいいのでは?」
「やつらに作れるものなんてたかが知れてる。そういうのはもう機械の仕事だよ。彼らのほうが仕事が丁寧で正確だ。それにさぼらない」
なら、と言いかけた秘書を人差し指で制止する。男は嘲笑の微笑みを浮かべている。
「必要なものは機械で作る。なら、不必要なものでも作らせれば、と言いたいんだろう? そんなことはできないよ。地球はすでにいっぱいだ。学ぶことをせず、努力も放棄して、甘い汁だけ要求してくるようなゴミでね」
男の言葉に秘書は何も言い返せない。言い返す気もない。彼が言っていることは世界の真理だ。義務を果たさずに権利を主張するばかりの人――父のような――はもう必要ない。
秘書の女は満面の笑みを浮かべる。自分は死ぬほどに努力をしてきた。そして、選ばれた。
「おっしゃるとおりですね。私も、そう思います」
「やはり、君ならわかってくれると思ったよ。佐藤くん」
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