十二、救済と大団円
原題は『御身後生助け始めてなさしめたまふ事』。
聖書にはない、この物語に登場した全ての人々の救済が描かれる大団円。『天地始之事』は聖書の不完全な再現ではなく、彼らの精神世界が求め、作り上げた独自の神話を自覚の無いまま書き留めていることが明らかになる。
さて、先年よろうてつによって殺された数万人の幼子達がころてる(語源不明。先に地上の楽園の名として出ていた)に迷っているところに御身が訪れていって、名を授ける事でぱらいそに引き上げなされた。【註.1】
また御身が御誕生の際に助けてくれた家の家族達をはじめ、星に導かれて訪問した三ヵ国の三人の帝王達、弟子達の残らず全て、助けてくれた麦作りの者達、水汲みのべろうにかなど、みんなを御上天させたのであった。そうして一同がそろってぱらいそに召し加えられたという事だ。
また御母まるやは天帝でうすに向かってこうお願いした。
「私の事でございます。私がびるぜん(処女)の修行を成していた故に、私を恋い慕って焦がれ死んでしまった人がいるのでございます。この者を仮初にでも夫にすれば報われましょう。どうかあの者をお助けいただきたいのです」
その願いをでうすは受け入れられ、まるやとその者を夫婦と成した。そうして位を与えてやり、御身にぜじうすとならせたまふ。
また水汲みのべろうにかはあねいすてうの位を受け、この世の功力を守るようになったという事だ。【註.2】
【註釈.1】聖書の中でもマタイによる福音書のみに描かれた幼児虐殺のエピソードが、隠れキリシタンの中では非常に大きな印象を保っていた事が分かる。なにしろイエスがキリストになる直接的なきっかけでさえあるのだ。無辜に殺された者をなんとしても救おうとするきりんとの姿は、迫害の中にあった彼らだからこそ強く求めたのかも知れない。そしてどこか、賽の河原で迷う小児の魂を救う地蔵菩薩のような雰囲気もある。
【註釈.2】きりんとの物語に登場した全ての善き人々を救済する記述。このような部分も聖書には一切無い、彼らが書き加えた部分である。
特に注目するべきは聖母マリアが神に対して、(聖処女マリアの章に登場した)ろそんの帝王と夫婦にして欲しいと懇願し、それが受け入れられる場面である。キリスト教の教義からいえば絶対にありえない展開であるが、マリアもまた帝王を愛していたがビルゼン修行のために現世では受け入れる事ができなかった。ゆえに来世で結ばれるという劇的な物語に展開するわけだ。
「御身(この呼称はイエスを指している)をぜじうすとならせたまふ」という記述は原文ママだが些か謎めいている。マリアを愛した帝王の名前に何故かイエスを意味する名前が付けられていた事なども謎を呼ぶ。東西の文化が混在する精神の中で、親子でもあり夫婦でもあったという原初的な神話世界を形成していた雰囲気さえある。
またあねいすてうとはAgnes Deiの転訛。「神の与えた子羊」を意味する言葉で、十字架にかけられたキリストの意味。隠れキリシタンの信仰では病気や怪我の治療の時に唱えられる祈祷の言葉。それがなぜ水汲みのべろうにかと結びついたのかはよく分からないが、唱える機会の多いなじみ深い言葉なので由来について言及があるのだろう。
キリスト教信仰の中では小さな昔話の登場人物にすぎない麦作りの者や水汲みのべろうにかさえも天国に引き上げられた事が言及されているが、彼らは神の奇跡を見ただけの名も無き人々では決してなく、いわば全てが隠れキリシタンの神話に登場する神々なのだろう。
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