不倫のコ

重伍

第1章 金曜日のバスコ

 夜十時を回るというのに、ヘッドライトを光らせた車が続々と集まってくる。赤字の値札でも付ければ、巨大な中古車売り場にも見える。


 金曜日の『バスコ・ダ・ガマ』駐車場。


 軽乗用車、スポーツカー、セダン、ミニバン、ハッチバック、ステーションワゴン。金曜・土曜のバスコにはさまざまな形状、カラーの車両が犇めき合う。厳密に言うと、半数の車は駐車しているわけではない。今宵の相手を求めて、ヨットが外洋をクルージングするようにゆっくりと巡回しているのだ。


 高見と丸田は黒のムーヴに狙いをつけ、右隣に駐車する。


「ねえ、何人で来てんの?」


 丸田が助手席側の窓を開け、運転席の女に話し掛ける。


 女は助手席に座るもう一人の女とのおしゃべりを止め、丸田に視線を向ける。値踏みするような露骨な目つき。


 しかし、奥に座る高見を見ると、二人の目に媚びの色が浮かぶ。


「うちら二人!」


 助手席の茶髪女は、周囲のエンジン音に負けじと叫ぶように答える。


「俺らも二人だよ。ボウリングしない? 奢るからさ」


 この日も丸田の交渉は易々と成立した。二枚目の高見と口が巧く積極的な丸田、二人の〝成約率〟は六割を優に超えていた。


 併設されているボウリング場で二ゲーム遊んだ。明るい茶髪はスズコ、運転していた黒のロングヘアはユリと名乗った。高見は女からの自己紹介をほとんど聞いていない。しかし、愛嬌たっぷりにほほ笑み、ストライクやスペアを取ればハイタッチをする。ガーターが続けば大仰しく頭を抱えもする。丸田がコミカルに囃し立て、場が盛り上がる。


 雰囲気が熟してきたところで、丸田が持ち掛ける。


「次のゲーム合わせて、トータルでおれらが勝ったらやらせてくんない?」


 高見、丸田の両者とも生半の追い上げでは挽回できないほど引き離されている。


 スズコは高笑いする。


「やらせる? そんなん無理だよぉ」


「じゃ、わかった。その代わり、俺らが負けたら十万あげる」丸田は二つ折りの財布の中をのぞかせる。きっちり十枚の一万円札が入っている。


「何か賭けないと熱くなれないから。乗ってくれる?」


 それでもスズコは首をひねる。高見も割って入り「僕も全財産賭けるから」と同じく十枚の札が入った財布を見せる。「僕たち熱くなれりゃ金なんかどうでもいいんだ」


「……じゃあ、勝ったら絶対に合計二十万円もらうからね」


 スズコの返事にユリは些か戸惑っているようだったが、丸田は委細構わずゲームスタートのパネルをタッチした。高見は意識を集中し、右腕のギアを入れ替える。

 ストライク、ダブル、ターキー。スズコが「凄い、凄い」と嬌声を上げる。ハムボーンは逃したが、きっちりスペアを取る。一ゲーム目〈110〉だったスコアを〈220〉にまで伸ばす。丸田も本気を出し〈190〉と好成績を叩き出した。スズコから笑みは消えた。高見と丸田は元々同じ工業高校バレー部のセッターとアタッカーの関係。性格は違っても息は合っている。


「俺らの勝ちぃ。じゃあ約束守ってよ」


「最初からそのつもりだったんでしょ、ユリ帰ろ」


 スズコは悪態をつく。


「勝負だろ。その結果なんだからさ」高見は行く手を阻み、やんわりと制する。


「でも――」


「でも、じゃないよ」高見はスズコが何かを言い掛けるのを少し強めの調子で遮る。


 彼女もユリも高見の剣幕に押されていた。あの駐車場に女二人で夜遅くにたむろしている時点で、推して知るべしのオツムの持ち主。転がすのは簡単だった。


 高見のランドクルーザーでインターチェンジ沿いのホテルに駐車し、丸田はスズコ、高見はユリとペアになり、それぞれ個室に入った。


 部屋は煙草の臭いが染み付いていた。アメニティ用品も安物だ。しばらくすると、隣室からスズコのあられもない歓喜の絶叫が聞こえてきた。丸田はじっくり楽しむということを知らない。あり余る精力で抜かずの三連発を繰り広げる。


「二人は毎週来てんの?」


「うん。家にいても暇だから」


「僕らも同じ。やることないからね。街に出ても何もない。バスコぐらいでしょ?


 昼も夜もあんなににぎわってんのって」


 バスコはディスカウントストアとショッピングモール、それにボウリング、カラオケ、ゲームセンターが一つになった巨大施設だ。ドン・キホーテとジャスコを足して二で割ったような威容は、この街のどの建物にも勝る。そして、中央アジアの放牧地のように広大な駐車場は市内一円の活動的な若者の溜まり場にもなっている。


「ねえ、しないの」


 書籍を読み始めた高見にユリが言う。


「気が向いたらね」


 カバーで隠しているが、読んでいるのは一般知識と時事問題の参考書だった。ユリは何度か声を掛けたが、あまりにも高見に無視されるので、意欲を失ってテレビでバラエティー番組を眺め始めたようだった。


「よし」


 たっぷり一時間ほど精読したところで、高見は参考書から顔を上げた。


「こっち来なよ」


 芸能人のくだらない私生活を披歴する番組を消し、手首をつかんで引き寄せる。高見は丸田みたく、二時間の休憩タイムに何度も迫ったりしない。


 今ほど得た知識を頭の中で反芻しながら、痩せた棒切れのような身体を抱く。


「この傷痕どうしたの? ちょっと盛り上がってる」


 彼女の人差し指が高見の右こめかみを這う。斜めに走る四センチの裂傷の痕。


「むかつく奴を見ると疼くんだ」


 高見は薄い青色の下着を薙ぎ払った。貪るようにキスをして束の間の温もりに浸った。

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