十、キリストの磔刑


 原題は『盲目金に目のくるる由来の事』。

 この章はキリストの磔刑という重要な場面でありながら乖離が大きい。




 ヶ嶽では入れ替わり立ち替わり日々拷問が加えられていた。この事は四十六人の弟子達にも伝わり、悲しんで様々な苦行を受けたり、あるいは断食し、死をも恐れず師の御供をしようとあらゆる苦行を行った。

 御身はこの事をお察しになられ、御をお創りになったのである。

(※Passionはキリストの受難をうたった歌の名前でもある。隠れキリシタンにもキリストの受難を歌ったが現存する)

 は「役人ども、はやく息の根を止めよ」と強く命じたが、それを受けた役人達が抜身の刀を手にして命令を実行しようとしても不思議な事に五体に力が入らなくなり、手足も動かなくなってしまい、誰も突く事ができなかった。


 かかる所に盲目の者がやってきたので、見かけた役人が「そこの盲目よ、此処に磔の罪人がいる。とどめを刺すのを手伝えば金をやるぞ。どうだ、やらぬか」と持ち掛けた。それを聞いた盲人は「教えてくれればとどめが刺せるぞ」と答えた。

 警護の侍がここを刺すのだぞと丁寧に方向を教えてやると「心得た」と言い、言われたとおりにぐっと槍を突き刺した。その時御身の身体から血汐が流れ出て、その血が盲人の目に入った。すると不思議な事に盲人の両目が見えるようになったのである。その時盲人はこう言った。

「奇妙だ奇妙だ。実にこの世界がよく見えるようになった。もっと早く悪人にとどめを刺せば良かった。そうすればもっと早く目が見えるようになっていたのに」

 この時、御身は「盲目の者に、後生の救いはないだろう」と仰った。

 この盲人は思うがままに御身にとどめを刺して褒美の金をもらったが、その途端にまた目が潰れてたちまちのうちに元通りになってしまった。金に目が眩むとはここに由来しているのである。【註.1】

 左右に縛りつけられた罪人達も無常の煙と消え失せて行ったが、そうは言っても右側の罪人はかたじけなくも御身の御供をして御上天する事ができた。しかしかなしいかな、左側の罪人は(Inferno)に沈んでしまったのであった。


 母親のが御身の亡骸を見て深く嘆き悲しんだのは道理である。

 帝王はその姿を見て「あそこに嘆き悲しんでいる女がいるが、あれは何者だ」と尋ね、家臣が「あれはあの罪人の母親でございます」と伝えると、それを聞いた帝王は「そうであったか。親子の別れは名残惜しませてやろう」と言った。それを聞いた母はうれしく思い、御身の亡骸にひっしと抱きついて痛ましい程に泣き叫ぶのであった。【註.2】

 やがて警護の者達はその亡骸を石の棺に納め、大地に埋めた。そして昼夜に渡って見張り番をしたのであった。




【註釈.1】十字架上のイエスの身体に槍を突き立て、その血を浴びたローマ兵の眼病が癒された奇跡の話が描かれているが、聖書に描かれるイエスの行動とはまるで正反対の話に変形してしまっている。

〝イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。〟――マタイによる福音書 20:34

 障害を持って生まれるのは前世の悪行の報いであるという仏教的な考えと混濁したのであろうか。あるいは後世のキリスト教徒達が「キリストを殺した罪」をユダヤ人に押し付ける形で差別を生んだように、隠れキリシタン達にもまたその罪を盲人のみに押し付けようとする心理が働いてしまったのかも知れない。

 盲人は強欲で金に汚いというイメージは江戸時代の文学作品にもよく描かれているが、彼らが金貸し業を営んでいた事と無縁ではないだろう。

【註釈.2】聖書の記述に従えばマリアはイエスの亡骸にすがりつて泣きじゃくるような行動はとっていない。どちらかといえば、役人によって処刑された隠れキリシタンの亡骸が家族に返された時の情景を思い描いているように感じさせられる。

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