第5章 高見と丸田

 高見は母子家庭で育ち、公立の工業高校を出てガソリンスタンドに就職した。父親はいなかった。年長児のころ、突然いなくなった。ろくに金も残さず別の女のところへ走り、挙句の果てに仕事上のトラブルに苛まれ失踪した。

 家庭用ゲーム機を持ったことはなく、実家の市営住宅ではいつも独りでスポーツ番組を見ていた。母親以外の誰かと、狭い空間で生きる同じ時間を過ごす喜び。当たり前の時間が高見には足りない。


 高校卒業後、ガソリンスタンド運営会社に入社して七年、給料は手取り十七万円。三年間で一万五千円の昇給。年収は二百五十万円程度だった。プラスマイナスゼロの生活が延々と続く。この暮らしをこれから何十年も送るのは、高見には耐えられない。書店で参考書・問題集一式を買い求め、夜な夜な学習を始めておよそ半年になろうとしていた。


 丸田は私生児だった。父親は誰かわからず、経済的に困窮していた母親に捨てられ、特別養子縁組で引き取られた先の家庭も双方の不倫・浮気で崩壊した。

 入学金や授業料の捻出に奨学金と学生ローンを充て込み、地元の四流大学を卒業したはいいが、既に約五百万円の負債者となっていた。小さな印刷会社に就職し、安月給でいじましく働きながら毎月せっせと返済している。彼もまた精彩を欠いた瞳をしていた。

 

 一時の陶酔と快楽、淡い期待感に理性を揺さぶられ、気持ちの良い方に流される愚かな大人たち。子供に向かってピーチクパーチク講釈垂れる前に、じんわりと湿らせたその下腹部を自律すべきだという点で、高見と丸田の意見は一致している。


 丸田は言う。


「不倫する奴はみんな屑だ」


 己が欲求を制御できず、イチモツおっ立てて涎を垂らす男、退屈な人生と絶え間なき家庭の不満から刺激を求める女。「腐れ外道だ」と高見は吐き捨てる。


 *  *  *

 

 バスコ駐車場、土曜日、午後九時。

 ジャングル/ドラムンベースの低音がズンズン響く車中、高見は参考書を貪り読む。丸田はリズムに乗りながらスマホゲームをし、時間を潰す。


 少年野球チームのロゴが入るミニバンがひっそりと動き出す。高見はアクセルをゆっくりと踏み込む。丸田はダッシュボードに足を載せ、横柄な姿勢でスマホをいじっている。後部座席にはスズコとユリ。二人にはそれぞれ二万円を握らせている。高見は〝レッサーパンダ〟から目を離さない。前々から目をつけていた不審車。顔のでかいレッサーパンダが、野球ボールを握って歯を見せているロゴ。市内の古豪チームのものだ。


 スポーツ少年団の指導者と保護者――よくあるパターン。


 高見は吐き気を喉奥に押し込む。傷痕が疼く。


 黒のミニバンは再開発エリアを貫く幹線道路沿いの安ホテルの地下に吸い込まれてゆく。監視カメラがなく、システムも古いお誂え向きのホテル。〝連れ込み宿〟の風情漂う外観。死角になる場所に駐車し、運転者らが降りてくる前に支度を整える。運転者の男と助手席から現れた女が、フロントのパネルで308号室を選択するのをエントランスの柱の影から見届け、四人で309号室を選んだ。高見は壁に寄り、早速聞き耳を立てる。


 二人が床を踏む音、どこかに倒れ込む音が聞こえた。二人掛けのソファで乳繰り合っているのかもしれない。裸になる前に動きださなければならない。


「行くぞ」


 丸田はスズコを促し、二人で部屋を出て、隣室のドアをノックする。


「すみませんっ、すみませんっ」


 一切の敵意と悪意を削ぎ落した、落ち着きのある声色で丸田は呼び掛ける。バタバタと足音がして、ドアが開く。丸田はすかさず上半身を食い込ませる。


「あっ、お取り込み中のところ失礼します」


「なんですか?」


 高見は309号室のドアの隙間から廊下を窺っている。坊主頭を伸ばしただけの黒々とした頭が見える。男は高見と同じく百八十センチはありそうな体躯。丸田の媚びる声がくぐもって聞こえてくる。「もしよかったらこいつとやってくれませんか?」


