第6章 古傷

 仕事の休憩中、作業服を脱ぎ、高見は一人で近くのマクドナルドに籠る。情報通信、地方自治、個人情報保護。いつ使うのかわからない知識を脳内キャビネットに溜め込む。


 ハンディカムカメラ、スマホに収めたデータはDVDに焼き、ホームページ上に公開されているスポーツ少年団の事務局に送りつけた。県の少年野球連盟にも届けた。丸田とスズコの上半身を黒塗りする編集を施し、声も変えた。盗撮行為で裁かれぬように細心の注意を払った。高見も丸田も前科・前歴なし。スズコは高校時代、自転車の横領で補導歴があるそうだが影響はない。あのホテルのシステムでは、下手な証拠を残さなければ足はつかない。警察もそこまで暇ではないし、彼らが自ら告訴するとも思えない。その後あの二人がどうなったのかはわからないが、不純な交遊は表沙汰になった。車に積載されていた野球道具一式、背番号30の大柄のユニホームは用途を失っただろう。


 ガソリン臭い身体を一洗いしてから三好のアパートへ向かった。

 三好は壁際に積まれた段ボール箱からレコードを取り出し、ジャケットの埃を取り、溝を滑らかな布巾で磨いていた。灰皿には円錐形の御香が並び、もうもうと煙が立ち上る。部屋の緩んだ雰囲気と独特の芳香が、労働後のささくれ立った神経を治める。


「レイブあるんだね」


 高見は座卓に置かれたフライヤーを示して言う。


「うん。俺も一時間回すから高見君も来てよ」


 DJとしても活動する三好は、県内のクラブやレイブイベントで重宝されている。


 今度のレイブは山腹にあるダム湖を中心に形成する広場で行われる。

 この音楽パーティーは行政に使用許可など取らず、ほとんどゲリラ的に催行する。だからフライヤーの配布先を限定したり、ネットでの情報発信にも隠語を使ったりと気配りにも余念がない。


 高見は丸田や河本と何度か行ったことがある。大麻やドラッグの売人プッシャーもいれば、どこぞの元アイドル、メダリストみたく衣服を脱ぎ捨て踊り狂う輩もいる。警察の手入れが入ればアウト。抜き打ち検査をされれば、しょっぴかれる人間は両手では収まらない。他府県では警察が車両検問を実施し、主催者らが大麻所持で現行犯逮捕されている。それでも散発的に開かれ続けるのは、普段息を殺している若い連中が一堂に介し、音楽、酒、ドラッグで酩酊して一つになれる享楽性が想像以上だからなのかもしれない。


「――それにしても聞いたかよ」レコードの手入れに一息ついた三好は、ノートパソコン搭載の音響ソフトを立ち上げながらこぼす。


「河ちゃん、人妻と浮気しちゃったって。嬉しそうに自慢してたよ」


「ふうん、そうなんですか……」


「君らこの前一緒に合コンしたんだろ? そのときの幹事の女性だとさ。おしゃべりでノリのいい子らしいけど、バレないで上手くやるよなあ。人妻なんかによく手を出すよ。慰謝料とか賠償金とか怖すぎるっしょ。河ちゃん、そんなリスクお構いなしに手出しするんだもん。ありゃあ性の鬼だね、一種のビョーキだよ」


「ほんとですね」


「奥さんにバレてないみたいだからいいけど、ほんと悪運強い男だよね。一回のセックスの代償が数百万円じゃ笑えないって。レコード云百枚も買えるじゃん。俺は音楽とドラッグがありゃいいや。合コンとかああいうの苦手。既婚者なりにいろいろストレス抱えてるのかもしれないけれど、俺にはそんな度胸ないや」


 河本は周りに〝ヨイショ〟を強要する。自分の株が上がるように、息の掛かった人間に祭り上げてもらおうとする。今じゃくたびれきった元ヤンの妻帯者。過去の威光はとっくに錆びれ、威張れそうな奴にだけ大きく出る、さもしい稟性が透けて見える。


 その日の合コンは四対四。男側は高見と丸田、河本と奴の同僚(既婚者)の四人。女側は全員が既婚者で、そのうち三人が主婦だった。一見スマートな高見が、高卒の肉体労働者だと知るや、彼女らはやたら興味を示し、微笑みかけてきた。どうやら〝遊び相手としてぴったり〟という評価が得られたらしく、高見は始終ちやほやされた。丸田は素気無い態度で酒を飲み、河本とその同僚はやることばかりを考えているみたいだった。高見は主婦の暇つぶしに付き合う気はなく、この無駄な時間を学習に充てたかったというチープだが、切実な思いに駆られていた。女の顔が全部カボチャに見え、古傷が疼いた。


 ここ数日、合コンに割かれたロスタイムを埋め戻そうと、丸田が副業としてバイトするファミレスに押し掛けた。ドリンクバーとスープだけで長時間居座り、勉強した。


「まったく、迷惑な客でやんの……」


 客足が引くと、緑色のエプロンを掛け、細長い紙製の帽子を被った丸田が寄ってきた。


「レイブも行くし、外道狩りもやるし、いくら時間があっても足りない」


「忙しいよなあ、俺らも」


「丸ちゃんさあ、そろそろ河本を的に掛けよう」


「河本か……。あいつも罪深い奴だからな」


「そうだよ。あんなダセえ奴、何もかも失ってしまえばいいんだ」


「三好君からも遠ざけたいしな。いいように利用されてるところあるから」


 高見は黙々と首肯し、丸田は厨房に戻った。

 そしてまた参考書に目を落とし、高校レベルの数学問題を解き始める。公務員になれば胸を張れる気がする。当たり前のように進学した大卒連中が羨む公僕になる。自分の過去に対する復讐になる。至極現実的な逆転手段。


 汚い市営住宅と疲れた顔をした母親、六年間乗り続けた自転車、新調できなかった学ラン、レトルトの夕食、襟の伸び切ったTシャツ、単純にボロいだけのジーンズ、居心地の悪かった四畳間。


 人並み以上にモテるようになったのは社会人になってからだ。安価なファストファッションで育ちやセンスは誤魔化せる。高見は自身を改新し、人生をアップデートすべく、寸暇を惜しんで生まれて初めて真剣に努力している。誰にもその邪魔はされたくない。

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