十三、地獄の有様について
原題は『役々を極めさせたまふ事』。
大まかな聖書の物語については前章までで終わる。ここから先は隠れキリシタン達の考えるいぬへるのすなわち地獄に対する説明と黙示録である。
さてさんみぎり(※聖ミカエル)は天秤の御役を持っており、じゅりしゃれん(Jerusalem.エルサレム)堂にて罪の重さを正しく測っている。善人はぱらいそに通し、悪人はいんへるのに落とし、またその罪の重さに応じて叱責して辱めたりもなさる。
たとえ善なる者だったとしても天狗がこれを取ってしまう事がある。さんみぎりは天狗には与えまいとばんのしう剣(※語源不明。日本語で万能の手剣かも知れない)を振るって天狗を避けるのである。
またふるかとふりや(Purgatorio.煉獄)へと通す事もある。この場所で充分に後悔を重ねることができた者はいぬへるの行きを逃れることができる。
また、人を殺したり自害をした者はそこで改めて選別され、そのままいぬへるのに堕とされる。そして末世が来るまで救われる事はない。よくよく慎まなければならない。
さんぺいとろ(※聖ペテロ)はぱらいその御門を守る御役である。この門に来た時には門戸開きのおらしょを行いながら通らねばならない。
さんぱうろ(※聖パウロ)は善悪を正しく御吟味される御方である。悪人ではないが善の足りない者はふるかとふりやに通され、そこで罪咎の重さに応じて糾明を受ける。軽い者は三時で済み重い者は三十三年の間そこで糾明される。
その後はさんじゅわん(※聖ヨハネ)が御引継ぎになられて再度改められ、その後はあぼうすとろ(使徒。イエスの十二弟子の意)がお許しを出し、最後にさんとうす(Santos.聖人の意)が許せば、ぱらいその喜びを得る事ができるのである。
【註釈】隠れキリシタン達の考える地獄の入口の情景の描写である。閻魔大王のような役割を与えられている聖ミカエルの裁定を受けて天国行きか地獄行きかが決まり、聖ペテロの守る門を抜け、更に聖パウロをはじめとするキリストの使徒達の裁判を何度も受け……と、この辺りの描写はまるで仏教の地獄絵そのままである。
聖ミカエルは剣を握って悪魔と戦う勇猛な天使だが善悪を裁く役割は持っていないし、ペテロが天国の門の番人とされるのも間違いではないが、かなり自由な着想で描かれている。
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