第9章 最後の狩り
陰雲晴れぬ気持ちのまま、河本を嵌める謀議を丸田と交わした。父親のことが頭をよぎるたび、意識に真っ黒なカーテンを下ろし、会話に集中した。
「これをとりあえず集大成にしよう」
丸田が言った。金曜のバスコ駐車場、高見のランクル車内。
今宵も退屈と性欲と淡い期待を持て余した連中が続々と集まっている。夢中になれることが下半身にしかない奴ら。火取り虫のように群がっている。
「どういう意味?」
「一旦、休止しよう。また、ネット掲示板が騒がしくなってる」
「放っとこう、そんなの」
「駄目だ。暇な馬鹿どもが俺たちの素性を調べようとしている」
モラルに欠けた奴らをハントし続けて三年。
体格のいい二人組が怪しい男女のペアに目を光らせていることは、地域情報の交換を目的とした巨大BBSで伝播されている。
高見たちの存在を都市伝説レベルの噂と見る向きもあれば、街の風紀委員、不正交遊ハンター、平成の義賊として称える反応までさまざまだ。ただ最近、過去に裁きを下した外道の仕業なのか〈二人は二十代半ば〉〈短髪と長髪〉〈一人はこめかみに傷〉といった、ある程度具体的な身体的特徴や、バスコを拠点にしていることまで公開されている。
「正体だけはバレたら絶対駄目だ。もう少し慎重になろうぜ」
丸田が重ねて言う。「罰の執行者として透明な存在じゃないといけないって言ったのは高見だろ? 身元割れたらハントできなくなるぜ」
「わかった」高見は首肯した。
* * *
二週間後、河本に電話した。非通知着信拒否、丸田は舌打ちした。
ランクルを南へ飛ばし、堤防沿いの集落に入る。公衆電話からかけ直す。
「はい、もしもし?」
午前一時、ぶっきらぼうな応答。
「あっ、そちら河本さまですか?」
一オクターブ低い声。スマホアプリのボイスチェンジャーが高見を匿名化する。
「そうだけど?」
「郵便ポスト見てごらん」
「えっ? 何? 誰?」
「いいから見て来いよ」
足音、駆け足。「何だこりゃあ……」声が上ずっている。
浮気相手とホテルに入る姿を収めた十枚の写真。デジタル一眼レフで撮影した。顔までくっきり写り、言い逃れはできない。「どうしてこんなものが」
「私、その女性の家族の関係者です」
「関係者……?」
「女性の身内に雇われた探偵みたいなもんです」
口から出まかせを言う。「つまり警告しているんです。お金用意しといた方がいいですよ。謝って済む問題じゃないですからね。土下座したって許しませんよ。法律的な対処をさせていただきます。依頼者側の精神的苦痛をお金で贖っていただくということです。その覚悟をしておいてくださいという警告です。わかりましたか?」
「向こうの旦那にバレているってことなのか?」
「そりゃそうでしょう。だから私がこうして連絡を取ってるんです。逃げられませんよ。こっちは元データ持ってるんだから。とにかく一刻も早く女性の身内に詫びを入れて、お金の準備をしてもらわないと」
「えっ、それっていくら?」奴の声色に焦りが滲む。
「そうだなあ、三百万円は覚悟してくださいよ。はしたないことしたんですから」
「そんな! 無理に決まってるだろ!」
「はははっ。差し押さえしてでも絶対支払っていただきますよ。車、通帳、家具、家電用品、今のうち金に換えれるものは換えた方がいいんじゃないですか? あなたみたいな半人前の半端者が結婚して子供作ったのが何よりも間違いでしたなあ」
「……ちくしょう。なんでバレるんだっ」
ざまあみやがれっ。
高見は思わず口走りそうになるのを抑える。
「さあメモの準備してください。07××‐38‐12××。こちらの番号にかけて、事実を自分の口からあらためて告白し、懺悔してください」
「はあ……」
「わかりましたね? 今日の夕方までによろしく頼みますよ、それでは」
小気味よく受話器を下ろす。胸の内が少しばかり晴れた心地。教えた番号は女の自宅だ。洋品店を営んでいるというので容易に検索できた。店番をするのは主に夫。実際に店を覗いて確かめた。まんまと電話して混乱をきたし、滅茶苦茶になればいい。動きがなければ二の矢――夫宛てに直接ブツを放つまでだ。
「乾杯!」
バスコのフードコートで祝杯。丸田はビール、高見はジンジャエール。公務員試験を控え、酒気帯び運転は厳禁。こうしたことに気を抜くと命取りになる。
「あいつも自身の愚かさと軽率さを呪うだろう」
高見は高笑いする。「これからは家族のために大人しく頑張れっ」
しかし、その家族もまた崩壊する可能性を十分に秘めている。高見と丸田の行動は、不幸な家族を生産することと表裏一体。そのことには早くから気づいているが、バスコ駐車場に居着いてると、欲望に流される既婚者の多さに吐き気がする。
「結局モグラ叩きみたいなもんだよなあ」
丸田はビールを呷り、ポテトフライをつまむ。
「高見と俺で三十組以上やっつけたじゃん。この街の不適切な組み合わせは、その何倍ものペースで生まれてるだろ? きりがねえっちゃ、きりがねえ」
たかだが二人掛かりで、バスコに集う男女を監視、成敗するのは無理がある。
それでも自らの暮らしや過ごした時間、味わった敗北感が狩りに駆り立てる。
過去への復讐はまだ終われない。
「丸ちゃん、もう一人だけ的に掛けたい奴がいる」
「はあ?」丸田は顔を上げる。迷惑そうな顔つき。
「とりあえず打ち止めって話だっただろ?」
「俵正一郎、二十六歳、僕の小中の同級生だ」
私怨を省き、俵のプロフィルを簡潔に紹介した。
「ふうん、なかなかの大物だな。そいつはどんな交際をしてる?」
「こいつ、今のところ浮ついた噂はないんだよ」
「じゃあ、対象外じゃねえか」
「しかし怪しいんだ。こいつは野放しにできない。尻尾つかんでやる」
「……なんだよ、珍しく興奮してんじゃん。じゃあ、そいつで最後だぜ」
俵を街から葬り去る。
高見の血は熱く燃え滾った。
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