誰かであれ

 寒い冬の日。塾へと向かう道に、ひとりのお兄さんが苦しそうに蹲っていた。僕は立ち止まってそのお兄さんをジッと見つめる。

 顔は青白くて、ぶるぶると震えている。とても辛そうだ。

――救急車を呼んだりしなくてもいいのだろうか。

 僕はそう思って、周りの大人たちを見た。誰もお兄さんに声を掛けようとはしなかった。お兄さんのことを避けて通っていく。無関心。あるいは邪魔者を見る目をしていた。お兄さんに近寄る人は誰もいなかった。

 それはそうだろう。誰だって面倒なことには巻き込まれたくはない。

 僕もそうだ。これから塾に行かなければいけない。やることがたくさんあるのだ。大丈夫。きっと誰かが助けてくれる。

 僕は言い訳めいたことを口の中でもごもごと言いながら、苦しげに息を吐くお兄さんの横を通り過ぎた。心の中に少しだけ罪悪感があって、僕はじっと地面を見つめていた。

 お兄さんの微かな呻き声が背中越しになってから、僕はようやく顔をあげた。すると、ひとりのくたびれたスーツを着た男の人が僕を見ていた。その目が僕を責めているような気がして、僕は唇を噛み締めて走り出した。




 ある冬の寒い日だった。

 帰宅途中にひとりの青年が道で蹲っていた。ぜいぜいと息を吐き、ひどく苦しそうだ。そういえばこんなことが前にもあった。私は人生で二度目のデジャヴュを感じていた。

 前に感じた時は、いまの青年の位置にいて、三十八度を越える高熱で朦朧としていた。

 青年の横を小学生の男の子が通って、こちらにやってきた。なにか悪いことをした時のように、表情が曇っている。

――まるで昔の私のようだ。

 あの時、私は苦しげに蹲る青年に声を掛けることができなかった。きっと誰かが助けてくれる。そう自分に言い聞かせていたが、塾についてからも上の空で、結局あの時に声をかけておけばよかったと今でも後悔し続けている。

 少年が私に気づき、一瞬泣きそうな顔をして走り去った。私はその背中に心の中で語りかける。

 

 君は今日のことをずっと後悔し続けるだろう。きっと誰かがやってくれる。そう思ったことを悔いるはずだ。それでいい。その気持ちがきっと君を逞しくする。

 そして、覚えていてほしい――その誰かとは、自分であるべきだと。

 少年の小さな背中が見えなくなると、私は前を向き直した。

 そして、あの日、声をかけてくれたあの立派な男性のように正々堂々と胸を張り、大股で青年へと近づいていった。

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