潮風に流されて

第13話 正立桂馬と将棋の駒

 僕の名前はシンプルで、将棋の桂馬から取られてる。父親が将棋が好きだったからだ。


「桂馬は将棋の中でも変わり種だ。相手をまたいで斜めに駒が取れる唯一無比の力があるんだぞ」


 野球で言えば変化球みたいなもので、角や飛車のようなエースではないけど個性がある。

 最もユニークな駒である桂馬に関するコトワザって結構多くて、その中でも好きなのが『桂馬の不成に好手あり』

 桂馬は成り駒になると金将の動きになってしまい、元の敵をまたいでの攻撃ができなくなる。それならば、成金にならず、桂馬のユニークさを活かした方が強いとされる。ただ、後ろには下がれないので、敵陣に突っ込みすぎると金にならざるを得ないけど。

 王を攻めるにも桂馬は重要であり、起死回生の一手にもなりえる。『桂の王手に合駒いらず』は相手を飛び越えられるから、駒を眼の前において囮にすることも出来ない。僕の父親はたとえ回り道をしようとも、必ず最後は成功するような男にしたかったらしい。

 馬という名前がついていることから、桂馬は騎兵をモチーフにしている。合戦においても、騎兵というのは相手の側面を突いたり、弓を使っての一撃離脱。戦いの機転を作るための切り札であり、戦士にとっての名誉職だ。

 チェスにおいてもナイトが桂馬と同じ動きが出来て、なおかつ八方桂と言って四方に桂馬の動きができる。

 

 僕は桂馬になれたのだろうか。少なくとも、白馬の王子様でないことは確かだ。

 

 将棋に当てはめるのであれば、ヘレナは香車だと思う。真っ直ぐに一直線にしか進めないから。

 先陣を切る武士のことを香車と呼んでいて、真っ先に切り込むことから極めて死亡率は高い。でも、勇者であることは誰が見ても確かだ。

 ストレートに僕に気持を伝えてきたヘレナに対して、僕は何をしてやれるだろうか? その気持に応えられる自信がない。あれだけ、僕のことを慕っていてくれたとしても。

 なぜ、僕なんかに恋をしたのだろうか。一緒に楽しく練習をしていた時は良かった。でも、追い抜かれてからはずっと鬱屈してしまって。顔色を変える理由わけにも行かないから、背伸びして先輩風を吹かしていた。ほんと、僕はクソださい。

 多分、ヘレナは僕を頼れる先輩だと思いこんでいるんだと思う。だから、恋愛感情をごっちゃにしたんじゃないかと。

 そうやって変に悩むと、ヘレナに対して失礼な気もした。

 

 東風谷のことが好きな気持に変わりはない。だから、きっぱりと断らなきゃいけないのに、お茶を濁してしまった。

 

 ああ、僕はなんて情けないんだろう。けれど、ヘレナをやすやすと切り捨てるのは間違ってるとも思う。あいつの悲しい表情を見ると、罪悪感で潰れてしまいそうだから。自分が情けない。僕はこんなにも浮気症な男だったのだろうか? 優柔不断だ。

 香車はまっすぐにしか進めない。桂馬の僕はそれを受け止めるのか、それとも斜めに動いてかわすのか。どちらが正しいとか間違ってるとか、判断することが今は出来ない。

 

 □   □   □

 

「世の中って、正しいと思っている人が別の正しいと思ってる人とお互いに議論をしあうから進歩するんだと思う」

「一体何の話だ?」


 今日の僕はあまりの出来事にショックを隠しきれなかった。東風谷を馬鹿にできないぐらいに授業に専念できなくて、担任ですら僕の心配をしだしたほどだ。

 これでも、僕はしっかりものだったし、授業も真面目に聞いてたし。成績も悪くない。努力は欠かさなかったしな。

 ただ、今日は何度も頭を抱えて悩んでばっかりだったから、みんな不思議に思っていたのかも。男友達ですら俺に近づいてこない。でも、声をかけてくれるのは普段どおり東風谷だけだった。

 机の上でずっと解けない悩みでうつ伏せになっていた僕に、気軽に話しかけてくる。

 

「哲学の言葉でアウフヘーベンって言って、色んな意見を協議しあって1つの答えを出すの」

「かっこいい単語が厨二病っぽいな」

「中二病お達しだからね、哲学の用語って。それに民主主義だって、あれは単なる多数決じゃないんだよ」

「選挙の票数で決めるのにか?」

「色んな人や主義者が集まって、色々議論するためにあるの。どれかが一方的に正しいってことはそうそうないのさ。もちろん、あからさまに間違ったものはあるけど。でもね、人の意見とか、政治とか、人間関係とかはそうじゃない。そういうもんだよ~」


