第10話 猪之頭ヘレナと先輩

 猪之頭という名前がウチは好きじゃなかった。理由は単純、女の子っぽくないし。

 それでいじってくる男の子が居て、ウチは体が大きいし力もあったから、最初は暴力を振るった。小学校の頃って、女の子の成長のほうが早くて、体だけなら絶対に男の子に負ける自信がなかったし。

 でも、ずっと怒っていると疲れるし、それでも馬鹿にしてくる男の子は減らないしで。だんだん、面倒くさくなって抵抗することもしなくなる。怒らなくなると、なんだか肩の荷が下りてきて、相手を冷めた目で見れるようにもなった。

 ただ、今までウチが暴力を振るう野蛮な子だと思われてたらしく、それが払拭されると男の子はウチと一緒に遊ぼうと誘ってくれるようになった。不思議だなと最初は思ったけど、だんだんそれが気楽になっていく。

 元々、体を動かすのは嫌いじゃなかったし、グラウンドでサッカーしたり、ドッジボールしたり。男勝りになったのはこの時だったからかもしれない。ウチが女の子だからといって差別もしないし、ちゃんと真っ向から向き合ってくれるのが楽しい。

 ただ、女子から見たらウチはまだ野蛮な子。男連中とつるんでる時点で、あまり良い気はしなかったみたい。

 それに、ウチは男の子からモテた。結構告白もされたし、それをよく思わない女の子も多かったと思う。だから、当然のようにハブられた。

 悲しいなと思ったりはしたけれど、それよりも男の子が素直にウチと遊んでくれるから寂しいこともなかった。

 何事も気にせず、ただ突っ走ることがどれだけ楽で気持ちが良かったか。批判よりも肯定を大事にする方がいいって、この時に気づいたしまった。


 ママが東欧出身だったけど、私は赤ちゃんの頃にママの故郷に行ったっきりでよく覚えてない。


『ハーフなんだから、外国語喋れるんでしょ?』実にテンプレートな言葉で、とても傷つく言葉。


 そんなわけ無いじゃん。日本育ちだし、ママは流暢な日本語を話すし。

 けれど、そんな事を言うとみんな落胆する。でも、しょーがないじゃん。喋れないんだから。

 体つきはやっぱ、ハーフだから色々みんなと違っちゃって。体も大人っぽくなっちゃって、飛び抜けて綺麗な女の子になっちゃったと思う。自画自賛はちょっと恥ずかしいかな。それがまた、妬み嫉みを生むのだけど。

 自分が普通の日本人じゃないってことがすっごく悩んだこともある。肌は白いし、目鼻立ちはくっきりしてるし。髪の毛は赤いし。それでも、ウチはウチだと納得させて、気にすることをやめようとした。それは、未だに出来ていないけどね。

 

 □   □   □

 

 先輩と最初に会ったのは陸上部に入ってからだと思う。

 部活動は必須だったので、何にしようか悩んだけど。どうせなら、男と勝負したいなと思い、バレー部やテニス部の勧誘を蹴って、陸上部に入ることにした。ただ、小学校ではそこまで速く走れた方ではなかったので、かなり心配だったけど。

 

「えっと、1年生の面倒を見ることになった正立だ。最初はトレーニングがメインだけど、気張っていこう」


 新入生は体育座りをしながら聞く、何人かの男女の先輩たちのオリエンテーション。

 これからはじめての部活動なんだと心躍らせていたけど、周りはみんなお話したりしてて、ちょっとうずうずしてしまう。

 眼の前にいる先輩たちは、いうなればレギュラー落ちの人。速い人はグラウンドで個別に練習できるけど、そうじゃない人は後輩のフォローに入る感じだったらしい。それは、あとで先輩に聞いてわかったんだけど。

 

「とりあえず、入念なストレッチから。みんな、2人組になって」


 ぱんぱんっと手を叩く音と同時に、みんな2人組を作っていく。

 ただ、みんな同性相手を選んでいて、女子からあまり良く思われていないウチはハブにされちゃった。

 それに、赤毛の明らかに日本人じゃないハーフの私は、みんなから距離を置かれていたし。

 

「身長高いし、僕と一緒にやるか」


 そこで、初めて先輩と一緒にトレーニングをすることになった。最初は、あんななよっとした人で大丈夫なのかなとも思ったけど。でも、男の子と一緒に何かをすることに嫌悪感を抱くような性格でもないので、「はい」と頷いた。

