第4章 チルアウト

「今度バスコ行くとき俺も一緒に連れてってよ。君らモテるんでしょ? 俺と河ちゃんじゃ全然ダメ。がっつきすぎるから相手が引いちゃう」


 三好はそう言って、クサを紙で巻く。


「僕はやめとく」


 高見は口をつけず、丸田にパスする。


 丸田は潰れた吸い口に歯を立て、上下の唇でそっと紙巻きを挟み、穂先を赤く燃やして深く吸い込む。青い煙が口角からこぼれ出す。


「ああ、気持ちいいねえ、最高だね、最高」


 三好のアパートの窓からは澄んだ青空が望め、一メートル近い直方体のスピーカーは心地良い音楽を響かせている。英国のダブステップ。ブリアルというアーティストのアルバムが、ハッパの浮遊感にぴったり合うのだと三好は言う。


 中古レコード店に勤務する彼は、二人の出た高校のOBだったが、先輩風を吹かさないので摩擦なく付き合えた。


「なんだ高見君。本なんか読んで」


「勉強ですよ。ガソスタ勤めはしんどいですからね」


 ページを睨みつけ、頻出の一般知識と英単語を叩き込む。


「こいつ、公務員になりたいんですよ」


「それでハッパもキメず、読書なわけか」


「スマホでスクリーンショットするみたいに、頭に内容を保存できたら楽なんですが」高見は分厚い参考書を閉じる。「二人とも目ぇ真っ赤」


 芳醇な煙の薫りに酔いそうになりながら、高見はパソコンを借り、検索をかけた。


「丸ちゃん、ちょっとこっち来てくれ」


 信金の採用HP。〈先輩からのアドバイス〉のページに女がいる。


 三並佐恵子、橋南支店、入社十年目。


 先日の卑屈で怯えた表情とは打って変わり、口を三日月型に広げ、優しげな眼差しをたたえて微笑んでいる。好感度の高い笑み。


「なるほどね」丸田はほくそ笑み、また紙巻きをくゆらす。


 突然、アパートドアの蝶番が回される荒々しい音がした。


 三人一斉に振り向く。河本こうもとが後ろ手にドアを閉める姿が確認できる。


「焦ったあ、河ちゃんか。ビビらせるなって」


「ああん? ケーサツだと思ったんか?」


 緑色のアディダスのジャージが、寸胴体型の大きな肢体を包んでいる。右手にはコンビニのビニール袋。カツレツと海老フライの特大弁当が匂い立つ。


「おう、お前らも来てたんか」パソコンに向かう高見と丸田の姿を確認するや、支配者気取りの足取りで近づく。「誰や、この女? お前らが唾つけてる女か?」


「まあ、そんなもんです……」


 丸田が応じる。〝外道狩り〟のことは誰も知らない。


「この部屋、いい匂いさせてんなあ。三好、俺にも回して」


 河本は三好の隣に座り、煙を吐く。吸引を繰り返し、効用が回ってきたのか、箸を割り、猛然と弁当に食らいつく。「吸ってからの方が断然美味えんだよなあ」


 おくびを漏らす河本に、敵意の滲む表情を浮かべる丸田。河本は穏やかな三好とは正反対の性格だった。無駄に先輩風を吹かし、高見たちに上意下達の暗黙の了解を押しつける。地元の不良を仕切る暴走族「堕威奈騒ダイナソー」に所属していた自称・秘密兵器。過ぎ去った栄光に縋り、幅を利かそうとする。河本がトイレに立った途端、丸田は溜息をつく。三好の友人だけに表立っては悪く言えない。高見は参考書を鞄に隠した。


「おい高見ィ、来週の金曜の夜、空いてるかぁ?」


 河本は下のジャージで手を拭う。


「空いてるかって訊いてんじゃあ」


 答えずにいると、声を荒げる。思い通りにならないと苛立つ子供と同じだ。

 どこにでもいる奴、くだらない奴。傷痕が脈打つ。


「合コンあるから行こや、高見がいると女が色めき立つからな。丸田も来い」


 いつまでも不良気質が抜けない下衆。「わかりました」と頷く。

 頭数合わせと割り勘の分担金を減らすための誘い。ケチでせこい下衆。


 嫁と二人の子供を抱え、安月給の仕事だけでは生活にゆとりがなく、常に金に困っている。それでもアソビはやめない。醜い肉欲の塊。三好と疎遠にしていれば、河本とも接することないのだが、三好のアパートの居心地の良さは、兄弟のいない高見とって何よりも代え難かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る