本物の霊能力者の見分け方
ひしゃげたガードレールの足元に置かれた花束が秋の冷たい風に吹かれてガサガサと音を立てている。僕はそれを見るともなく見ながら最近聞いた噂話を思い出していた。
街の北のほう。地元の人も滅多に足を踏み入れない山奥に霊感の非常に強い女性がいるらしい。彼女の名は
伝言ゲームさながらの廻り回った噂話なので、尾ひれや背びれどころか羽根やら角やらいっぱいついていそうな話だけれど、彼女のところに行ってみようと決めた。浦沢水明が本物かどうかを確かめに。
狭くて蛇のように曲がりくねった山道をひっきりなしに車が通る。運転手はことごとく濁った目をしていて、道の端をぽてぽてと歩く僕に気づく様子もない。
柔らかい日差しと化粧をした鮮やかな木々をハイキング気分で楽しんでいると、ぽっかりと開けた場所に出た。広場に白線を引いただけの簡易的な駐車場。そこには数え切れないほどの自動車が精緻なパズルのように並べられていた。
ぎゅうぎゅうに押し込められた自動車の間を縫うように進む。正門が現れた。腰に警棒をぶら下げた警備員がふたりこちらを睥睨するように立っている。
僕はぺこりと頭を下げてふたりの間を通る。僕のことには目もくれず、警備員のふたりは雷門の左右に立つ風神雷神のような巌しい顔をしてぴくりとも動かなかった。
正門を入ると正面に豆腐のような白い正方形の建物が立っている。それをチューブ型の建物が正面を除いてぐるりと取り囲んでいた。空から見るとまるで食べかけのドーナツの真ん中に小さな豆腐がぽつんと置かれているように見える。
どうやらチューブ型のほうは宿泊施設や売店などが入っているらしく、どんよりとした顔をした人たちが並べられたお守りや聖水と書かれたペットボトルを買い求めていた。どうにも胡散臭い。
豆腐のような建物に入る。
中は薄暗く暑かった。広いフロアに所狭しとパイプ椅子が並べられ、そこに背中を丸めた陰気な人たちが腰掛けている。人いきれで空気が濁って目に見えそうなほどだった。端のほうでは松明がゆらゆらと灯りを揺らしている。これも暑さの原因のひとつだ。
広いフロアの一番奥は一段高くなっている。室内の作りは体育館とよく似ている。どうやらそのステージ上に浦沢水明はいるらしかった。
僕はそちらのほうへと歩いていく。俯いた人々は誰も僕のことに気づかない。気づかれないのをいいことに僕はちょろちょろとステージ上へと上った。
ステージの上には特別に大きい二本の松明がちりちりと火花を飛ばしていた。幾何学模様の入った紫色のテーブルクロス。その向こう側に座った女性がかの浦沢水明だと思われた。これまた紫色のローブを目深に被り、顔は伺えない。額にきらりと水晶が揺れている。テーブル上には大きな水晶玉がひとつ。その上でゆらゆらと動かしている白い手にはいくつもの指輪があり、手首には蛇のように紐が垂れている。絵に描いたような霊能力者だ。
浦沢水明は目の前に座ったひとりの女性をじっと見つめ、言った。
「たしかに霊はいます」
お、と僕は俄かに期待を高めた。たしかに彼女の肩には一匹の黒猫の霊がいる。おそらくは以前彼女の家で飼われていた猫なのだろう。いまもゴロゴロと喉を鳴らし、彼女へ頭を擦り付けている。かわいい。
「あなたには武士の霊がついています」
僕はひとりでずっこけた。幸い誰にも見られなかったようだ。
「その霊はあなたの祖先でしょう。あなたのことを守ってくれています」
「そ、そうなんですか」
女性は自分の背後をきょろきょろと見回した。だが、そこには誰もいない。肩に乗った黒猫も彼女の視線を追うようにその瞳を動かしていた。かわいい。
「ですが、どうも力が弱ってきているようですね。このままでは守護しきれなくなって、あなたを不幸が襲うでしょう」
「そんな、いったい私はどうすれば」
「あちらの建物で守護霊の力を増幅させる護符を販売しております。ぜひ、そちらをご購入ください」
