十一、「きりんと」の事


 原題は『きりんとの事』。

 キリストの復活の奇跡と三位一体の概念についての説明が試みられている。



 の日(金曜日)に御身は(肉体が死亡して)大地の底に下って行き、の日(土曜日)までそこに留まっておられた。その上空に御官がとどまっておられるのを多くの弟子達が目撃し、これを拝んだ。【註.1】

 その後の三日目に天に昇られて御親の御右座に付かれ、それから生きている人、死んでしまった人の全てを助け給うために天より下ってきて、の寺に再び現れたのだった。夕五カ条の祈りが作られたのはこの時である。

 御弟子のかしらであった(pa-pa.教皇の意)という人が御功力くりきの門までお出迎えにあがり、この場所に四十日間逗留なされて、そのあいだは後生を助ける為のさまざまな教えをお説きになられた。

 それから(Apo-stolo.使徒)と十日に渡って御談義をなされ、降臨から五十日目にして御上天なされたのだった。【註.2】


 御母には天からの御告げが下り、七月三日にという山から御上天なされた。

 こうして、天では御母が御取り次ぎの役を勤められるようになり、御身は助けを差し伸べる役を勤めるようになった。

 つまり御親であり、御身は御子であり、そして御母はなのである。しかし三体とはいえ元は御一体であられるという事なのだ。【註.3】




【註釈.1】御官が具体的に何なのかはよく分からない。聖書にはイエスが葬られた場所に白衣の天使が現れたという話がある事から、天使の事だろうか。

【註釈.2】聖書ではイエスは葬られて三日目に復活し、四十日後に昇天したとされているので、破綻するほどではないが時系列にやや混乱がみられる。パッパとはイエスの弟子達のリーダーにして初代教皇となる聖ペトロの事であろう。聖ペトロには天国の門の鍵を持つ番人になったという伝説がある事から、門で出迎えたという話になったのだろうか。

【註釈.3】この部分はキリスト教の根幹である三位一体の説明を試みているが、三位一体は父(Pater)と子(Filius)と聖霊(Spiritus Sanctus)であるのでこの部分は錯誤である。具体的にイメージする事が難しい聖霊が抜け落ち、隠れキリシタンが一番親しんでいる聖母マリアが加えられているのは面白い。カトリックでは現在でも神との取り次ぎ役である聖母マリアが非常に崇敬されている。

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