第3章 社会的制裁
職場内の不倫だろうか、三十代前半の女の車に五十代後半の男が助手席に身体を滑り込ませる。とりあえず後をつける。バスコ駐車場を出ると、なんの迷いもなしに再開発地区のホテル街に車が吸い込まれてゆく。奴らが利用した築浅のラブホテルは高見と丸田もよく使う。建物の構造は理解している。今回も出てきたところを討つ。迂闊にも車庫のシャッターを下ろしていない。高見はナンバープレートと車両の写真を押さえ、丸田は車窓を覗き込み、個人を特定するヒントがないか探る。しかし、無理はしない。あからさまな犯罪行為は二人の信条に反する。グレーゾーンより外に出るつもりはない。
「女の方は子持ちだな。チャイルドシートが付いてやがる」
丸田の情報に、高見は眉を顰める。
「立派な外道だ」
「この服の柄はどこかで見覚えあるぜ」丸田は運転席のヘッドレストへ雑に掛けられたベストを指差す。「おそらく信用金庫の職員だ、この女」
「さすが丸ちゃん。二人とも徹底的に絞り上げてやる」
風俗の送迎車を装い、奴らの向かい側に駐車して待機した。
参考書を読む高見が二つ目の菓子パンの封を切ったとき、二人は現れた。丸田が先に飛び出し、動画撮影モードのスマホを握った高見が後に続く。
「コンバンワ」
丸田は二人の前に躍り込む。
上司と部下。そんな第一印象の二人組は、吐胸を衝かれた顔つきになる。その表情をしっかり収め、高見は振り返ってシャッターを下ろす。そしてあらためてスマホのカメラを向ける。この辺りのコンビネーションは、まさに阿吽の呼吸だ。
「急にごめんなさい。単刀直入に聞きますね」
高見は切り出す。「不倫ですか?」
「えっ?」
「お父サン、不倫ですかね?」
高見は男に向かって質問を繰り返す。男はダークグレーのスーツ姿。真面目で実直そうな面持ち。一度女に狂うと後戻りできなくなるタイプ。女は黒のスカートと白いシャツ、その上にカーディガンを重ね、見た目は貞操が固く、潔癖そうな感じ。
「いや、違うけど」
「あっそうなんだ。僕らの勘違いならとっとと帰りますんで、ちょっとだけ教えてください。今ここで何してたんですか?」
「あんたら何? 誰?」
「僕らは名乗るほどの地位も資格もない、ゴミ屑みたいな一市民です」
高見はスマホを向け続ける。
「質問に答えてくれたら帰ります」
「何やってたかって、言いたくないよ、そんなの」
「じゃあ質問変えます。お父サン、結構いい年ですけど、独身ですか?」
「独身かって、意味わかんないんだけど。答える義務ないし」
男は困ったような顔をして、アメリカ人のように両掌を天に向けて首を振ってみせる。女は男の背中にへばりついて離れようとしない。
「これが最後の質問。二人は結婚してるんですか?」
沈黙が走る。くぐもった車の排気音が耳に重く響く。
「これからするんですよ」女が答えた。「ね?」
男の方も「そうだ。我々は結婚するんだ」と応じる。
ここで丸田が割り込んでくる。
「それじゃあ、結婚資金は信金さんで借りないとなあ」
高見は笑った。「そうだなあ。特に僕らみたいな若者は信金さんで低金利ローン
組まないと車も買えないし、結婚もできやしないんだから」
「おねえサン、あんたどこの支店? お願いに行くかもしれないから教えてよ」
丸田の追及に女は目を泳がせる。
男が言う。「警察呼ぶぞ」
「どうぞ呼んでください。僕ら全然構いません。こちら質問しているだけで何も疚しいことありませんから」高見は笑みを浮かべた。「じっくりとお二人の関係について聴取されたらいかがでしょうか? 狭ぁい街です。情報を辿ればすぐ知り合いにぶち当たります。ここで何をやってて、なぜこうなっているのか、警察の方々に教えてあげてくださいね」
高見が促すと、男はうろたえ、苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
「行くぞ、早くキー貸せ」女の手を引いて車に乗り込もうとする。
「ふん、逃げるか。それもいいだろう」丸田は叫ぶ。「職場じゃ上司ヅラ! ベッドの中じゃどうなんだ! どっちが〝上〟なんだ?」
高見はスマホ撮影を続けている。「撮ってること、お忘れなく。このデータは取り急ぎ信金本店にでもお送りさせていただくとしますかね」
「わかったよ」ドアに手を掛けていた男が音を上げる。「これで勘弁してくれ」
二枚の一万円札。しけた金。
「要りませんよ」
高見は続ける。「僕ら別に金が欲しくてあなたたちに近づいたわけじゃない。疑問にあって、それに答えてほしかっただけなんで。でも、もういいです」
二人は高見を見つめたまま動かない。
「腐れ外道には社会的制裁が下るでしょう」
「おい、待て。何をするつもりだ」男は狼狽する。
「こちらも答える義務はありません。さあ、丸ちゃん行こう」
高見はランクルを出す。先の二人の動画をDVDに焼き、車とナンバープレートの写真をプリントする。それを信金本店に偽名で送付する。
これで少なくとも女の職場には不純な交際が漏れる。丸田は上司だと決めつけていたが、男の素性はつかめず、既婚者かどうか判然としない。片手落ち。
「ちくしょう」
高見はこぼす。
「もっともっと追い込んで、叩き落とさないと」
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