二、ノアの方舟
原題は『まさんの悪の実を中天に遣る事』。
最初の一行にしかかかっておらず、内容の殆どは洪水による世界の滅亡の話。
でうすはこう考えた。天にとっても下界にとっても仇をなすものになってしまうまさんの木の実は中天の天狗に与えてしまおう、と。
さてえわの息子と娘は地上に降り立った後一度は散り散りになったが、やがて合石の石ほとりで再び再会した。ちょうどその時天から抜身の刀が落ちてきて大地に突き刺さり、きっと此処こそがでうすの不思議の奇跡が示した土地に違いないと二人して驚嘆した。
その時に驚いた娘は思わず持っていた針を投げてしまい、自らの胸に刺して血を流してしまった。また息子の方は娘に対して櫛を投げつけた。こうしてえわの息子と娘は赤の他人同士に変わり、それから二人は夫婦の契りをかわした。そして恋教えの鳥を見て、多くの子供を作ったのである。【註.1】
それ以来人間は子孫繁栄を続け、その数がどんどん増えていった。それに従って食べ物が足りなくなるようになっていい、天に向かって誓願するようになった。
「食物を与えたまわれかし」と人々が拝むとでうすはたちまちのうちに虚空に顕れて籾種などを与えてくれたのである。
その種は雪の降る頃に植えられて翌年の六月ごろには収穫された。八株植えれば八石の収穫が実り、裏作をすれば九石も実りを得た。八穂で八石の田植え歌の起源はここにあるのだ。作物は野山に満ち満ちて、食物は満ち足りるようになった。
さて豊かになると共に人間達の心に悪心や欲心が根付いた世の中になっていき、やがて運欲、貪欲、我欲というものが人の形になって生じるようになっていった。善人の食物を自分の欲しいがままに奪っていき狩っていく姿を見たでうすはこれをひどく憎み、この三人の悪人を罰として一人の身体に凝り固めてしまった。三つの顔に角が生えたすさまじい妖怪の姿になったその者は、それでもなお悪事を辞めず、怪力に任せて畑を荒らしては奪い取る事を繰り返した。
ついにでうすは御自ら天より下ってきて、「お前はあまへしゃぐまになるがいい」と呪ってから海の中へと叩き落として成敗してしまった。
このあまへしゃぐまもまたじゅすへるの仕業であった。【註.2】
だんだんと人間が増えていくに従い、世の中にはあらゆる悪事がはびこるようになった。盗みを働き欲を忘れず悪に傾く世の中になっていった。
でうすはこれを憐れんでぱっぱ丸じという帝王にお告げを与えた。
「この寺にある狛犬の目が赤色になる時、津波が起こり、この世は滅亡するであろう」
お告げを信じたぱっぱ丸じはそれ以来毎日、寺の狛犬を確認しに行くようになった。
その様子を見ていた手習いの子供達は集まって「どうしてあの人は狛犬を毎日拝んでいるのだ」と話し合っていた。ある子供が「狛犬の目が赤色になると波が起きてこの世界は滅亡するそうだ」と言った。
するとある子供が大笑いして「なんておかしな話だ。俺がこうやって塗ればすぐに赤くなるが、世界が滅亡するとは思いもよらぬ」と言い、朱で狛犬の目を赤色に塗ってしまった。
いつものように参詣に来たぱっぱ丸じは狛犬の目が赤色になっている事に気が付くと非常に驚き、すぐに引き返して、かねてより用意していたクリブネに六人の子供達を載せた。兄のうち一人だけは足が悪かったので間に合わず、残念ながら置き去りにしてしまった。
そうこうするうちに前代未聞の大波が起こり、天地を揺るがした。わずかな時間の間に世界は本当に一面の大海になってしまったのであった。
一方であの狛犬は泳ぎ出し、乗り遅れて溺れていた兄を背中に負って助け出していた。
世界を覆いつくした大波は三時ほどするとさっと引いていってしまい、ぱっぱ丸じの一族たちは辿り着いたありおふ島でようやく休む事ができた。そこに兄を背負った狛犬がやって来て、なんと一族が欠ける事無く再会したのであった。
一方で波に溺れ死んだ何万人もの人々は残らずべんぼう、すなわち地獄に堕ちてしまった。【註.3】
【註釈.1】日本神話でイザナギが櫛を使ってイザナミとの関係を断ち切る話があるように、日本の土俗信仰では櫛は縁を断ち切る呪具の意味があった。また日本書紀にはイザナギとイザナミが鳥の交尾を見て性交のやり方を知った云々という話もある。『天地始之事』はこのように聖書の物語と日本の土俗信仰が奇妙な融合を見せている。
【註釈.2】当時の農業の情景が描かれると共に、農民が歌っていたであろう田植え歌の起源にまで言及される。アマヘシャグマは他の地方でいうアマノジャクに当たる妖怪。三人の悪人がアマノジャクになって倒されるという民話は日本各地にあり、当然キリスト教とは一切の関係が無いのだがこのように取り込まれている。彼らにとって聖書の世界への憧憬に満ちた信仰と日本の民俗世界、そして日常生活はどこまでも混じり合っていた。
【註釈.3】この章では聖書におけるノアの方舟の話が日本的に解釈されている。ぱっぱ丸じはポルトガル語のPa-pa Martir(殉教した教皇)が語源とみられるがノアとは関連性がない。
狛犬の目が赤くなった時に津波が起きるという話を信じた老人だけが助かり、嘲って朱を塗った人々が溺れ死ぬという話は日本各地の離島に存在する民話である。同様の話は古代中国で既に存在しており、その物語が長い時間をかけて日本に伝わり、十六世紀にやってきた聖書の物語と融合したのだと考えると面白い。
なおありおふ島の意味については未詳。民俗学者の谷川健一は常世信仰や沖縄のニライカナイ信仰に類似した海洋信仰の可能性を示唆している。
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