六、十二人の弟子達
原題は『朝五カ条のおらしょの事』。
カトリック信徒にはロザリオを握りながら聖母マリアとイエスの生涯に起こった出来事に想いを馳せつつ祈る習慣がある(ロザリオの球の数はそれらの出来事の数に対応している)隠れキリシタンはそれらを朝昼晩の三回に分けて五つずつ唱える儀式を持っていた。おらしょとはラテン語のOratio(祈祷)の転訛である。
しかるにこの十二年間の間、御母さんたまるやはそこいらにある蜘蛛の巣を取っては天の羽衣のように織り、御身様のお召し替えを作るような献身的な生活を続けられていた。
さてばらん堂(伽藍堂か?)というところにがくじうらなる者が居た(
御母さんたまるやは三日三晩の間説き伏せて、ようやくばらん堂にて御身様はがくじうらに会う事ができた。朝に読み上げる五カ条のおらしょの内容はすなわちこの時の出来事なのである。
がくじうら達は椅子に座って「南無阿弥陀仏の六字の妙号を唱えれば極楽に成仏する事疑いなし」などと勧めた。
御身はそれを聞いて「その妙号を唱え、死後に行く先はどんな場所なのか」と尋ねた。
がくじうらは「死後の世界は実に暗いが、弘誓の舟に乗りさえすれば悪人は地獄に堕ち、善人は極楽に行く事ができる。これも疑い無し」と答えた。
(※弘誓の舟は仏教用語。仏教を大きな船に喩えて言う言葉)
御身はそれを聞いて「その極楽とは、いったいどこにあるのか」と尋ねた。
それに対してがくじうらは「弘誓の舟に乗りさえすれば極楽に行けるのだ。疑い無しだ」と答えた。
御身はさらにこう問いただした。「ただ疑い無しと言うばかりでは分かる筈も無い。天地や日月や人間や万物はどのようにして出来たのか。それを聞かせてもらいたい」
がくじうらが「若輩者の癖に口が達者だ。お前にはそれが分かると言うのか」と言い返すと、御身は「いくらでも語り聞かせられる」とお答えになるのだった。そこでがくじうらは椅子から降り、御身を座らせて講釈をさせてみる事にした。御身はこう語った。
「天の高さ地の深さはじつに八万余剰にも及ぶ。この広い世界で仏と呼んで拝まれているのは、じつは天の主であるでうすの事なのだ。人間の後生を御救いになるという仏の正体も実はそうなのだ。
この仏は天地や日月をお創りになりぱらいそという極楽をもお創りになった。人間をはじめとした万物みながこの仏が思い召すままにお創りになられたものなのだ。
人間をお創りになった時に自分の息を優しく吹き入れて完成させられたが、今では溜息をついておられる。そのために悪い風が島々に吹いて台風などの仇をなしているのだ。天の仏が見放せば草木が枯れ果て人間の種も絶え果て、七十五里に渡って風が吹き荒れる事になるのだ」
かかる話を聞いたがくじうらとその弟子達、合わせて総勢十二人は非常に感嘆し「我々が今まで師匠などと名乗れていたのはこの因縁を知らなかったからなのだ。今日からは御身様の弟子にならせていただきたい」と願い出た。
御身はそれを快諾して「その方らの望み通りにするが良い」と言い、十二人に水を授け、子弟の契りを交わした。さらには居合わせた寺に参詣していた人々もまた我も我もと水を授かりに行き、御主はこんえそうる(Con-fessor.司祭)の役目を果たされたのだった。
その光景を見ていた別の者達は「私も弟子となり、師匠として敬いたい」「今までの書物はもうまるで役立たずだ。全て捨ててしまえ」「いや待て。これは一切経という大切な経文なのだぞ」などと言い合いを始め、もう収拾がつかなくななり始めていた。
それを見ていた御身が「それならば是非を正しく問おうではないか。私の一冊とその全ての経文を量りにかけてみようではないか」と仰ったので量りにかけてみたところ、経文の山は軽くただ一冊の御身の本は非常に重たかった。この奇跡を目撃した者達はもう争う事も無く、全員が御身の水を授かったのだった。
がくじうらは言った。「只今はよろうてつが御身の事を吟味しようと探していると聞きます。寺もそのままに、書物も置いたままに、水を授けて下され」
訪れた人々に水を授け終わった御身は、それよりろうまの国(ローマ)に行く事を心に決めた。十二人の弟子達と共にかの国を目指して旅だったのである。
ろうまの国に辿り着いた御身は金銀のちりばめられた輝くような御堂をた建てられた。さんたえきれんじゃ(Santa igreja.教会)の寺とはこれの事である。
この寺で人間の後生を助ける道をひろめたもうたという事だ。
【註釈】少年のイエスが仏教の僧侶達との論争を行って論破して自らの弟子に加えるという、なんとも妖しく、しかし痛快な章。聖書におけるイエスの軌跡にはあまり似ている場面が無いが、日本での宗教論争がある程度投影されているのだろう(尤も仏教の教義への理解自体が乏しいため、論争としての質は低い)。
イエスが「仏とはデウスの事だ」と主張している点も注目に値する。隠れキリシタンにとって仏教は単純な敵対者というわけでも無く、仏教も信じつつキリシタンでもあるというのが実際のところだった。
イエス自身がローマに行って教会を建てたと語られているがこれは明らかに初代教皇でもある聖ペテロの逸話と混同されてしまっている。ローマのサンタエキレンジャとはすなわちカトリックの総本山であるヴァチカンの大聖堂の事だろう。
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