八、イエスの捕縛


 原題は『より御身を取りに来る事』。

 による密告を受けたの臣下達が捕縛へと向かう場面。どこか江戸時代の捕り物のような調子で描かれている。




 一方その頃、は御身様を絡め捕るべくに大勢の家来を揃えさせ、へと急ぎ向かわせていた。

 まもなくしての寺に辿り着けば「逃がすな、者ども」と下知をなし、二重三重の包囲網をもってして取り囲んだが、御身はそれを受けても少しも取り乱さず「はどこへいったのだ」とお尋ねになった。

 弟子の一人がこう答えた。

はあのようなていに成った事を弟子中皆に責められたところ面目を失ったようで、あの山の中で自害いたしました」

 それを聞いた御身はこう言った。

「かねてより私は身を苦しめて命を棄てるつもりだったのだ。たとえ訴え出た罪があったとしても自害さえしなければ助けてやる方法もあったのに。残念な事だ」

 その山中は今や奈落の底から焔が燃え上がり(Inferno.地獄)の火焔となっていた。これは捕手の役人達にこの地獄の光景を見せんがために現れ出でたものだった。

 役人達はその光景を見て大いに驚いたが、しかしそれでも捕手達は御身を高手小手に括り上げ、畏れ多くもから引っ立てて行ったのだった。

 その御首に綱をかけ、まるで羊を引くような恰好だった。「早く、早く歩め」と罵りながら鞭で打ち、「ぬるい奴め」と罵って棒で打ち、無理無体に引き立て、引き立て、まで追い立てたのだった。


 遂に帝王の面前まで引き立てられたところで、は捕手達を見下ろしながら「捕手の者どもは実にご苦労であった。その主とやらは自在に妖術を扱うと伝え聞く。油断せずにその石の柱に縛りつけるのだ」と命令し、御身を縛りつけさせた。さらに骨も砕けよとばかりに竹で打ち据えさせ、しまいには竹の方が砕けてしまうほどの折檻を与えた。

 その御口に苦い物や辛い物が押し込められ、頭には金輪の冠を打ち込ませ、その御身から流れ出る血はまるで滝のようであった。その姿を見てはさらに怒ってこう命じた。

「数万の子供を殺害せねばならなかったのも元はと言えばそいつが原因なのだ。三十三間の台を拵えてヶ嶽に引きずり出し、磔にしてしまえ」

 もはや誰にもその恐ろしい命令を止める事は出来なかった。




【註釈】ユダの罪とはイエスを裏切った事ではなく(イエスはそれを知っていて好きにさせていた)救いを信じる事ができずに自殺してしまった事だ、という解釈は古くからあり天地始之事にもその論理は受け継がれている。

 イエスの捕縛の場面は遠い異国のそれではなくまるで江戸時代の捕り物のような趣がある。隠れキリシタン達はヘロデ王とその兵士達の場面に自分達を迫害する代官や役人の姿を投影していたのだろうか。

 (calvario)は地名。ゴルゴダの丘のある場所の名である。

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