 まるで僕を見透かしているかのように語りかける東風谷に、僕は少しだけ感情を吐露した。

 

「僕は今、重要な選択肢に迫られてて。どう考えようと、絶対に逃げられないし、嫌な予感もする」

「えーと、どういうこと?」

「ちょっと詳しくは言えないんだけど、青春してるってことかも」

「アオハルかよぉ!」


 めっちゃひょうきんな態度で接してくる東風谷に若干いらっとしながらも、少しだけ心の重荷が取れたような気がした。

 こういう時の東風谷ってタイミングが良いっていうか、相性がいいんだろうな。

 

「悩みっていうのは良いことだと思うよ。でもね、ずっと頭いっぱいで考えると辛い」

「なんか解決方法でもあるのか?」

「一回忘れることかな。寝るっていうのも大事」

「お前はよく寝てるから悩みが少ないのかな」


 ちゃんと夜眠れてるのか心配なくらい、東風谷は授業の合間に寝ることがある。授業中にもすやすや寝てることも。

 自分の世界が楽しいのか、ちょっと引きこもりっぽいなと常々思ってた。

 

「ん? なに? ちゃんと寝てるよ?」

「あ、いやそういうことじゃなくてだな」


 どうやら東風谷は聞き逃しちゃったらしい。もしくはわざとなのか? 皮肉なのか? 判断に困る。

 

「悩んでも悩んでも答えが出ない時は、一度頭をシャットダウンしちゃえばいい。そうすれば、その悩みが考え込みすぎてこじれちゃってるのが分かるんだ」

「たしかにそうなんだよ。延々悩んじゃうと、もう悩んでることに囚われちゃってさ。多分、答えはもう出てるはずなんだけど、踏ん切りがつかないんだ」

「意外と答えは簡単なんだよ。けど、それを選んでしまうのにたたらを踏んじゃう。他の選択肢を選ぶべきなんじゃないかなーってさ」

「理屈では分かるんだけど、なんとも言えない」


 この悩みを軽々と解決しようっていうのがおこがましい。それだけ、僕はまだヘレナのことが気がかりで。Likeの好きではあるけれど、Loveの好きではないっていうか。月を一緒に見に行こうとか言えない。

 

「知ってる? 正立君。人間はどうしようもないことに遭遇して、大切なものを失うことがあるの。それは古今東西、あらゆるところで悲劇は起こってきた。でもね、人間はそれをある行動で解決してきたの」

「それって、なんだ? 根性とか?」


「涙。人間は涙を流すと、悲しいことを受け入れられて、明日を迎えられるのさ」


「僕に泣けっていうのか?」


 東風屋は首を横に振り、上から僕の頭に手をポンっと置いた。そして、にやりと笑ってみせた。

 

「とにかくさ、悩んで悩んで、疲れてからふて寝しちゃえばいいってことさ」

「ちょっと意味分かんないんだけど」

「意味深に語る私かっこよくない?」

「いや、全然」


 そっかと残念そうにする東風谷。肩を落としつつも、僕にまた振り向き直した。

 ゆっくりと僕に顔を近づけて、東風谷は鼻をスンスンと嗅いでくる。いったいなんなんだ……

 

「そういえばさ、正立君。他の女の匂いがするね」

「え?」


 東風屋は今なんて言った? 他の女? え? ええ!?

 

「じゃあ、日曜日の映画楽しみにしてるから。私、ちょっと図書館で本読んで帰るから」


 聞き間違いじゃない。多分、はっきりと東風谷はそういった。そして、そそくさと教室を出ていくあいつ。

 もしかして、僕がヘレナに告白されたのを聞いていたのか? いや、あの時誰も居なかったし。もしかして、女の勘とか。

 あいつにそんなものが備わっていたとは驚きだ。いや、女の子の観察力って侮れないし。

 

「帰るか……」


 いくら悩んでも仕方ないし、あるがままを受け入れざるを得ない。たしかに東風屋の言うとおりだ。

 ちょっと慌てたのか、椅子がガタンと跳ねる。頭をかいて少し落ち着く。なんで今日は難しいことばかり起きるんだ……

 

 ヘレナが香車だとしたら、東風谷は銀将だろうな。多分そうだ。

 銀将は後ろ斜めに駒を進められるから、桂馬の前に置かれたら逃げ道はまったくない。

『桂馬は銀で受けよ』か。あいつは僕を手玉に取っている感じがして、ちょっと悔しかった。

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