「は、はい!」
女性は何度も「ありがとうございます!」とテーブルに頭をぶつけかねない勢いで頭を下げた。水明は涼しげに口元に微笑を浮かべた。
もしかして彼女は本当にその護符とやらを買うつもりだろうか。彼女が僕の前を晴れ晴れとした顔で通った時、肩に乗った黒猫が僕を見てニャーと不満げに鳴いた。
護符なんかより猫缶のほうがよっぽど喜ぶと思いますよ――なんて言ってみても彼女は聞く耳を持たないだろうからやめておいた。
「次の方」
水明の声が音響を通してぐわんと響くと、やせ細った男が壇上へとやってきた。三十過ぎくらいだろうか。青白い顔でいかにも虚弱そうな男だ。
そんな彼の後ろからガシャリガシャリと大きな音を立てながら甲冑を着込んだ大男が堂々と現れた。ステージ上から睨みつけるようにフロアに並んだ人々を見た。ライトに照らされ兜が鈍く光る。腰元の日本刀が存在感を放つ。なんと立派な武士だろう。
「僕は昔から運が悪くて、きっと悪霊でも取り付いているんじゃないかと思うんです……」
ひ弱そうな男はその見た目にぴったりの細い声でそういった。いまにも泣き出しそうだ。
「これは危ない」
水明の言葉に男は「ひっ」と悲鳴をあげた。すでに青い顔からさらに血の気が引いていく。
「あなたには悪霊が取り付いています。それもかなり強力な悪霊です。いますぐにでも除霊しなければ、あなたの命が危ない」
水明が危機感を煽るような鋭い声で言うとまたも男は「ひいい」と悲鳴を上げた。武士がその太い眉をはね上げて水明を睨みつけるが、彼女はまったく動じない。いや、気づいていないのか?
「あああ、あの、じょ、除霊を……除霊をお願いしますぅ」
「お高いですが……」
「いくらかかっても構いませぇん、お願いしますぅ」
男は椅子から飛び降りて土下座をしながら頼み込んだ。その背中を武士が見下ろしている。我が子孫ながら情けないとでも言いたげである。
「わかりました。では」
そう言うと水明がすっと立ち上がる。それに合わせてステージ上の照明が少し落とされる。松明の炎が光と影を揺らす中、水明が数珠を取り出しじゃらじゃらと鳴らし始めた。なにやらもごもごと唱えているが、なにを言っているのか聞き取れない。お経のようなものだろうか。
数珠のじゃらじゃらと彼女の唱えるもごもごが激しくなったかと思うと、唐突に水明が大声をあげた。
「かーっ!」
照明がちかちかと明滅を繰り返し、まるで雷が落ちたような演出をする。水明が力を使い疲労したというように椅子に崩れるようにして座ると照明が落ち着き元の明るさに戻った。
「……もう大丈夫です。悪霊は立ち去りました」
彼女の言葉に土下座していた男と僕が同時に彼の背後を見る。そこには依然として甲冑をきた武士が堂々と立っていた。彼は目をぱちくりとさせ身体をぱたぱたと触り首を捻った。どうやらなにも変化はないようだ。
「しかし、また悪霊が取り憑かないとも限りません。護符を買いなさい。あとは聖水を毎日飲み身体を清めることも大切です」
「わ、わかりました」
男はぺこりと頭を下げ、尻のポケットから財布を取り出し、中身を確認しながら僕の前を通り過ぎる。その後ろをついていく武士は眉を八の字にし、口をひん曲げていた。子孫の情けなさに辟易としているようだった。
「次の方」
水明の声がまたも響く。なんだかここが病院の待合室のように思えてきた。
次に壇上に上がってきたのは腹の突き出た中年男性だった。頭が禿げ上がっており照明を反射して眩しい。暑いのだろうかハンカチでしきりに汗を拭っている。
「あの、私この度二十年勤めてきた会社を首になりまして妻にも三行半を突き付けられている次第でございます。どうしてこんなことになったのか、私にはまったく見当がつきませんもので、もしかすると、あの、悪霊でも取りついているのでは、とそう思いまして。はい」