 

「あの子、また男子と仲良くしてる……」


 くすくす……陰口が聞こえてきたけど、ウチは無視をする。ただ、先輩はちょっと慣れていないみたいだった。

 

「ごめん、僕男だし……でも、他の奴らももう組作っちゃったし」

「いいっすよ、気にしないっす。慣れてるんで」


 またも、陰口が聞こえる。「あいつって、男なら取っ替え引っ替え遊んでんじゃないの?」とか。中学生になってから、そういう性的なことに芽生え始めると、やっかみも性質を変えてきた。経験がなかったことなので、最初はむっとしてしまう。

 

「2年が見本見せるから、ちゃんと見とけよ」


 新入生のコーチ役の先輩の2人組がやり方を見せる。正立先輩もそれと同じく、私と一緒にストレッチを始めた。

 尻餅をついて前屈したり、背中同士をあわせて持ち上げて腰をそりあげたり。ぐいっと足を曲げて入念にストレッチをする。

 陸上は他のスポーツとは違い、かなりデリケートに体を扱わないといけない。じゃないと、簡単に捻挫や筋肉がつったりするから。その事をちゃんと教えてくれたのは、先輩だった。

 

「先輩はなんで陸上部にはいったんすか?」

「……小学生の頃って脚が速いやつがヒーローだっただろ?」


 女の自分としては、それがかっこいいかはちょっと分かんなかった。いや、ウチは他の人と感性が違うし。

 

「ヒーローになりたいって思って続けてみたけど、実は僕はヒーローじゃなかった」

「………窓際族のおっさんみたいな、しみったれたこと言うんすね」

「君は、敏腕女上司みたいに結構ずばっと言っちゃう子なんだ」

「気を悪くしたらすみませんっす……」


 ウチは確かに、言葉を選ぶのが性急過ぎるのかもしれない。思いついたままに喋ってしまう。

 でも、自分の立場ってものがあって、それを守るためには我を通す必要があった。それが我儘であるとか、慇懃無礼だって言われてもぐうの音が出ないかな。

 

「いいよいいよ。じゃあさ、そっちはなんで陸上部選んだの? その背丈なら、バスケやバレーでも良さそうだけど」

「女の子同士で団体スポーツやると、絶対ウチは嫌われそうだからっす。だから、個人種目なら大丈夫かなって」

「色々難儀してるんだな。女の子って男と違うんだよね」

「男のほうが楽だと思いますよ、女のウチから見て」


 女の子はグループをいくつか作って、そこに序列がある。なので、基本的には仲良く見えて、本当はギスギスしてることが多い。あと、集団心理っていうのかな、敵対すると本当に陰湿。

 男子も男子で、いじめがあることは確かなんだけど、基本的に一匹狼でも済ませられるし、あまり他から干渉されないのが楽だよなっていつも思ってた。

 

「ただな、陸上ってかなりストイックなスポーツなんだぞ」

「ストイック?」

「厳しいって意味。戦うのは誰かじゃなくて、自分自身だ。だからこそ、一番自分が嫌いになるスポーツだと思う」

「なんか小難しいっすね」

「続けてたら分かるさ……そうならないように、ちゃんと教える」


 その言葉を今も胸に刻んでいる。まるで、心に焼きごてを押し付けられるように、いつもウチを苦しめる。決して先輩が悪いんじゃなくて、ただ走り続ける人間の宿命ってやつ。

 ただ、先輩がウチにちゃんと教えてやるって言われた時、その点に関してだけ言えば先輩は男らしかった。

 やる気がなさそうに見えて、実は面倒見の良い先輩の優しさ。ウチは中学生活でそれだけを支えに陸上を走ることにした。

 

「なあ、いいか……ええと、猪之頭?」


 私の体操服に刺繍で付けられた名前を読んだらしい。ただ、その名前は今でも嫌いだった。


「ヘレナでいいっすよ」

「分かった。ヘレナ、これだけはよく覚えておいてくれ」

「なんすか?」


 さっきまで覇気がまったくなかった先輩の瞳が熱くなる。そして、マジのトーンで私に語りかけた。

 

「あいつより速くなってやるはいいけど、負けろって念じたら終わりだ」


 結果を常に求め続けられる私には、この言葉はまさしく金言だった。そして、先輩にとっては呪いの言葉だったんだと思う。

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