告白のマトリョーシカ
「ちょっと大きいみたい」
山岸
「あれ、ごめん。かっこつかないな」
一世一代のプロポーズを終えたばかりの国見一茂は頭をポリポリと掻いて情けなく眉を八の字にした。こういうところでさえ可愛いと思うのだから、私はこの人を愛しているのだな。優実の胸に幸せがじわりと広がっていく。
「明日、明日の仕事終わりに直してもらってくるよ」
そういうと一茂は優実の指から指輪を外した。優実はおもちゃを取り上げられた子供のように目を丸くした。
「ううん、それでいい。返してちょうだい」
「いいや、そればっかりは君のお願いでも駄目だ。明日、きちんと直してもらうから、ちゃんとした指輪を送るよ」
優しい一茂だが変なところで頑固だ。そのことを知っている優実はしょうがないなと苦笑した。
「じゃあ、明日の夜、また改めてプロポーズしてくれる?」
「ああ、わかった。でも、今度はこんな高級料理店は無理だよ。家でいい?」
「まったくしょうがないんだから。いいわよ、それで」
ふたりで顔を見合わせて同時に噴き出した。どこでだって構わない。ただ彼がいてくれるだけで優実は幸せだった。
――七年後。
ご飯のあと
峯井さんは真剣な表情をしていて、車内には緊迫した空気が張り詰めていました。黙りこくったふたりを乗せて赤いスポーツカーが滑るように走り出しました。
繁華街を抜け、次第に道は登り坂に差し掛かりました。道幅は狭くなり、車一台がやっとでした。
いつしか外灯も少なくなり、曲がりくねった道を照らすのはヘッドライトばかりでした。ちらりと浮かんだ看板を見て、私はようやく峯井さんがどういう意図で私をドライブに誘ったのか察したのです。
どうしたものかと思案しているうちに道が開け、小さな駐車場へとたどり着きました。車を降りると初春とはいえまだ風は冷たく、どこか冬の匂いを隠しているようでした。
峯井さんの背を追いかけ、少し歩くとやがて展望台が見えてきました。展望台とはいっても小さなもので、崖の上に飛び出した庇のようだと思いました。
そこにはお金をいれるとみることの出来る望遠鏡がひとつあるばかりで、あとはただ山腹にある小さな広場といったふうでした。向こうは切り立った崖となっているにも関わらず、安全性にいまほど五月蠅くない時代のものなのか、柵が腰ほどまでしかなかったことを覚えています。
キラキラと光る街並みが遠くに見えました。峯井さんは無言で柵に手を乗せて、じっと遠くを見ていました。私も同じようにしました。近くで見れば無機質な蛍光灯の明りも、こうしてみるとひどく綺麗に見えました。
「優実さん」
峯井さんが口を開きました。私はとうとうきたかと身構えました。
「もう察しているとは思いますが、きちんと言葉にして伝えたくて。僕はあなたが好きです。お付き合いをしていただけませんか?」
峯井さんの言葉に私は俯きました。彼の言葉が嬉しくないと言えば嘘になりますが、素直に頷くには私たちの関係は複雑でした。
「わかっています。優実さんの中にはまだあいつがいるんですよね」
峯井さんはそう言いました。
あいつとは私の恋人であった国見一茂のことです。峯井さんは一茂さんの同僚であり、友人でした。七年前、結婚の約束をした翌日に一茂さんが姿を消した時、私はいの一番に峯井さんを頼りました。
警察にはもちろん行きましたが、いい大人の失踪事件に尽力などしてくれません。相手にもされませんでした。一茂さんが自ら姿を消したのではと言われました。
でも、そんなはずがありません。私に改めてプロポーズをしてくれると言った彼が自分で失踪するはずがないじゃないですか。
いろんなところに訊いて回ってみると一茂さんはあの日、私と別れてから行方が分からなくなったようでした。
私は途方に暮れ、毎日泣いて過ごしましたが、そんな私を峯井さんは献身的に支えてくれました。友人の恋人で一度会ったことのあるだけの女のために、峯井さんはとてもよくしてくれました。
「僕はずっとあなたの傍にいます。信じてください」
彼の言葉は真実だろうと思いました。実際この七年間、峯井さんはいままで私のそばにずっといてくれました。それが単なる優しさだけではないということに気づいてはいましたが目を逸らしてきました。しかし、それはある意味では私の中で答えが出ていることの証明でもありました。
「もう七年です。あなたを置いてどこかへと消えた男を待ち続けては、あなたの人生がもったいない。もう、忘れるべきです」
「そうでしょうか……」
峯井さんの言うことを私はずっと考えていました。誤解のないように言っておきますが、私は国見一茂を心から愛していました。ですが、彼が突然に消えて七年。その間に献身的に支えてくれた峯井さんに心が揺れたのもまた事実でした。
――もう、いいいのかもしれない。
すべてを忘れてこの人に縋ってしまおう。そう思い、私が頷こうとした時でした。彼が言ったのです。
「あんな男は忘れたほうがいい。プロポーズの約束を反故にする男なんて」
「え……プロポーズ?」
「ええ、そうでしょう? 彼は約束をしていたのに姿を消した。それにそもそも指輪のサイズを間違えるなんて信じられない」
「どうしてそのことを……? 話したことないのに」
後頭部をハンマーで殴られたような衝撃が襲いました。どうして彼がそのことを知っていたんでしょうか。一茂さんと連絡が取れなくなったのはプロポーズの翌日からで、最後に彼にあったのは私のはずでした。
私がどうして知っているのかと問い詰めると峯井さんは見るからに狼狽えていました。一茂さんからその話を聞いただとか、なにか言っていましたが、私は彼の目を見て確信しました。
一茂さんに最後にあったのは私ではなく、峯井さんだったのだと。そしてそれを秘密にしていた理由はきっと……。
「それで突き落としたってわけか」
ここまで話を黙って聞いていた角澤が問いかけた。彼女、山岸優実はこくりと頷き、長い話を終えた。小さな取調室に沈黙が横たわる。角澤は少し待つようにと彼女に言うと部下の村本を連れて部屋を出た。
「自白もしてるし、証拠も出てきそうだし。事件解決っすね」
村本が世間話でもするような軽さで言った。彼の能天気さがときどき羨ましく思える。角澤は顔をしかめた。
容疑者である山岸優実は峯井徹を突き落としたあと、徒歩で下山し、その足で最寄りの警察署まで自首してきたらしい。
彼女の話の裏を取るために現場に向かった捜査員が駐車場の赤いスポーツカーを発見している。おそらく彼女の罪の告白は真実なのだろう。そう遠くないうちに崖下から男の死体が見つかるはずだ。
「朝からやりきれない話だ」
角澤はポットに入ったコーヒーを紙コップに注いだ。マズイと署員から不評のコーヒーだが、眠気覚ましにだけは効果的だ。
「にしても、皮肉な話っすよねぇ」
村本が若者らしい平坦な口調で言う。角澤は視線だけで「なにがだ」と問うた。
「いや、そうじゃないすか。だって、彼女にとっては峯井からの愛の告白は罪の告白でもあったわけなんですから」
不味いコーヒーを一気に呷る。この苦い液体と共に胸中の苦い思いも一緒に飲み干
せたらどんなにいいか。角澤は深く深く息を吐きだした。
芝楽みちなり短編集 芝犬尾々 @shushushu
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