三、聖処女マリア


 原題は『でうす人間を助ける為、御身を分けさせ給事』

 洪水を生き延びた人類が再び堕落していく事を嘆いた神は、その救済のために自らの独子を地上に遣わせる事を考える。そして聖母が登場し……。




 クリブネに乗って命を繋いだ七人はその島で生活を始めたが、あまりに無分別なのは良くないという事で、夫婦のさまざまなしきたりは概ねこの頃に始まった。女が眉を剃ってお歯黒を塗る習慣もこの時に始まったのである。

 そうして再び人間が増えて行ったのだが、生まれてから死ぬ者、みながみなことごとくみんなに落ちていくのだった。


 はこれをひどく憐れに思い、「なあ達よ。あの者達を一体どうやって掬ってやればよいのだろうか」と尋ねた。はこれに対してこう知恵を出した。

「それならば様ご自身の分身を遣わせれば、彼らを救う道もあるのではないでしょうか」

 それを受けたは自らと御子(※ポルトガル語のFilho。我が子の意)を二つにお分けになられた。

 (※聖ガブリエル)というをまず下界への御遣いに向かわせられた。その後に(※聖ヨハネ)に水の役をやらせる事を決めた。そして八月の中旬に(※聖ヨハネの母親)の身体にを宿らせられ、翌年の五月に誕生なされた。それはが五十三歳の時の事で、現在のが五十三回唱える事になっているのは実はこれに由来している。


 さての国に帝王がいた。その名をという王様であった。【註.1】

 そしてその国に賤しい身分の娘が居てその名を(※マリア)といった。七歳から学問を心がけ、十二歳の頃には深い考えを抱くようになっていた。

「私はつらつらと世の有様を見ながら考えているのですが、もう分かりません。人間として生まれてきて後生の助けを得るには一体どうすればいいのやら」

 いつもそう思い悩んでいたの元に、在る時不思議な天のお告げが届いた。

「汝は一生を独身で過ごし、として修業をするのだ。そうすればすみやかに救いを得るであろう」

 これを感じた瞬間ははっと喜んで、地に平伏して礼拝をした。この時に十二回のを唱えたのである。

(※びるぜんはVirgem。処女の事)

 さて国の帝王はその頃妃を探していた。世界中から妃候補を探したが王の目にかなう娘はおらず打ちひしがれていたのだが、「国内にという器量の良い娘がいる」と聞いてすぐに家老たちを遣いに送った。

 親たちはかしこまって「王様のお好きになさって下さい」と受け入れたがは頑として聞き入れなかったので、やむを得ず家老たちは引っ立てるようにしてを王の御前に差し出したのだった。


 連れて来られたの美貌を見た王様は大いに喜び「聞きしに勝る器量である。今日から私に従うがよいぞ」と仰った。しかしは「おそれながら私には大願があるのです。身を穢す事は許されないのです」と拒む。

 これを聞いた王は驚いて「どんな大きな望みでも私ならば叶えられるのだぞ。だから私の妻になればいいのだ」と再度申し出た。

 はさらに答えて「王様は賤しい私よりもさらに位がありませぬ。この世ばかりの栄華しかお持ちでありません。この世にいるわずかな間の栄華よりも来世の救いこそが肝要ではありませんか」と反論する。

 これを聞いた王は言う。「そなたのような凡人に何がある。私は帝王なのだぞ。なんだって見せてやろう」

 宝物蔵から引き出されてきたのは金銀財宝、米や銭はいうにおよばず、緋色の絹糸、珊瑚の玉、瑠璃の香箱、瑪瑙、琥珀の細工物、伽羅や沈香など、この世のありとあらゆる宝物だった。

「金銀がちりばめられた殿中に暮らさせてやろう。この品々だってみんなそなたにあげても良い」

 王はそう言ってみせたがの方は宝に目もくれず「これらはみんな今あるだけの宝物でしょう。使ってしまえば無益になってしまう。今度は私の術を見せてあげましょう」とだけ言った。

 そうして天に向かって合掌し「今すぐ不思議を見せたまえ」と心の中で唱えながら礼拝すれば、祈りが天に通じたのであろう、やがてありとあらゆるご馳走が整えられた御膳が人々の前に顕れたのだった。

 これには王も居合わせた人々も奇異な想いを隠せなかった。王は「なんとも不思議な事だ。そなたはほかにも不思議な事ができるのか」と尋ねた。

 それを受けたはかしこまり再度天に向かって祈祷をした。すると今度は六月の熱い最中であるにも関わらず不思議な事に空が曇り始め、雪がちらちらと降り始めたのである。そうして間もなく数尺も積もった雪景色を人々に見せたのであった。

 ここまでの不思議を見せられては王様をはじめ居合わせた人々はみんな寒さに凍え、目も口も開けられないままに呆然とする事しかできなかった。そうしてそのうちに天から花車が舞い降りてきて、はそれに乗り込むと天上へと去って行ったのであった。【註.2】




【註.1】ろそんの国とは当時のルソン、すなわちフィリピンが念頭にあるのであろう。言うまでもなく聖書に登場する地名ではなく、当時のキリシタン達が思い描けた精一杯の遠い外国のイメージにすぎない。また王の名前とされているとはアーメン・イエズス(イエスは正しいを意味する祈りの言葉)の転訛と考えられている。言葉の意味をもはや誰も知らなかったので架空の王の名前にあてられたのだろうか。

【註.2】イエスの母親であるマリアに関する話だが、ここにはもはや聖書の要素がほぼ何も含まれていない。処女懐胎を仏教的な修行の成果と見ているのは面白い。「権力者に目をかけられた信心深い女が奇跡を見せて退ける」という民話は日本を含めた世界各地にあり、その一種が取り込まれたものとみられる。

 隠れキリシタンに一番篤く崇敬されたのはマリアであり、まるで浄瑠璃語りに登場する比丘尼のような問答と共に雪をまじえた幻想的な奇跡を見せるの物語こそが、隠れキリシタンにとって印象深いものだったのかも知れない。

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