第18話 東風谷奏美と告白
映画館を出た後、私達は海辺に面した防波堤のベンチで座っていた。小さい白波が海岸にぶつかり、ばしゃりばしゃりと音を立てる。この波音、私結構好きなんだよね。
眼の前にはドックがあって、自衛隊の潜水艦が建造されている。真っ黒なボディと、クロス状の尻尾。日本の最新鋭の物らしい。男の子じゃなくても、美しさを感じざるを得なかった。
「∪ボートって名画があるんだけど、ドイツの潜水艦乗りたちは3ヶ月の間、ずっと船の中で生活しなきゃいけないの。お風呂にも入れないし、駆逐艦の爆雷にも怯えなきゃいけないし。日本の潜水艦乗り達なんか、乞食よりも酷い有様だって言われてたんだって」
船乗りたちは月単位で同じ船に揺れ続けられなければならない。なんにもない、見栄えのしない水平線を見続けるって、どのくらい辛いんだろうか。
「イギリスが1805年のトラファルガー海戦で海の支配者になった時、水兵たちは見回りのために、半年とかずーっと海の中に居なきゃいけなかった。陸がとっても恋しくて仕方なかったんだって」
「僕は遊覧船に1時間乗っただけでも、体がずっと揺れてて気持ち悪かったのに。半年も乗り続けられるって考えられないかも。しかも、昔の帆船なんて、時化や波の衝撃で簡単に沈んじゃうこともあったんだろ?」
「うん、だからすぐにでも陸地に上がって退役したかったのに、出来たのは5年後とかだったらしい。けど、5年分の給料をもらっても、海辺のあくどい酒場の店主にそのお金を1周間で絞り取られたり、踏んだり蹴ったりだんだって」
栄光のパックス・ブリタニカを築き上げた男たちは消耗品のように使い捨てられていく。
それはそれは、とっても残酷な話。だけれど、昔はそれが普通だったのかも。
「ローレライって知ってる? 海の岩礁に座っている女の人魚で、とても綺麗な歌を歌っているの。その歌に魅了された水兵さんたちの船は沈んでしまうって伝説」
「聞いたことある。さっきの話を聞いてると、男ばっかりの船で美しい女性に出逢えば、簡単にころっといっちゃうかも」
正立君の言う通りだと思う。陸地にほとんど降りれなかった男たちの悲哀。恋しくなるのも無理はない。でも。
「けどさ、本当の海の男はローレライの声に惑わされないんだと思う」
「なんで?」
「陸地に待っている恋人や家族。大切な人のためなら、声に惑わされないと思う。海の男は、そうやって頑張ってこれたんじゃないかなって。変なロマンチシズムかもしれないけど」
ロマンがあって何が悪い。けれど、それは理想論でしかならないのかもしれない。だって、恋しいものは恋しいし。
首を持ち上げてまっすぐ見据える。遠くに見える赤い大橋は出島へとつながっている。人工で作られたあの島には、工場や空港もある。
この風光明媚な港から、船乗りたちが出港していくことを考える。彼らはどんな気持ちで海を眺めているんだろうか。
「僕がもし船乗りだったら、そんな我慢は出来ないかもしれない。でも、いい話だと思う」
「誰かを一途に思えられる恋がしてみたい。と思うことがあるかも」
「東風谷の口からそんな言葉を聞くとは思わなかった」
「年相応にそういうことも考えるよ」
意外だなぁって表情をされても困るというか。
恋がどんな物かは知らないけれど、一種の憧れはある。だから、恋愛小説だって読むし。
しかし、相手が居ない。いや、隣りにいる男の子は恋愛対象としては入るけれど、彼はどう考えているんだろうか。
「なんだよ、僕をジロジロ見て」
「いや、なんかちょっと腹立つなって」
「意味分かんないんだけど」
自分が鈍いことくらいは知ってるけど、不思議ちゃんに思われるのは釈然としない。
否応がなく、クラスの皆にそう思われているのは分かっているけど。
人の話を集中して聞けず、なんどか聞き直している自分は他と比べて変なんだろうね。
「“さとりさとられ”面白かったね。高校生の役を成人した大人がやるのはどうかなって思ったけど、当たり役で良かった」
