第11章 袋小路

 イベント当日。高揚と焦燥、期待と不安が胸中を交錯していた。


 官庁街裏手の歓楽街に建つ、蔦が張る古い雑居ビルの三階。開演時刻の十分前にもなると、六十平米ほどのフロアは若者で溢れ、俄かに熱気を帯び始めた。ドラムンベースの大音響が重たく響き渡り、天井のミラーボールが華やかに回転する。


 高見は人いきれを掻き分け、まず三好の元へ駆け寄った。


「そうそう、聞いたかよ」


 三好は何よりもまず先にそれを伝えたいといった調子で告げてくる。


「河ちゃんの奴、奥さんと息子に逃げられたってさ」


「なんで?」


「不倫がバレたらしい」


「自業自得じゃん」


 高見は涼しい顔をした。

 心中で嘲笑った。


「でも妙なんだよ。主婦の家族の代理人を名乗る男から電話があって、言う通りにしたんだけど、先方の家族と全然話が噛み合わなかったって。つまり向こうは何も知らなかった。それなのに言わなくていいことを自分からぺらぺらしゃべって自爆したみたい」


「そうなんだ、すっげー妙な話だね」


 興味を失ったように装った。想定通りの行動を取った河本に惜しみない拍手を送りたい。喜びが膨れ上がり、胸の内で爆発する。嬉しいことが続いている。


 信金職員の女、三並佐恵子は店頭から消えた。

 

 採用HPから得た情報を頼りに、変装して支店を視察した。「一身上の都合で退職しました」と、同僚の職員は言った。ラブホテルに不似合いなチャイルドシートを思い出す。相手の男の正体はつかめなかったが、上司か取引先だろう。データをこちらが握っている以上、追撃を加える機会は残されている。そう思うことでひとまず溜飲を下げる。


 主催者がマイクを取り、会場のボルテージは上がった。


 背伸びしてフロアを睥睨した。まだ俵の姿は見えなかった。ユリは後方で待機している。丸田とスズコは酒を呑んで踊っていた。二人の手を借りる予定はない。


 午前零時に近くなり、三好がターンテーブルの前に立ったところで、入口付近の人波が蠢いた。黒山の中から俵が割って出てきた。ノーネクタイのジャケット姿。精悍な顔つきで二枚使いのプレイを眺めている。しばらくすると、イベント関係者が近づいてきてバーカウンターの方へ俵を誘導していった。


 秋の夜長に似合うメロウなサウンドがフロアを支配する。俵が一人になったとこ

 ろで、ユリに目配せした。俵が中学のころ付き合っていた女にユリは似ている。彼女は隣に腰掛け、飲み物を頼み、しばし放心してから俵に声を掛けた。


 野球帽を深く被った高見は、顎のマスクを口元に引き上げた。喧噪に紛れて近づき、何食わぬ顔で二人の動画を撮る。流石は弁士というべきか、初対面の女相手に口を回し続けている。何を話しているかまではわからないが、盛り上がっている。


 ユリには積極的にボディータッチしろと言い含めてある。男の期待感をそそる振る舞い、露出の多い服装、取っ付きやすそうな雰囲気。高見は「二重丸だ」と頷く。一時間近く話が続き、俵は席を立った。ユリは小首を傾げつつ、こちらに視線を向ける。そして十五分が経過した。トイレに立ったのだと思っていたが、俵はそれっきり戻って来なかった。


「どうしたんだよ。もう帰っちまったのかな。何を話した?」


「あの人、なんだか不気味」


 ユリはカクテルを呷り、渋い表情を浮かべた。「私のことよりも街のこと、ここにいるみんなのことを訊いてきたよ。名前も言ってくれないし、どこに住んでるかも言わなかった。……素性を明かすことにすごく慎重な感じ」


「ちくしょう」

 高見は舌打ちした。


「でも話は面白かった。話題の引き出しが多くて、会話のテンポも良くて引き込まれちゃった。聞き上手だし、切り返しもいちいち面白かった」


「そんなに褒めるんじゃねえよ」


 高見は俵のポテンシャルの高さを思い知らされた。

 学級委員長を歴任し、応援団長、生徒会役員にも就いた男。高校、大学は推薦入試で進学。その上、リスク管理を怠らない。ツーショットの画はものにしたが、インパクトに欠ける。方途を失い、袋小路に迷い込んだ。焦燥感が募った。

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