あの子は人の話が聞けない

如何ニモ

馬耳東風ガール

第1話 正立桂馬と馬耳東風ガール

 3時間目のお昼頃。クラスの窓越しから日光が差し込んで、ふわりと風でクリーム色のカーテンがたなびく。

 カリカリと鉛筆を動かす音と、カチカチと黒板に削れるチョークの音。開いた現国の教科書をそばに置きながら、A4ノートに板書を取る。

 

「その声は、我が友、李徴子ではないか?」


 クラスメイトの女の子が教科書を読み上げていた。僕達がやっているのは山月記。漢文っぽい中国が舞台のお話だけど、日本人が書いた文学。

 特に抑揚もないけれど、平坦に読む姿はこの授業が少し億劫だからかもしれない。ここで声優ばりにナレーションされてもしかたないけど。

 現国の教科書で取り扱う物語は、普段文学を読まない僕にでも面白いと思えるものがある。この山月記は僕の中では大当たりだった。


 科挙に合格して官僚として頑張っていた李徴が、詩人の道を諦められなくて仕事をやめてしまう。けれど、才能が芽吹くことはなく、食い扶持がなくなったところから平の公務員に務め直すのだが。

 プライドの高い李徴は自分の元部下にこき使われるのがこらえきれなくなり、山に逃げ込み自尊心と羞恥心を拗らせて虎になってしまったというお話。


 自分のプライドゆえの醜さにあえぐ李徴の姿はどこか心にズシンと来た。このクラスの中にも僕と同じ気持ちのやつはいるだろう。誰だって、プライドの1つや2つは持ち合わせている。

 

 けど、あいつには正反対の悩みなのかもしれない。あいつは普通じゃないから。


「じゃあ、次。東風谷こちや読んでくれ」


 先生に指名された東風谷という女の子。ふんわりとウェーブを描いた黒髪のポニーテールに凛とした顔つき。綺麗に尖ったまなじりに、整った鼻先。女子の中でも高い、165cmの長身。一目見ればクールな美人さんだと思われるが、本人はとてものんびりしたゆるい性格をしている。


「おい、東風谷。聞いてるのか?」


 先生がせっつくように東風谷を呼ぶ。けれど、ぼやんと何かを考えているようで、視線をちらほらと自分の肘に目配せしている。

 ぼーっと宙を見上げて、どこに視線が泳いでいるのやら。授業中にもかかわらず自分の妄想に浸っているんだ。


「東風谷! お前の番だ!」

「はい、すいません! 聞いてませんでした!」


 怒鳴られた瞬間、ガタンとイスのパイプを鳴らし、東風谷は勢い良く立ち上がる。明らかにオーバーリアクションで、先程の教科書を握ったままの後ろの席の子も含めて、クラス中がクスクスと笑いをこらえていた。


「相変わらずだな。とりあえず、145ページから読んでくれ」

「分かりました!」


 ビシっと敬礼してから教科書を手にする。ちゃんと授業を聞いてなかったのか、急いでページをめくって探しているようだ。

 その慌てぶりがまた間抜けさを際立たせていて、笑い声がいたるところから吹き出していく。

 普通ならこっ恥ずかしくて顔を真赤に伏せてしまうところだが、東風谷は違う。あいつはマイペースが突き抜けすぎて、衝突事故を起こしても平気なタイプだ。


「君が南から帰ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか」


 元気はつらつに教科書を読む東風谷。その動じない様に、周りが笑いをこらえきれなくなり、次々にみんなが笑い始めた。


「もういいぞ、東風谷。次からはもうちょっと授業聞こうな」


 周囲の嘲りを東風谷は気にすること無く。そのまま、音読を終えて席に座る。そして、開きっぱなしのノートに急いで黒板の内容を書き写していた。

 その姿に僕は、本人じゃないのに赤面していた。ぐっと頭を抱えてうつむいて。東風谷に代わって恥ずかしがってしまった。じゃないと、あいつは自分の立場を理解しようとしないから。

 ちらっと東風谷の方を向けば、へらへらと笑いながら手を振ってくる。

 だから、僕の方に向くなよ。更に恥ずかしくなるじゃないか。ちゃんと授業受けろよ。あれでテストで学年上位に入ってるから理不尽だ。

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