 丸田はスズコを指し示す。七分丈のスキニージーンズに胸元の開いた白いシャツ、ヒールの高いサンダルを履いている――男の目を引く上物のギャル。


「そういうのは結構です」


「こいつ、二十三歳のショップ店員なんです」


「いや、いいです。私ツレがおりますので」


「でもロハですよ」


「……えっ?」


無料タダってことです」丸田は滑らかに嘘を吐く。「僕たち結構長いんですけど、最近お互い興奮しなくなっちゃってて。こいつがどうしても新鮮味がほしいっていうもんですから、お隣さんどんなもんだろうって思った次第なんです。一応言っときますけど、こいつまじエロいっすよ。一緒にやりましょうよ」


「……美人局とかじゃないでしょうね」


「違いますよ、俺ら興奮したいだけなんです。よかったらそちらの彼女サンも交えて四人で楽しんでもいいですし。マジ楽しいと思いますよ」


 丸田は小声で打ち明ける。「それに俺知ってるんですよ。お兄サン、違う女性ともバスコで落ち合ってますよね。うらやましいなあって思ってたんです」


「えっ、なんで……」


「だって、あの車すげえ目立ちますよ。お兄サンなら協力してくれると思って」


「……じゃあ、ちょっと中の奴と話してきます」


 室内に戻り、また壁際で聞き耳を立てる。性的欲望に捉われた男が必死で女を説得している。男は四十代後半、女は三十半ばぐらい。秘密裏の付き合いは長いのかもしれない。なんらかの理由をつけて汚らしい逢瀬を重ね、子供を不幸にする。


 五分後、男は言った。「本当にいいんですね?」


「もちろん!」


 丸田は屈託なく笑った。「俺らの部屋来てください」

 まんまと男はハマった。


 高見とユリは脱衣所に身を潜める。


「うちの奴はちょっとビビっちゃってますけど、連れてきました」


 男はガウン姿で、女の手を引いて現れた。女はスポーツウェアを着ていた。過去の日焼けの影響か、頬は雀斑だらけで、容色に恵まれているとは言い難い。


「ははは、お兄サンなんて呼んだらいいっすか?」


「カケイ」


「俺はマサダって言います。カケイさん、既に斜め四十五度の角度でいきり立っちゃってるじゃないっすか。早くも臨戦態勢! いいですねえ」


 丸田がテンポよく軽口を叩き込んでいく。


「そちらのお姉サマもおキレイですね。複数プレイってすっげー楽しいですよ」


 目に好奇心の色が宿っているのだろうか、女から「ノー」の言葉はない。


「それじゃあ、こちらへ……」


 ベッドへ促す丸田の声と、服を脱ぐ衣擦れの音がする。テーブルの上に置いてあるトートバッグに録音モードのスマホを忍ばせ、有料放送のプログラム表の下にはハンディカムカメラを仕込んでいる。丸田は体を張れる、高見は張ることができない。


「ああん、やっぱり恥ずかしい」女がつぶやく。


「せっかくの機会、気を楽にして楽しみましょう」丸田が優しく諭す。


 粘膜同士の艶めかしい音が、間断なく聞こえてくる。

 肉が肉を打つ音、こぼれ落ちる喘ぎ声、深い吐息、シーツが擦れる音。

 

 隙間から覗く。丸田が女を後ろから制している。

 パンッ、パンッ、パンッ、パンッ。

 続いて男がスズコを貫く音が入り乱れ、サブマシンガンの音になる。

 パパンッ、パパンッ、パパンッ、パパンッ。

 

 女二人の呻き、喘ぎが交じり、高見は扉の向こうに異空間の趣すら感じる。感化されたのか、股間が熱くなっている。ユリの方へ振り向くと、唇を唇で塞がれた。音を立てないよう脱衣所からバスルームに移って、身体を撫で回し合った。想定外の展開。互いに下だけ脱ぎ、ユリの片足を上げ、そのまま交接した。気取られぬよう控え目に腰を動かす。


 扉の向こう側の肉を打つ音は止まない。人を変え、体位を変え、また間歇的に音が伝わってくる。ユリが悲壮な声を出し、高見はそれを唇で押さえつける。ユリをタイル張りの壁面に立たせ、背後から挿した。接合部が熱い。めくるめく快楽の高まりがピークに達した。余分な肉のないヒネ鳥めいたユリの背中に口を押し当てて、雄々しい呻き声が漏れ出るのを防ぎ、ユリもまたタイルにキスすることで、切ない声が漏洩しないよう踏ん張った。


