第11話 猪之頭ヘレナは走るしかない
先輩はウチのことをよく面倒見てくれた。というより、ウチが先輩にべったり頼ったからかも。
その時は異性とかそういうのではなく、単純に陸上を教えてくれる人という感じで。昔から、男の子と話したりするのは慣れてたし、むしろ女の子と付き合うのが難しいっていうか。
同級生の子や女の先輩ですらウチのことを揶揄してきたけど、正立先輩だけは違った。
「腰が曲がってる、もうちょっと前に傾けて! 太腿ももっと上げる! うん、いい感じだ」
最初は走り方が分からなくてくすぶってたけど、丁寧に走り方を教えてくれたおかげで、ウチはみるみるうちにタイムが縮まっていく。そのたびにステップアップ出来たと思うと、その楽しさでアドレナリンが出まくりだった。
「先輩、ウチまた速くなりましたっすよ!」
「よくやったな、ヘレナ!」
「ういっす!!」
汗だっくだくで濡れた体操服。日焼けした肌。それはすべて努力の結晶って感じで。
にししって笑いながら、先輩と拳を合わせて喜ぶ。この瞬間がすっごくたまらなくて、青春だった。
グラウンドに乾いた空気に砂煙。砂で汚れるシューズ。そして、蛇口から飲む水で生きている心地がする。
「絶対、先輩を追い越してみせますから! 覚悟しといてくださいっすよ!」
「それはどうかなぁ?」
話していくうちに先輩とも軽口を叩いたり。お互いにライバル視というか、ウチにとってはあこがれの人だったから。
いつかは絶対に抜かして、ウチの方が速いって事を証明させてみたかった。
その対抗心がウチの克己心に火を付けちゃって。燃えさかる情熱がボイラーのように、ウチに力を与えてくれる。
「今日も部活終わりに一緒にトレーニングするっすよ!」
「おう、いいぜ」
先輩は努力の人だった。「自分はみんなより努力しないと追いつけないから」って。
だから、先輩は部活終わりにこっそりトレーニングを重ねていた。偶然発見したウチも、先輩に追いつきたいからという理由で混ぜてもらった。先輩、最初は恥ずかしそうにしてたけど。
他の部員はそんな影の努力はすることなく、ストイックな先輩を尊敬していた。
「弱いやつは努力をしないと追いつけない。けれど、この努力は本当に実るかっていつも思う」
「大丈夫っすよ! 先輩ならきっと」
「努力が実るかどうかを不安がるよりも、努力をしなければならないって考えると自分を追い詰められる。だって、それしか強くなる方法がないし」
「ウチも一緒に鍛えるっす! オッス!!」
常日頃から、先輩は努力をするのに必死だった。自分の事を弱いと言い切ってしまう先輩に不甲斐なさを感じるも、そのひたむきさはウチにとっては希望の光にも見えた。高校生になった今もその光は絶えることがない。
だからこそ、ウチは頑張ってこれた。結果が残せなければ捨てられてしまうウチには、努力だけが救いだったから。
「今日もトレーニングお願いしまっす!」
部活終わりの練習は楽しかった。先輩と一緒に二人きりで。一緒にお互いを高めあって、そして速くなるのが嬉しかった。
自分の成長が直に感じられるし、お互いに励まし合うことで信頼を深めていく。
ウチはだんだん、先輩に惹かれていって。練習を重ねるたびに、ウチはもっと先輩に頼ってしまう。
この時が一番陸上をやってて楽しかった時代だったと思う。この黄金のような時間がもっと続ければ、ウチはこんなも息苦しくなかったかもしれない。
「やった! 先輩に勝ったっすよ! えへへ……やった、やった!」
入部してから半年後、ウチは先輩よりも速くなった。そして、みるみるうちに成長して、同年代のだれよりもウチが速くなった。
輝かしい勝利とともに、みんなの期待がのしかかる。それがとても苦痛でしかならないし、誰も理解者はいない。
ウチは猪突猛進で、ただ突っ走ることしかできなくなってしまったんだ。
マラソンの語源になった兵士は、勝利の報告を伝えるために重い武具で長い距離を走り、そして死んでしまった。
栄光が人に生きる意味を与えると同時に、名誉は人に責任と苦行を与える
だから、先輩という理解者を心の底から欲しい。ウチが走り続けるためには、先輩という行き先を照らす北極星が必要なんだ。
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