第12話 猪之頭ヘレナの告白

 誰も居ない朝の6時。雨の日以外に自主練をするには最適で、まだ眠気でぼんやりとしている体を目覚めさせていく。

 朝の澄み切った空気と、がらんとしたグラウンドはとても清々しい。

 入念にストレッチをしてから、腕立てスクワット、プランク等をしつつ、グラウンドを20周する。、

 そうやって黙々と練習していると、先輩がなぜかウチのことを見ていた。

 

「自主練やってるんだな」

「もしかして、確認しにきたんすか?」


 先輩は肯定もしなかったけど、ウチのことを見に来たのは確かだと思う。


「あれだけしつこくウチが勧誘してもうんともすんとも言わないのに、ウチのことは気にしてくれてるんすね」

「………そうだな」


 ちょっと安心した。先輩はまだ、ウチのことを後輩だと思ってくれているんだ。


「先輩、それなら、やっぱウチと一緒に陸上やりましょうよ」

「やらない。絶対やらない」


 なんでそこまで頑ななのから理解が出来ない。ウチが邪魔だって言うなら、こうやって見学に来ないし。

 なら、まだウチにはチャンスが残ってるんだ。絶対に離すものか。

 

「そう硬いこと言わないで。一緒にやりましょう。先輩努力家だから、きっと上手く―――」

 

「何度も言ってるだろ! しつこいんだよ!」


 ウチは夏に至るまで、ずっと先輩を誘っている。というより、それしか先輩に話しかける言葉が見つからなかったから。

 どうしても、ウチには先輩が必要だった。この息苦しい、結果しか求められない生き方の中で、だれか仲間が欲しかったから。

 我儘を先輩に押し付けている自覚はあるし、先輩を思うのであればやめるべきだとも思ってしまう。


「先輩こそ、逃げんでくださいよ!」


 私から逃げないでください、そう言えればとても楽なのに。

 

「そうだよ、僕は陸上から逃げたんだよ。だからもう、帰れるわけ無いだろ」

「ウチが、ウチが受け入れますから。だから、安心して―――」

「いいかげんにしろよ! なんでお前は、お前はそうやって真っ直ぐな目で僕を見るんだ?」


 ウチの視線がなんだっていうんだろう。別に、ただ、先輩を見ていただけで。

 

「僕には僕の複雑な理由があるんだ。だから、お前みたいに純粋じゃないんだよ。純粋になにかに打ち込めるような、そんな力もないんだ。だから、もう」


 頭の中で何かがキレる音がした。言われっぱなしだったから、ウチも言い返してやる。


「ウチが、ウチが努力を怠ってきたと思うんすか? 先輩が教えてくれたんですよ? 結果を出すために、ウチはずっと歯を食いしばって頑張ってきたんすよ」

「ヘレナ……」


「才能があるからって、それで万事解決するわけ無いでしょ!? ウチは、ウチは自分がいつ追い抜かれるか、タイムが伸びなくて壁にぶつかって、誰の期待にも応えられなくて見捨てられるんじゃないかっていつもビクビクしてるんっすよ!?」


「僕はただ、そんなつもりで言ったわけじゃ」

「みんな言うんですよ、ヘレナには才能あるからいいよなーって。そんなもん、ウチには関係ないんです。ずっと、自分に怯えながら、努力を強いられて。ウチは誰よりも速くなければ、そこでもう終わりなんです。なにも残らないんですよ」


 プロになれるのはホント一握り。その中に残らないと、今までやってきた努力は水の泡。それに、私は自分の時間を潰しまくって、走ること以外は何も出来ない。勉強だって、そこまで賢くないし。もう、走るしか人生がない。

 

「陸上を楽しくさせてくれたのは先輩で、だから責任取って欲しいんです……」

「………それでも、僕は無理だ。ヘレナがどれほど辛かったかはなんとなく分かる」

「女の子をたぶらかせた責任とってください」

「僕にはそんなつもりは―――」


「先輩のこと、ずっと前から好きだったんです!!」

「え?」


 今、自分はなんて言ったんだろう。あまりにも衝動的で、自分を疑ってしまった。

 でも、どこかで自分がずっと患っていた気持ちが一気に吹き出したんだと思う。

 

「じゃないと、先輩のこと、引き留めようとしたりしないじゃないっすか。先輩が好きだからこそ、一緒に頑張りたいって。先輩が大好きだから、ウチはここまで頑張ってきたんです! だから、お願いします……」


 そうだ、ウチは先輩が異性として好きだったから、ここまで先輩に固執してしまったんだ。

 先輩後輩の絆として解釈していたけど、違った。ただ純粋に先輩が好きなんだ。

 自然とぽろぽろと涙が頬をつたる。ああ、これがウチの本当の気持だったと同時に、今まで押し殺してたのが悲しい。

 

「僕には、僕には好きな人がいる」

「……あの人ですよね」

「何度かあったことあるよな」


 あのぼんやりとした美人の女。たしか、東風谷さんだっけ。

 あの人が来てから、先輩はウチ以外の女を見るようになって、自分と接してくれる時間を削ってた。

 腸が煮えくり返る。嫉妬で胸が痛い。どうして、どうして先輩はウチを見てくれないの?

 その気持がなんだったか分からなかったけど、今ようやく分かってしまった。

 

「先輩、ウチは諦めが悪いんっすよ。だから、絶対最後はウチが先輩のこと奪ってみせますから―――」


 今のままだとウチには勝ち目がない。そりゃそうだ、今のウチはしつこくてめんどくさい後輩なんだろう。

 けれど、先輩はまだウチの事を後輩として見てくれている。脈がないわけじゃない。

 ウチのほうが美人だし、可愛いし。だから、最後は必ず、ウチが先輩の彼女になる。

 この状況が不利なままだとしても、ウチは必ず勝ってみせる。


「だから、覚悟しておいてください」


 ただ、突っ走るだけ。ウチにはそれしか出来ないし、そうやって勝ってきたのだから。

 猪突猛進で何が悪い。何事もやらなければ、出来ないんだから。飛び込んで、落下死するほうがまだマシだ。

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