 高見はしばらく肩で息をし、脱衣所のティッシュを使い、尻の曲線上に発射した液体を拭き取った。扉の向こうでは乱れた情事が続いていた。


「ねえ、これからどうするの?」


 服を着終えたユリが尋ねる。「記録取って脅すの?」


「脅すっていう言い方好きじゃないな……。これは僕らの課業みたいなもの。懲らしめてやるのさ。自分を律することもできないくせに、偉そうにしてるヌけた奴らを」


「なんのために?」


「子供たちのために」


「……ふうん、よくわかんない」


 ユリはこぼし、立膝で座る。


「とりあえず、夢いっぱいの少年野球チームは終わりになるだろうね」


 それからたっぷり二時間待たされ、嫌になるほど営みの声と音を耳にした。丸田が女を背面座位、男がスズコを対面座位で攻め立て、それぞれ性的絶頂に至った。


「ヴァアアアアアアアアッ」


 男のドスの利いた呻き声を節目に、乱交はフィニッシュ。四人は狭いベッドで弛緩していた。荒い息遣いが〝四者四様〟のタイミングで繰り返される。


 呼吸が整ったところで、丸田が男女に礼を述べ、めっちゃ気持ちよかったですね、そろそろ部屋戻りますか、と退室へ水を向ける。スズコは乳房を開陳したまま倒れ込んでいる。


「あっマサダさん、一応連絡先教えて」と男。


「シャワー借りていいですか」と女が続く。高見は息を殺し、身構える。


「俺ら週末はバスコにいるんで、また会うでしょ。その方がスリルあるっしょ。シャワーは自分たちの部屋で入ってください。俺らも入りたいんで」


「じゃあ、一緒に入りましょうよ、四人で入りましょ」


 丸田は深いため息をつく。「調子に乗っちゃあ駄目ですよ」


 急にコミュニケーション温度が低くなったことに、幾ばくかの不安が生じたのか、男は咳払いをする。丸田は二人を見つめて告げる。


「モラルに反したことは気持ちいいでしょ?」


「えっ?」


「疚しさ、後ろめたさを抱えながら、快楽の波に身を委ねるのはたまらないでしょ?」


「そうかもしれないです」


「いくらご高説並べて、大上段から高慢に振る舞ってみても、一皮剥けば雄と雌」


「……なんです?」


「あんたらのことですよ」丸田は言う。「自分の娘でもおかしくない年映えのギャルに挿し込んで、よがり狂って、歓喜の咆哮して、情けないったらありゃしない」


「……手の平を返したようになんですか。自分から誘っておいて」


 男は丸田の前に立ちはだかる。胸板が厚く、ガウンから伸びる腕は乾いた丸太のよう。二人がかりで襲っても負けそうだ。高見たちは非暴力主義を貫いている。殴られても反撃はしない。ランクルの工具箱の中にダガーナイフを忍ばせているが、殺されそうにならない限り使うことはない。とにかくこの行動は刑事的犯罪にしちゃいけない。高見は絶対的ルールとして遵守している。


「まあ、怒らないでください。冗談ですよ。また会いましょ。次はもっとハードなプレイしましょうよ。それではまた近々バスコでね」


 丸田の口調は険を潜め、柔らかな口ぶりに改まった。


 突如浴びせられた毒気に怯んだのか、男女は怪訝そうな表情を崩さぬまま、後味の悪い雰囲気を抱えて309号室を後にした。


 ドアが閉められた途端、

「ちょっと高見みたいだったろ?」

 丸田は脱衣所に首を突っ込んできた。そして、眉根を寄せて鼻をくんくんさせ、洗面台の湿ったティッシュの塊を見つけるや、お前らもやってたな、と頬を緩ませる。


「たまにはおばさんもいいな。二回もいっちゃった」


「うちもおっさんに何度もいかされちゃったよぉ」


 スズコは胸をはだけたまま脱衣所に来て、そのまま丸田とシャワーを浴びた。二人はまたテンションが上がったのか、切ない声がタイルが水を弾く音に混じり出した。

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