身代金は500円~茶番と狂言に踊らされる夜の謎~

成宮りん

第1話 鑑識子の溜め息

「いつか」

「また今度」

「そのうちに」


 社交辞令であるそれらの単語が、私は大嫌いだ。


 その気もないくせに期待を持たせておいて、時が流れるのだけを待つの。

 そうして忘れた頃にそんなこと言ったっけ? となるのよ。


 だから私は、あれからいったい何日、何ヶ月経過したのかをきちんと記録している。


 今日で4カ月と12日。


 冗談じゃないわ。

 私は絶対にあきらめないから!!


 今日もこれから催促してやるんだから!!


 ふと。目の前で美味しそうにご飯を食べていた犬が、動きを止めてこちらを見上げる。


 何よ、犬のクセに。

 そりゃ賢い警察犬でしょうけど。

 何か文句があるって言うの?!


 そりゃ、あんたは犬だもの。何にも悩みがなくていいわよね。


 はぁ……。


 お願い。誰か、私の話を聞いて……。


 ※※※


 私の名前は平林郁美ひやばやしいくみ

 広島県警刑事部鑑識課所属の巡査。


 子供の頃にハマった刑事ドラマの影響で、将来は鑑識員になるのが夢だった。



 念願かなった今はとても嬉しいし、毎日忙しいけどそれなりに充実してる。


 警察という男社会で、女性だというだけで色眼鏡で見られたり、セクハラを受けたりするってよく言われるけど、幸いなことに私のまわりの人達はみんな紳士だ。


 ただ一人、長のつく人を除いては……。



「……郁美、おい。郁美!!」

 無視よ、無視。

 何度言ったらわかるのかしら、このオジさんは。


『ファーストネームで呼ぶのはやめてください』

 私はあなたの娘でも妻でもありません。

 だいたい、他の人が聞いたら妙な誤解をするじゃないですか!!


 ……って言ったのに、まるで右から左なんだもん。


 本人いわく名字が5文字で名前が3文字なら、短い方で呼ぶのがいい。


『心配するな、俺はこの県警一愛妻家として知られている』とか、そんなこと知らないし……。


 まぁ確かに。この年代で未だに毎日、愛妻弁当を持参してくるとは、真実かもしれないけど。


 今度その呼び方したら、返事しませんからね!!

 ……って言ったのに、全然聞いてない。


「……返事、した方がいいんじゃない?」

 隣に座って黙々と作業している仲間の岸田さんが言うけど、私は首を横に振る。


 だって今、忙しいのよ。


 足跡鑑定っていって、主に泥棒が現場に残した跡を調べる作業をしている。

 靴のサイズやメーカーはもちろん、靴底についた泥なんかの残留物から発見できることもあるし、足跡からは犯人の身長や歩幅、歩く時のクセまで割り出すことができるの。


 明日までに仕上げろって言われて、追われてるところなんだから。


「なんだぁ~? お前、耳が聞こえんなったんか。せっかくええ話を持ってきてやったって言うのにのぅ~」


 この人の【いい話】はたいてい、新しい鑑定作業を今夜中に仕上げておけ、だもの。

 信用ならないわ。

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