身体の脂肪分が声にまでついてしまったような、ねっとりとした喋り方だ。
水明はおじさんの肩口のあたりをじっと見つめていたかと思うと、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「心配はありませんよ」
涼しげな声におじさんが呆気に取られたように口をぽかんと開けた。
「悪霊は現在取り憑いておりません。いたという気配はありますので、それらの不幸はその悪霊によるものだったのかも知れません。ですが、いまは大丈夫。悪霊はすでにあなたのもとを去っています」
水明の言葉におじさんは安心したような、それでいて釈然としないような複雑な表情を浮かべた。
そのおじさんの後ろ。そこに僕には女性が立っているように見えるのだ。薄汚れた白い服を着て、足元まである長い髪はぼさぼさとしている。なんだかホラー映画に出てくる悪霊のお手本のような人だ。
しかし、水明はその人にはまったく触れずに違うことを言い出した。
「もしかして昔動物を飼っていたことはありませんか?」
「は?」とおじさんは声をあげたあと、記憶を辿るように視線を左上に移すと小さく頷いた。
「たしかに小学生の頃に一匹の猫を飼っておりました、ええ。名前はみいちゃんと言いまして、幼い私はそれはもう可愛がっていたものです、はい」
なぜそんなことを、と不思議そうにしているおじさんに水明がにっこりと笑みを浮かべて言う。
「いま、あなたの肩口に乗っているのです。一匹の愛らしい猫が」
ハッとおじさんが自分の肩を見る。僕にはそこにはなにもいないように見えるのだけど、水明には違うなにかが見えているのだろうか。
「みいちゃん」とおじさんが呟く。
「その子を大事にしてあげてください。きっといいことがありますよ」
「帰りに猫缶でも買ってやります」
おじさんはそう言うと水明に礼を言い、立ち上がる。自分の肩を子を想う母のような慈愛の目で見るおじさんは、どこからどう見ても立派な不審者だった。僕の前を通るときも肩を見るのに夢中で僕にはてんで気づかない。
おじさんの後を追い、女性もこちらにやってくる。なにかに吊られているように、立ったまま音もなくこちらへと滑ってくる。
関わるとやばそうなので僕は一歩下がって彼女へと道を譲る。僕の前を通り過ぎるその一瞬、彼女がこちらを向いた。ぼさぼさの黒髪の間から覗く真っ赤な唇の端がぐぐっと上がり笑みを作った。僕の背筋を悪寒が走り抜ける。
――絶対悪霊だって、こいつ!
「次の方」
僕の恐怖を他所に水明は変わらぬトーンで言う。壇上に腰の曲がったお婆さんが杖をつきながらあがってくるが、僕はもうこれ以上興味を持てなかった。だって、明らかに浦沢水明は偽物なのだから。
猫の霊には守護霊だと言い、守護霊には悪霊、悪霊には猫だと言う。綺麗にひとつずつズレているのは逆にすごいと思うけれど、これは彼女が霊を見ることなどできないというひとつの証明になるだろう。
もし、それでも彼女が偽物だと信じることができない人がいるのなら、僕はいますぐにもっと明確な証拠を見せることができる。
一応念のため、と僕はステージの中央まで移動して、水明にびしりと指を突き刺す。
「あなたは偽物だ!」
……なんて言ってみてもやっぱり彼女は僕に気づかない。僕は溜息と共に肩を落とした。浦沢水明は本物らしいと期待していた分だけ落胆が大きい。だが、あまりくよくよしてもいられない。
僕は気持ちを切り替えてフロアをあとにした。噂話では街の反対側にも霊能力者を名乗る男がいるらしい。今度はそっちへ行ってみよう。
僕は本物の霊能力者を見つけなければいけない。僕の命を奪ったあの自動車事故が、ただの事故ではなく、母の手による殺人だと妹に伝えるために。
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