第10章 美人局
俵が不実を働いているという噂はなかった。
それどころか、清新なイメージすら持たれているようで、既に「俵くんを励ます会」なる事実上の後援会組織まで立ち上がっていた。
奴のSNS上の〝友達〟は千人を優に超え、その中には外国人も多かった。中学以降、高見とは何もかも違う人生を歩んだのだろう。書き込みを見てもまったく隙がない。自慢たらしさ、幼稚さがなく、相当ガードが固い。しかし、俵は俵。アイコン写真には昔の面影が残り、当時の記憶がフラッシュバックする。憎悪と怒りが湧き上がる。我慢ならない。のうのうと公職に就かれてたまるかよ。針のように細い無数の苛立ちが、高見の胸から這い出る。
「こっちでもこんなイベントあるんだなあ――」
レイブでの奴は、クスリでもやってそうな口ぶりだった。
しかし、取り巻きの面は割れず、情報はつかめない。嫁は専業主婦、子供は一歳男児。ブログ、SNSじゃ反吐が出そうなイクメンアピール。俵はおそらく家族を裏切っていない。高見は物足りない感触を覚えた。
仕事終わりに丸田をスタバに呼び出し、新たな作戦を告げる。
「女をけしかけようと思う」
「そしてそこを押さえるわけか」
高見は首肯する。「スズコかユリ、やってくれるかな?」
丸田は押し黙ってしまった。
「どうしたんだ?」
「スズコは駄目だ、やめてくれ」
「なんで?」
「付き合ってるんだよな」
「ほんとかよ」
「性格もアッチの方もウマが合うんだよ」
丸田は目を細める。思いのほか相性がいいらしい。
高見は、でも尻軽だろ、という言葉を飲み込んだ。
「あいつには今後そういうことはさせたくない」
「わかったよ。そんじゃユリに頼む」
高見は舌打ちした。
しかし、ユリは首を縦に振らなかった。
バスコ駐車場で、テイクアウトしたカフェラテを手渡す。
「十万ならどう? なかなか割のいいバイトだと思うけど」
「え~。私そんな女じゃないよ」
表面上は笑顔だが、目の奥に憤りの色が滲む。
「スズコさんは丸田の女だから駄目なんだ」
「えっ、あの二人付き合ってるんだ!」
媚びた声を出す。「じゃあ私は高見君と付き合いたい」
「いいよ、付き合おう。だから――」
「――美人局やれって言うんでしょ?」
「ごめん、こんなひどいこと頼んで」
手段は選べなかった。最終的には拝み倒す覚悟でいた。クリーンな俵に綻びは見当たらない。貶すにはこれしか思い浮かばなかった。
* * *
俵の親父が市長選出馬を正式表明したというニュースが、地元報道番組のニュースで流れた。それと同時に県議の後継に俄然注目が集まった。親子で選挙戦に臨むという珍しい構図も市民の関心を高め、ますます俵の名は世間に浸透していった。
高見は焦りを覚えた。公人になればなるほどスキャンダルへの警戒心は高まる。
ユリをどうぶつけていくか、これが悩みの種だった。持ち弾一発の拳銃で狙いを定めるガンマンの気持ち。最も効果的で成功率の高いタイミングでトラップを発動させなければならない。高見は県議補選公示日までが勝負と捉えた。公示日以降、さらにガードが固くなることは容易に予想できた。
断片的な記憶を手繰る。ブレインストーミング。
三好の部屋が浮かぶ。壁に貼られたフライヤー。レイブに来ていた俵。脳裡に閃きが走る。クラブイベント、ストリートカルチャー、バスコ、広い駐車場、スケートボード、DJ、若者、政治家、集票。
三好に電話する。単刀直入に訊く。
「野外イベントの場所探しに困ってるって言ってたよね?」
「ああ。現状ではゲリラ的にやるしかないからな」
「だよね。実はさ、知り合いに県会議員の出馬予定者がいるんだ。ほらスケートボードとかも、まともに遊べる場所なくて困ってるんだろ? そうした若者の悩みを聞いてもらったらいいんじゃないかと思ってさ」
高見は捲くし立てた。
「先方が話聞きたいって言ってんの?」
「知り合い伝手に聞いたんだよ。三好君、言ってたよな、他県じゃストリートカルチャーをまちづくりにも取り入れてるって。そういう新しい動きをレクチャーしてあげなよ。まだ二十代の人だし、聞く耳も多少持ってると思う」高見は矢継ぎ早に言う。「イベントのときクラブに来てもらうよう、知り合い通じて段取りしとく」
「じゃあ、イベントの代表やDJクルーのみんなにそう言っとくよ」
「ありがとう」
高見は電話を切り、俵のブログに偽名でメッセージを載せた。
〈俵正一郎様、ご活躍いつも拝見しております。私、本県にストリートカルチャーを根づかせたいと考えている二十代の一市民です。ストリートダンス、スケートボード、ピストバイク、インラインスケートなどのストリートスポーツ、さらにクラブイベント、ラップバトル等のヒップホップカルチャーに対して、本県は他県に比べ、冷淡な傾向があります。クリーンな文化として発信したいと願っていますが、敬遠されるばかりでいつまで経っても〝アンダーグラウンド〟の状況から脱することができません――〉
ストリートカルチャーを活用したまちづくりの進展、若者の中心市街地回帰のきっかけにもなるなどと触れ、真剣味を散りばめて書き込んだ。
同じ文面はSNSに記載されているメールアドレスにも送った。
〈ぜひ一度、地元の若者の現場を見てください〉
切に懇願する調子で必死さを装い、三好が仕切るクラブイベントの日時を知らせた。受付で名前を言えば、代表者やDJにつながるよう三好に根回しすればいい。
俵は二十六歳だ。若者票を取り込みたい、若年層の支持を得たいという色気はあるはず。若者の代弁者として期待されることも自覚していることだろう。この誘いに乗らない方がおかしい。政治家としての嗅覚が足りない。
その日のうちに、了解したとの旨の事務的な返信があり、高見の胸は昂ぶった。
公務員試験勉強の傍ら、立派な生垣に囲まれた俵の屋敷を視察し、憎悪を漲らせた。あらためて社会の不公平に思いが至る。こんな家柄に生まれれば、きっと高見だってそれなりの大学に行き、同窓会で胸を張れる立場につくことはできた。俵など環境に恵まれただけのラッキーボーイだ。神輿として担ぎあげられ、深い思索もなく鎮座する馬鹿殿にすぎない。両親が健在で、経済的にも豊か。学習塾に行ける財力があり、親が力を持っている。この申し分ない家庭状況の中、成功のレールに乗れないのは怠慢であると高見は思う。
環境に恵まれた温室栽培の小賢しい人間が、大局を判断する役割に就くことを到底承服することはできない。俵を不幸と絶望の淵に沈め、自分が実力で公務員にのし上がることは、喉から手が出るほど求めたい「事実」なのだった。
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