「心が読める苦労を丁寧に描いてたよね。あと、主人公のさとりがわりとピュアな性格してるっていうか。心をずっと読んできたのなら、ひねくれてもおかしくないなって思ってた」
「そこがさとりの強さなんだと思う。気を使うことができるからこそ、嘘を見逃す嘘を使い分けてきたのかなと。でも、普通の人間だったら、なんだか表裏なく喋っちゃいそうな気がするよね」
主人公のさとりの性格は卑屈でもなければ、攻撃的でもない。自分がいかに人間社会に溶け込めるかをちゃんと考えられるのはすごいと思う。多分、同じように心が読める母親の教育もあるのだろう。
そんなさとりには心を読む能力を活かした趣味があった。
「さとりは心情を丁寧に書いた小説が好きで、自分でも小説を書いて人の感情を描いてみる。なんというか、ある意味贅沢な趣味だなって思っちゃう」
「心を読んできた経験から描かれる人物描写か。たしか、さとりが書いてた小説は『彼女を殺してしまった主人公の独白』が題材だっけ。それも読んでみたいけど、作者が外伝で書いてくれたりしないかな」
「今の所その話は聞かないかも……映画のDVDのおまけで付いてくるとかありそうだね」
「かもしれないな。買う予定もないし」
私にとって小説はキャラクターの内心を探ることだと思う。なぜ、このキャラは思考して、その行動に至るのだろうか。推理していくのが好きだ。多分、さとりも同じような感じで本を読んでるのかもしれない。
「彼氏の石田くんもさとりのことを認めて、告白したシーン。本当に勇気があると思うよ」
「その気持に嘘偽りがないって、心が読めなくても断言できたんだと思う。それだけ、二人はお互いに愛し合えたのかなって」
「うん、この映画見て良かったよ」
それは上々だね。一緒にこの映画を見れて本当に良かったと思う。
別段、彼以外に友達が居ないわけではないが、こうやってお互いに遠慮なく話し合えるのは正立君ぐらいだし。
「夕飯は家で食べようと思うから、そろそろ帰ろうかな」
夜遅くになるとお兄ちゃんもうるさいし、さっさと帰ったほうが気が楽だ。門限だってある。
一緒に御飯を食べたいかなとは思ったけど、長居すると補導されそうで怖いし。
「あのさ、東風谷。ちょっといいか?」
立ち上がって尻を叩いていた私に、正立君が語りかけてくる。
「なに? どうしたの?」
「えっと、その……折り入って話があるんだ」
こめかみをかいて、頬を赤く染める正立君。その必死な表情で、彼が私になんと言おうとしたか察しがついてしまった。
心拍数が跳ね上がって、私もちょっとビビってしまう。いや、まさかねって感じ。
「俺たち、こうやって二人で、遊んだり……その、デートしてるじゃん」
「はたから見れば、確かに私達何度もデートしてるよね」
「だからさ……その
ブオオオオオオオ!!っと、あたり一面に汽笛の音が響く。
付き合ってくれないか!」
最後の言葉だけ聞こえた。確かに聞こえた。汽笛のせいで途中は聞こえなかったけど、言わんとしてることは分かった。
興奮して鼻息の荒い正立君が私も見つめる。どうやら、私も視線が外せなくなってる。
ドキドキと心がつんざくような音がする。どう答えればいいのか。返事はどう返せば良いのか。
「え? あーうん? いいんじゃない?」
さとりのような勇気が私にはない。だから、私はわざと“ちゃんと聞いてなかった”フリをしてしまった。
彼は安心してため息を付いていて。私の手をギュッと握る。
ロマンチックだと思える光景だけど、私は苦笑いでしか返せなかった。
キラキラと電光が光る小さな観覧車が私達を見下ろす。彼氏彼女の関係になった私達には、素敵なライトアップなのかもしれないけれど、私は恥ずかしさが勝ってる。
だから、私の中ではこの関係を曖昧なものにしてしまった。まだ、私の心の準備が出来ていないから。
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