第7章 キャンプファイア

 ダム湖広場には、大勢の男女が集まっていた。一ヘクタールはありそうな芝生エリアの中央に、櫓とキャンプファイア、鉄柵に囲まれたDJブースがあり、下っ腹に響く重いビートが山の澄んだ空気を圧迫していた。太陽は稜線にかかり、もうすぐ沈もうとしている。


「ああ、なんかむしゃくしゃするな」


 横に揺れている男女を尻目に、高見は嘯く。

 三好のエルグランドで会場入りする途中、カーナビのワンセグ放送で、芸能人のおちゃらけた火遊びトークを視聴してしまったこともあり、高見は気が立っていた。


「女遊びは芸の肥やし」


 悪気もなく、嬉々として主張する芸人に青痰を吐きつけたくなる。呑んでいたビールは苦味を増し、苛立ちが募る。ワイドショー、芸能リポート、ネットニュース。高見の神経に障る情報が満ち溢れている。同乗した河本はげらげら笑っていた。殺したくなった。


「まあ、朝までゆっくり楽しんでくれよ」


 到着すると、三好は高見の背を押した。パソコン、ターンテーブルなどDJプレイ道具が入る大きなバッグを肩に掛け、ブースの方へ駆け寄って行った。


 日没後、キャンプファイアが灯されると同時に、ダンスミュージックのボリュームが上がった。サイケトランス。本格的な開演。薬物常習者みたいな痩せた男が、参加者に声を掛けて回り、クスリを小分けにしたパケを捌く。そこかしこで乾杯の声が上がり、プラスチックのコップが散らかる。頭を振りでたらめに踊る奴、奇声を発してジャンプする奴、既に酩酊してふらふらしている奴、純粋に音楽を楽しむ奴、単に座って見ている奴、いろんな奴らが緩やかな連帯をみせ、一つの光景をつくり出していた。


 ユリと合流した。派手なサンバイザーを被り、顔に大きなサングラス。服はデニムの短パンに、男物の渋いスカジャンを着ていた。スズコはナンパについて行ったという。


「決まってるじゃん」


「いいでしょ、これ」背中を向け、昇り龍の刺繍を見せつけてくる。


 乾いた怒りが沈静していく感覚。ブリブリにキメているグループの合間を縫い、ひと気の少ない木陰へ。欅に凭れかかり、唇を押しつけ合う。


 三度目の口づけのとき、硬くて苦い粒が舌とともに高見の口内に侵入してきた。頭がぼうっとして、手足の先に痺れるような痛みが走った後、五感が研ぎ澄まされたかのように敏感になった。キャンプファイア、DJブースの照明、ネオンライト、視界の色が引き立ち、理由もなく感動した。蠢く参加者の口の動きまでもわかりそうだった。そのくらい感覚が冴えていた。あまり好きじゃない電子音楽が素晴らしく感じた。


 三好のDJプレイが始まった。表情のない機械的な音から一転、三好の人柄みたく柔和温順なサウンドに変わり、高見の気分も悠揚になった。少し歪んだ音が気持ちいい。音とドラッグで意識が変性している。体全体が緩和されていく、そんな感じを覚えた。


「ねえ、高見君。うちの親もやっつけてよぉ」


 ユリはとろんとした双眸のまま、締まりない口調で話す。「うちの母親、恋だの

愛だの不確かな感情を盾にして、私たちきょうだいを捨てたんだよ」


 怪しい呂律でぽつりぽつり語ったところによると、父親は彼女が中学生のころ、職場のストレスから鬱病を患い、長期休職した。当時は今ほど精神疾患に対する理解が広がっておらず、社内に居づらくなって退社。自宅で療養していても気は晴れず、家計や教育費など心配事がより際立つばかりで、身体症状、精神症状ともに悪化をたどった。献身的だった母親は、前を向く意欲を失い、会話していても集中力を欠く夫に嫌気が差し、日に日に膨れ上がる憤懣はやるかたなく、不倫という形で発散する流れになったという。


「パート先の若い社員に入れ込んじゃった。それでまたお父さん、抑うつ状態になっちゃって、お前の足手まといだから、死にたい、消えたいって口癖のように言うし、どんよりした空気がずっと家中に蔓延してたんだよね。結局離婚して、弟も大学諦めて働いてるし、お母さんだけが得してるんだよ。ほんとむかつく」


 ユリは下顎を高見の肩にのせ、

「したくなってきた」

 後ろめたそうにつぶやく。

 クスリの作用か、高見の下腹部も火照っている。

 

少し奥に移動し、木々の混み入った場所でやった。立ったまま樹幹を抱くユリを、高見は後ろから突き上げた。ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。四つ打ちのリズムに合わせ腰を振る。一拍遅れてユリがよがる。避妊具なし、圧倒的快感。


 胸の高鳴りを感じる。胸の底から愉快な気持ちが這い出してくる。


「僕がやってやる。お前の母親、僕がやってやる」


 笑い出しそうになるのを堪えながら言った。ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。骨盤を臀部に打ちつけ続けた。BPMに従って、規則的に腰を動かした。それはメトロノームみたく、ひたすら整然と。ユリの状態には委細構わず、空間と溶け合うように。


 樹間から見える光景。キャンプファイアは燃え上がり、その周りを人が輪になって舞っていた。血肉湧き躍る原始人のよう。DJブースと放射線状の照明。規則的なサウンドが精神を高揚させる。遠くダム湖の方で花火が打ち上がる。大きな拍手と歓声。限られた視界の中を人が流れてゆく。人々のざわめきが聞こえてくる。

 高見の分身は、滑る律動に耐えられなくなってきた。


 零コンマ数秒、違和感が走った。


「こっちでもこんなイベントあるんだなあ」


 はっとして行為を止めた。

 音の合間を縫って声が聞こえた。覚えのある声と忘れられない顔。

 数メートル先の明るみに俵がいた。


 こめかみがざわついた。瞼までピクピクと脈打ち、ユリの腰を握る両手に力が入った。清潔そうなオールバックの痩身。この場に似合わぬ小奇麗なジャケットスタイル。胸の奥深くが渇いて、ひりひりする感覚に高見は捉われた。


「ねえ、もっと」


 静止したままの高見に振り返り、ユリが催促した。


 高見は一転、激しくピストンして果てた。太腿に白濁液が垂れた。深い暗がりの中、視線を上げた。見えるはずないのに、俵と目が合ったような気がした。

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