九、十字架を背負う


 原題は『御主かるわりやう嶽に連行奉る事』。

 イエスがゴルゴダの丘に向かうまでに起きた、様々な不思議な出来事が描かれている。




 さて、ある所に(語源未詳)という場所がある。

 そこに(Cruz.十字架)の木という大木が生えており、その長さは実に六十六間にも及んだ。

 その木の根元側の半分三十三間は今も切られずに残っており、はいずれ天から下ってこの大木に火をつけるのだという。この木から起こった火は決して消える事無く世界の隅々まで燃え広がるという事だ。この木が燃える時、世界は天の火と地の火が一度に混じり合い、たった三時のあいだに残らず焼けて滅亡するのだという。おそろしきかな、おそるべし、おそるべし。【註.1】

 なんとこの木の上半分の三十三間は切り取られ、磔の台の材料に使われたのだ。これを御身が肩より担ぎ、嶽へと追い立てられている。


 その道中にて(ヴェロニカ)という水汲みの者が行き合い、この者は御身の姿を見て非常に憐れに思い、その血の汗を拭って水を差し上げた。御身はこの水を喜んで飲み干し、「この恩義は忘れぬぞ。一度は必ず助けてあげよう」と仰った。

 すると途端に水汲みの持っていた手拭に御身の御姿が浮かび上がったのである。水汲みはまことに勿体無い物だと思い、後にこの手拭をの寺に奉納したという。【註.2】


 そうして遂に御身は嶽まで引き立てられた。そこには既に死罪が決まっていた二人の咎人がいた。

 その真ん中で御身は御手足を大釘にて打ちつけられ、二人の罪人はその左右に絡め取るようにして縛りつけられた。そうして十字架が立ち上げられた時、左側に縛りつけられていた罪人が怨みの在る叫び声をあげた。

「今までにも様々な仕置きがあったものだが、こうまでむごい仕置きは今まで見た事が無い。これは巻き添えで、こんな目に遭うのは御主のせいではないか」

 一方で右側に縛りつけられた罪人はこう叫んだ。

「それは其の方の心得違いというものだ。我々こそは大罪人だが、御身は何の罪も無いのだぞ。このような仕置きはおいたわしい限りではないか」

 この罪人の由来を語れば、実は御主誕生の折に使った産湯を与えられた赤子であった。すでに命のもたないばかりの悪瘡を患っていたのだがお湯の奇跡で健康になったあの子供である。しかしどういう因果かその心根は成長と共に悪に染まってしまい、遂に死罪を受ける程の罪人になってしまったのだった。

 御主の御最後の日に同じにかかって御供する事になったのも不思議な因縁であったのだ。【註.3】




【註.1】このエピソードは聖書には無いが西洋の民話の一つである。キリストの磔刑に使われた木と世界の滅亡の日に燃えだす木が実は同一の物であるという解釈を加え、全ての出来事は神の定めた運命に従って起きると語る話。

【註.2】これも西洋の民話の一つ。イエスに水を与えたヴェロニカという男の手拭にその姿が浮かび上がって聖骸布となり、ヴェロニカは後にその布の聖なる力で皇帝の病気を治して沢山の褒美をもらったという。

【註.3】こちらも聖書には無い。イエスが最初に命を救った者が偶然にも最後の日の御供になったという奇談。他のエピソードと同じく宣教師から伝え聞いた西洋の民話かも知れない(筆者は未見)が、因縁を強調する仏教的な感性が生みだした話にも思える。

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